平成喧嘩塾の衆人はどこいったん?

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1、《短小tinko》
2018-10-26 01:41:46
ID:yMnDgKtc

Twitter界隈に移り住んだらしいけど、その他は消えたんか?
古参組の文章の考えについて聞きたいんやけどなあ。
どんな組み立て方をしていたの?とかねー( *´艸`)
叶わぬ夢やろかい


[編集]
112、《短小tinko》
2019-01-12 19:04:32
ID:89AUxsM.(sage)

第四章 人を奴隷にすること

 

1. 誰も生まれながらにして他人に対する権力をもっているわけではないし(第二章)、力だけでは何の正義ももたらさないからには(第三章)、人間界のあらゆる正当な権力は、契約に基づくべきであるということになります。

2. グロティウスは言っています。「個々の人間が自分の自由を譲り渡して人の奴隷になることができるのであれば、国民の全員が自分の自由を譲り渡して王の家来になれない道理はない」と。この発言の中には、説明を要するあいまいな表現がいくつも含まれています。今はその中の「譲り渡す」という言葉にしぼって議論を進めて行きましょう。「譲り渡す」というのはただでやってしまうか、売り渡してしまうかのいずれかです。ところで、他人の奴隷になるということは自分をただでやってしまうことではなくて、少なくとも食べさせてもらうことと引き換えに自分を売り渡すことなのです。では一体国民は何と引き換えに自分を売り渡すというのでしょうか。王は国民を食べさせてやるどころか、ひたすら国民に食べさせてもらっている身です。しかもラブレーの話では、王という連中は、とうてい少しの食べ物では足りないという話です。では、国民が自分の身を王に渡すには、自分の財産もいっしょに王に渡さなければならないのでしょうか。もしそんなことになったら、国民の手元にはいったい何が残るというのでしょうか。

3. 「専制君主なら国民に平和な暮らしを保証してくださる」と言う人がいるでしょう。よろしい。ではもしその君主がもっばら自分の野心から戦争を引き起こしたら、もし君主が果てしなく貪欲で政府の役人を使って過酷な取り立てをやったら、そしてそのおかげで、国内が乱れていた時よりも国民の生活が荒廃してしまったら、国民にとって平和な暮らしがどんな得になるでしょうか。国内の平和と引き換えに国民が苦しまなければならないとしたら、一体国民はどんな得をしたことになるでしょうか。地下牢の中にも平和はあります、だからといって地下牢に入りたいという人がいるでしょうか。かつて怪物キュクロプスの洞窟に閉じ込められたギリシャ人は、その中で怪物に取って食われる番を待ちながらもその間を平和に暮らしていたのです。

4. では、「譲り渡す」というのは自分をただでやってしまうことなのでしょうか。しかしそれではあまりに無茶苦茶な話であります。そんな行為は、それが正気な人間のすることではないという点だけから言っても、不正で無効な行為です。一国の国民全体がこぞってそんなことをするなどというのは、国民全員が狂っていると言うに等しいことです。そして、もちろん狂気に基づいた正義などというものはありえません。

5. いま仮に百歩譲って個々の人間が自分を譲り渡すということがありうるとしても、自分の子供までも譲り渡すことは許されません。なぜなら、子供たちは人間として生まれた以上は、生まれながらの自由を持っているからです。自由は彼らのものであり、誰も勝手に彼らの自由を処分できないのです。子供が分別のつく年齢になるまでは、子供を守り幸福に育てるために、子供に代わって親が子供の持っている自由を制限することは許されていますが、親が子供の自由を無条件かつ永久に人にやってしまうことは許されないことなのです。それは自然の道理に反する行為であり、親権の乱用です。ですから、独裁的な政権が正当性を獲得するためには、世代が代わるごとに、各世代にその政権を信任するかどうかの選択権が与えられなければならないでしょう。しかしその時には、もはやその政権は独裁的とは言えなくなってしまいます。

6. 人間が自分の自由を放棄するということは、人間性を放棄するということなのです。それは、人間の権利も、さらには義務までも放棄してしまうことです。全てを放棄してしまえば、もはやどんな見返りの可能性もなくなってしまいます。そのように全てを放棄するということは、人間の本質に反する行為です。そして、意志の自由を失うということは、もはや自分の行動に対して善悪の判断がつかなくなってしまうことです。つまり、一方の当事者に完全な支配を認め、もう一方の当事者には完全な服従を要求するような契約は、でたらめな契約であって無効なのです。相手に全てを要求する権利がある人間はその相手に対して何の義務も負わないことは誰の目にも明らかでしょう。相互の利益がなく相互の義務もないというこの条件一つをとってみても、この契約が無効なのは明らかではないでしょうか。というのは、そんな契約のもとにある奴隷には主人に対抗するどんな権利もないからです。なぜなら、奴隷のものは全て主人のものだからです。さらにいえば、奴隷が主人に対抗する権利も主人の所有物なのですから、奴隷の権利とは、主人が自分自身に対抗する権利ということになってしまい、全くナンセンスだからです。

