偏見ではなく事実 真理そのものを突いた正確な洞察だ。
我の強さ無くして、気の強さ無くして リーダーが務まることは無い
>>15
君の言う最近のリーダーは正確では無いし
受け取りかたを間違えば最近のリーダー全員、って事になる
リーダー全員と考えると明らかに中性な意見ではない
その点については同意見
だが、ほどほどに、と言う事だけどね
>>21
優しいだけのヤツがちゃんと仕切れるとでも?
もし仮に意見を飲み込まないと暴れるようなヤツがいた場合
飲み込むしか無くなると思うが
>22当然だな。乃公のリーダー論こそ世界において唯一無二の絶対的リーダー論。元からそこらの有象無象とは格が違う
何処の管理人かは忘れたがよしおとかいうあの駄犬
あのレベルのリーダーは腐る程在る
そこで如何に己の責任を理解しているかで差が付く
マジレスすると、リーダーとはどうあるべきか?を語る時に大いに例に出されるのが項羽と劉邦。
家柄、自信、強さ、教養、家来を引っ張っていく力、どれをとっても項羽が上だった。しかし項羽の元からは優秀な人材が去り、農民上がりの飲んだくれで大した才能も自信もなさそうで無教養、不作法な劉邦の元に集まり、劉邦が天下を取った。
何故か。項羽は才能と自信にあふれていたから、自分が一番だと思い、他人の意見を聞かなかった。意見を聞き入れてもらえない部下は働きがいがなかった。項羽は実力を持っていたから戦に勝てば自分が最大の功労者だと思った。劉邦は自分が不才であることを知っていたから部下の意見を聞き、手柄を素直に認めた。
国士無双と呼ばれた韓信に、劉邦が「余はどれくらいの兵を率いることができると思うか」と尋ねた時、韓信は「十万くらい」と答え、「では韓信、そなたはどれくらい率いることができるか」と劉邦が尋ねると、韓信は「多ければ多いほど良い、まず百万は大丈夫」と答えた。
そこで劉邦が「余は十万の兵しか率いられず、そなたが百万の兵を率いるなら、そなたはなぜ余に従っているのか」と尋ねたところ、韓信は、「私は兵に将たる器で、大王(劉邦)は将に将たる器」だと答えた。天下を取る者は、自らリーダーであることよりも、リーダーの上に立つ才が必要だということだ。
劉邦は天下を取ったのち、その理由をこう言った。「余は作戦立案では張良に及ばず、内政では蕭何に及ばず、戦では韓信に及ばない。しかしこれらの人傑を使いこなしたから天下を取った。項羽は范増(項羽の参謀)ひとりをも使いこなすことができなかったから敗れた」
結局のところ、劉邦は優秀な人材に活躍の場を与え、功績を十分に評価し、人の上に立つ人材に慕われたから天下人になった。つまり帝王の器は、自分で仕切ることではなく、仕切る人間に慕われることにある。具体的に劉邦の長所をあげるなら、素直で太っ腹だったことだが、そういう人が誰でも大成できるわけじゃない。劉邦の場合は理屈で説明できないような、摩訶不思議としか表現できない人間的魅力があった。(皇帝になったあと被害妄想にとりつかれた劉邦は別)
劉邦と正反対に、天才かつ唯我独尊で天下を取ったのは秦の始皇帝だが、実際のところ始皇帝は天下統一の総仕上げをしただけで、内容はほとんど曾祖父の昭襄王のときに出来上がっていたので、始皇帝より劉邦が上だと思う。
特別ソイツらを尊敬しているわけではないが 慕われることが重要なのは確かだな。されどそこに至る迄が甚だ惜しい
己単身で仕切るからこそ仕切られる側の有象無象に慕われるというもの
意見を聞くこともそれを実行することもないが、外敵からの干渉は決死でこれを死守する
それだけの関係だ。乃公の掲示板はそれ故にどこそこの有象無象の掲示板より遥かに優れている
そうだね。
私は第三帝国が好きなんだけれども、
どの国にも優秀な軍師がいるもんだよ。
ヒトラーは第一次で軍曹をしただけだったので
他の軍師のほうが戦争について聡明だったはずだけど
感情に任せるような所があったから、スターリングラードでも
負けてしまったよ。
軍師の力を最大限に出すという点において優秀な頂点がいると
大成するんじゃないかな?