113、《短小tinko》
2019-01-12 19:05:16
ID:89AUxsM.(sage)

7. 人を奴隷にする権利と称するものが存在するという根拠として、この他にグロティウスたちは戦争を挙げています。「戦争の勝利者が敗者を殺す権利があるのだから、敗者は自由と引き替えに命を買い戻す権利がある」と、彼らは主張しています。この契約は、当事者双方の利益になるのだから、合法的だと言うのです。

8. しかし、戦争状態の結果として敗者を殺す権利と称するものが生まれることなどけっしてないことは明らかです。人間が共同体を作らずに自由気ままに暮らしている限り、平和であるとか戦争状態になるとかいうほど人間が密接なつながりを持つことはありません。この点だけから見ても、個々の人間は生まれついての敵同士ではないことがわかります。実は、戦争とは人と人の関係から起こるものではなくて、物と物との関係から起こるのです。そして、戦争状態が単なる人間同士の関係からではなくもっぱら物と物との関係から発生するものであるかぎり、個人と個人の戦争などというものは、人間が決まった所有物をもたない自然な状態にある場合にも、また全てが法に支配されている国家の中にいる場合にも、起こり得ないのです。

9. 個人的なけんかや決闘などは、突発的な行為であって何かの状態とは言えません。確かに私闘がフランス王ルイ九世の政府によって認められたり、教会による「神の平和」によって中断されたりしたことがありました。しかし、これは封建支配の悪習でしかなく、制度としてはまったくばかげたものでした。それは、自然な正義の原則に反しており、まともな政府が採用するはずのないものです。

10. このように考えていくと、戦争とは人と人との間にではなく、国と国との間に起こるものであることが分かるでしょう。ですから、戦争においては個々の人間はたまたま敵同士になるのであって、けっして人間として、あるいは市民として敵対するのではなく、ひとえに戦闘員としてのみ敵対するのです。つまり、戦場において個々の人間が敵同士になるのは、それぞれの国の一員であるためではなく、ひたすらその国を防衛する任についているためなのです。結局、国の敵は国だけであって人間ではないのです。なぜなら、国と人間という本質的にまったく異なる性質をもつ二つのものの間には、いかなる関係も生まれようがないからです。

11. 国の敵は国であるというこの原則は、古くからの常識であってどこの国に対しても当てはまるものなのです。ですから、例えば宣戦布告は、相手の国家に対するというよりは、相手の国民に対してするものなのです。国王であろうと個人であろうとまた国民全体であろうと、他国の君主に対してあらかじめ宣戦布告もせずにその国の国民を略奪したり殺したり拘束したりすることは許されません。それは敵の行為ではなく単なる強盗の行為と見なされます。また戦争中には、正義を重んじる君主は敵国にある全ての公の財産を奪うけれども、個人の生命・財産には手を出さず大切に扱います。こうして自分の権利の基盤となる正義の原則を大切にしているのです。戦争の目的は敵国を征服することですから、戦闘員が殺す権利がある相手は、武装してその国を防衛しようとしている人間だけなのです。しかしその人間が一旦武器を捨てて降伏したなら、もはや敵でも敵の道具でもなくなり、再びただの人間にもどるのです。そしてもはや誰にも彼らを殺す権利はなくなってしまうのです。時には相手の国の構成員をだれ一人殺すことなくその国を滅ぼすことも可能です。戦争状態にあるからといって、勝利する目的に必要でない権利まで与えられるわけではありません。こうした原則はなにもグロティウスが発明したものでもなければ、詩人たちの権威に基づくものでもありません。これらは、物の道理、理の当然というべきものなのです。

12. 征服する権利について言うなら、この権利の根拠は強者の権利以外の何物でもありません。ですから、もし戦争をしても征服者には自分が征服した国民を殺す権利が生まれないなら、このありもしない権利を根拠にして、征服した国民を奴隷にする権利を主張することもできないわけです。まだ戦争中で敵を奴隷にできないあいだだけ、敵を殺す権利があるのであって、敵を奴隷にできるようになった時には、もはや敵を殺す権利はなくなっているのですから、敵を殺す権利から敵を奴隷にする権利を引き出せるわけがありません。ですから、もともと勝者には敗者の命を奪う権利がないにもかかわらず、敗者が自分の自由と引き換えに勝者に命を助けてもらうなどどいうのは、不当な契約と言わねばなりません。奴隷にする権利があれば当然殺す権利があるのだから、殺す権利があるなら奴隷にする権利もあるはずだなどという議論が循環論法であるのは明らかです。

13. 仮に勝者には敗者を抹殺するという恐ろしい権利があると仮定してみても、そこから被征服民が征服者に服従しなければならない義務が生じたりはいたしません。奴隷となって服従するとしてもそれは強制的に服従させられるだけのことです。勝者は敗者から「自由」という命に匹敵するものを取り上げて奴隷にするのですから、これは決して命を助けてやることにはなりません。それは無益に殺すかわりに、有効に殺すだけのことです。つまり、勝者は敗者に強制することはできても、その強制にはいかなる正当性もないのです。こうして、両者の間には戦争状態が依然として続いており、主人と奴隷という関係もその現象でしかありません。そして戦争をする権利は消滅していない以上、平和条約が結ばれることはありません。ある種の条約が結ばれることはあるとしても、それは決して戦争状態の終結を意味するものではありません。依然として戦争が継続していることに変わりはないのです。

14. 以上のように、この問題をいかなる角度から眺めても、人を奴隷にする「権利」などというものは無効であることが分かります。それは正当性がないからだけでなく、でたらめで無意味なものであるという点からも無効です。「奴隷」と「権利」という二つの言葉は相矛盾した言葉であって、互いに相手を打ち消す言葉です。ある人がある人に向かって、あるには、ある人がある国民の全員に向かって、「お前にとって全面的に不利な、そして、私にとって全面的に有利な契約を、私はここにお前と取り結ぶことにする。この契約を私は自分が好きな間だけ守ろう、この契約をお前は私の望む間だけ守りなさい」などと言うのは、いずれの場合においても全くばかげたことなのです。

114、《短小tinko》
2019-01-12 19:09:43
ID:89AUxsM.(sage)

第五章 我々は常に最初の契約に戻らねばならないこと

 

1. ここで仮に百歩譲って、私がこれまでありえないこととして否定してきたあらゆる独裁者の権利を認めたとしても、独裁政治の擁護者の立場はなんら強化されません。単にたくさんの人間を服従させることと、ある共同体を支配することとの間には、いつまでたっても消えない大きな違いがあるからです。ばらばらの人間を次々と奴隷にしたとしても、そしてその人数がいくら多くなったとしても、そこに生まれるのは主人と奴隷の関係でしかなく、けっして国民とその統治者の関係は生まれないのです。そこには人の集団は生まれても共同体は生まれないのです。公共財産もなければ、政治的に統一された団体つまり国家もないからです。このような支配者はたとえ世界の人口の半分を奴隷にすることができたとしても、彼は相変わらず一個人のままであり、彼の財産は彼以外の人の財産と常に区別されているために、永久に私的財産のままなのです。このような支配者が死ぬようなことがあれば、後に残された帝国は統一のかなめを失ってばらばらになってしまうでしょう。それは一本の樫の木が燃え尽きると、崩れ落ちて灰の山になるのと同じことです。

2. グロティウスは「国民は王に対して自分自身を委ねることが許されている」と言っています。このグロティウスの言葉に従うならば、国民は自分自身を王に委ねるその前からすでに国民として存在していることになります。すなわら、王に自分自身を委ねること自体がすでに国民としての契約なのであり、国民による審議を前提としているのです。ですから、王に服従する契約より先に、まず国民は国民になるための契約の中身をよく検討すべきでしょう。なぜなら、この国民になるための契約は、王に服従するための契約よりも当然先行すべきものであって、共同体が生まれる真の根拠となるからです。

3. 実際、もし先に来るべきこの契約がなかったら、仮に王に服従する契約が全員一致の決定でない場合に、多数派の決定を少数派が受け入れる義務がどうして生ずるでしょうか。そうです、王を持ちたいと言っている百人の人たちは、王などいらないと言っている十人の人たちに代わって決定する権利などないのです。多数決原理はそれ自体契約に基づいた制度であり、それ以前に少なくとも一度、全員一致の契約、最初の契約がなければなりません。

 

115、《短小tinko》
2019-01-12 19:11:58
ID:89AUxsM.(sage)

第六章 社会契約

 

1. わたしが思いますに、人が自分の力で自分の身の安全を守ろうとしても、自然の状態のままでいては、対処すべき困難があまりに大きすぎて個々の力ではどうしようもないという状況がいつかは到来するものです。そうなってしまえば、人類は最早人間本来の自由な生活を続けることは不可能であり、その生存形態を変えない限り存亡の危機に直面することになるでしょう。

2. ところで、人々は、新たな力を作り出すことはできなくても、すでに存在する力を結集してそれを働かせることならできます。ですから、自分たちの存在を守るためには、どんな困難にも対処できるように、ばらばらに存在する力を結集して、それらの力をただ一つの意志のもとに機能させて、それらの力を一斉に働かせるのが一番です。

3. このような力を結集するためには、これまでばらばらにいた人間が一致団結する以外にはありません。ところが、各人が自分の自由を犠牲にして力を差し出してしまえば、もはや自分で自分の安全を守ることはできないわけですから、自分の力を他人の力に合体した後は、どうすれば自分の身の安全を確保して、同時に自分に対するしかるべき配慮を欠かさずにいられるでしょうか。この問題をこの章のテーマである社会契約という観点から表現すると次のようになります。「全構成員の結集した力で各構成員の身体と財産を守ってくれるような共同体、しかも各個人は他の人々と団結しながらも誰にも服従せず、以前と同様の自由を享受できる共同体の形態はどうすれば見いだすことができるだろうか」。この根本的な問いに対する答えを提供するのが社会契約なのです。

4. 社会契約の条文の規定は、契約の性質上、高度の厳密さを要求されるものです。後からの変更は一切許されず、またどんな些細なものであれ変更を加えたりすればその条文は無効になってしまいます。おそらく個々の条文が正式に発表されることは決してないでしょうが、条文の内容はどこへ行っても同じであり、どこへ行っても暗黙の承認を受けています。もしこの契約に対する違反行為が発生した場合には、全員が生来の権利を取り戻し、本来の気儘な自由を回復するとともに、それと引き換えに獲得した契約に基づく自由を喪失するのです。

5. 正しい理解を妨げない限りにおいて、この契約の条文は一つだけにしても差し支えないでしょう。その一つの条文とは「構成員が自分の身体と自分の全ての権利を共同体に対して完全に譲渡すること」です。こうすれば、まず第一に、全員が例外なく自分自身を完全に委ねることになりますから、全員の置かれた条件は全く同じになります。全員の置かれた条件を同じにしておけば、誰かが他の構成員に対して厳しい条件を課そうとしても、自分にも同じ条件が課せられるため、何の得にもならなくなるでしょう。

6. 第二に、この譲渡は無条件の譲渡となりますから、人々の団結は可能な限り完璧なものになります。また全構成員はもはやいかなる権利を主張することもできなくなります。なぜなら、もし各個人に何らかの権利が温存されたりしたら、彼らと共同体との争いを裁くもう一段高い権威が存在しない状況では、何かの事で一度個人の判断が通ってしまうと、やがては全てにおいて自分の判断を通そうとする要求が生まれてくるからです。これでは自然状態が温存されているのと同じになってしまいます。そして、こうなってしまえば、共同体はもはや独裁を許してしまうか、さもなくば全く無意味なものになってしまうでしょう。

7. 最後に、全員に対して譲渡するということは、誰に対しても譲渡しないということでもあります。どの構成員も自分の権利を他人に一方的に譲り渡すということはなく、必ず同じ権利をその人から与えられるからです。ですから、どの構成員も自分が差し出すものと同じものを必ず手に入れるのです。こうして自分の財産を守る力を、以前よりも大きくすることになるのです。

8. それゆえ、社会契約から付随的な部分を全て取り除くと後に残るのは次のようなものになるでしょう。「われわれは各々自分の身体と持てる力を全て共同体の中に投入して、全体の意志による最高の指揮のもとに置くことにする。そして、われわれは共に全構成員を全体の不可分な要素として受け入れることにする」。

9. この社会契約が結ばれると、契約の当事者である私的な人格に代わって、一つの人為的な団体、すなわち投票権をもつ人の数と同じ数の構成員からなる共同体が即座に発生するのです。そして、この共同体は、まさにこの契約によって、統一性と共通の自我を持ち、それ自身の生命と意志を持つようになるのです。このように他のあらゆる人格の団結によって形成された人格を、むかしは「都市国家(Cité)」という名前で呼んでいました。現在ではこれを「共和国(République)」とか「市民共同体(corpspolitique)」という名で呼んでいます。また、この人格はその構成員によって受動的な役割で呼ばれる場合には「国家(État)」という名前を持つのに対して、能動的な役割を果たす場面では「主権者(Souverain)」という名前を持ちます。さらに、この人格は同種の他の人格と比較して「強国とか大国(Puissance)」と呼ばれることもあります。この共同体の構成員は、全体としては「国民(Peuple)」という名前で、主権を共有する個人として「市民(citoyens)」という名前で、国家の法の下に支配されるものとして「一般民衆(sujets)」という名前で呼ばれます。しかしながら、これらの用語は混同されがちで、前のものが後のものと間違えられることがよくあります。しかし大切なことは、これらの用語が正確な意味で使われた場合には見分けられるようにしておくことです。

 

116、《短小tinko》
2019-01-12 19:12:50
ID:89AUxsM.(sage)

第七章 主権者について

 

1. 様々な名前をこのように整理すれば、社会契約というものが共同体と個人の間の相互の約束事であるということがよくわかると思います。ですから、社会契約とは各人がいわば自分自身と契約することであり、次にあげる二重の意味で契約することなのです。つまり、各個人はまず第一に主権者の一部として各個人に対して契約を結ぶのであり、第二に国家の一員して主権者に対して契約を結ぶのです。民法では、人は自分自身との契約によっては拘束されないとされています。しかし、この民法の原則を社会契約に適用することはできません。なぜなら、社会契約における自分自身との契約は、単に自分自身に対して義務を負うのとは違って、自分の所属する集団に対して義務を負うことだからです。

2. さらに言いますと、国の決議によって主権者に対する義務を一般民衆に課すことは可能ですが、それは各人が上記のように異なった二つの顔を持つと考えられるからです。しかし、逆の理由から(=二つの顔を持っていないという理由から)、国の決議によって、主権者自身に対する義務を主権者に課すということはできないことを忘れてはなりません。それは結果として、自分が破れないような法律を主権者が自分自身に対して作ることになり、市民共同体の本質に反することになるのです。なぜなら、主権者はたった一つの顔しかもっていないため、個人が自分自身と約束するのと同じ立場に立つからです。ということは、全体としての国民を拘束するどのような基本法も社会契約も存在しないし、また存在できないということになります。といっても、社会契約の内容に反するものでないかぎり、他の国に対する契約によって自分自身を拘束することはできます。外国との関係においては、市民共同体も一個の存在つまり個人と同じものになるからです。

3. とはいっても、主権者である市民共同体の存在はひとえに社会契約が神聖不可侵であるということにかかっているため、たとえ外国に対する義務を負う場合でも、最初に作られた社会契約を損なうよう義務を負うことはできません。例えば自己の一部を譲渡したり、他の主権者に自己を従属させるような約束はできないのです。現在の主権者を誕生させた契約を破るなどということは、主権者自身の自己否定になってしまいます。そして、社会契約が無に帰してしまえば、主権者の存在もまた無に帰してしまうのです。

4. このようにして大勢の人間が社会契約で一つの共同体として団結したのちは、その構成員を傷つける行為があればそれは即ち共同体を傷つける行為であり、逆に共同体を傷つける行為があればそれは即ちその個々の構成員を傷つける行為となります。つまり、共同体とその構成員というこの二つの契約当事者は互いに助け合わねばならず、それが双方にとっての義務でありまた利益となるのです。つまり、共同体の中では同じ人間が二重の役割をもっており、その一方から得た利益は全てをもう一方から得た利益と結びつける義務があるのです。

5. さて、主権者はこれを形成する個人の集まりで成り立っていますから、主権者は個人の利益に反するようなことには関心がないし、また関心があるはずがありません。ですから、最高の権力者は一般民衆に対して担保を差し出す必要はまったくないのです。なぜなら、共同体がその全ての構成員を傷つけようとすることなどあり得ないからです。また、後に第二巻の法律の章で述べるように、共同体は特定のどの構成員を傷つけることも出来ないのです。そもそも主権者たるものは、それが主権者であるというただその一事によって、それがあるべき存在であることが保証されているのです。

6. しかし、主権者が一般民衆を傷つけることはないとは言えても、その逆が真であると言うことはできません。個々の国民に契約を遵守させる何らかの方法が存在しないかぎり、国民は、それが共通の利益につながるにもかかわらず、必ず契約を遵守するとは言えないからです。

7. なぜなら各個人は、みな市民としては全体の意志を共有していますが、人間としては、全体の意志に反する、あるいは、それとは異なる個人的な意志を持っている場合があるからです。人は個人的な利益のために、全体の利益に反する行動をとることがあるのです。本来人間は別々に暮らしており、また生まれつきの気儘な自由をもっているため、公の義務を不当なサービスであると考える人も出てきます。この義務を果たすのは自分にとっては大きな負担だが、自分一人ぐらいこの義務を果たさなくても全体にとっては大した損害にはならないはずだと、考えるわけです。また国家という人為的な人格などは単なる架空の存在で本当はそんな人はいないのだと思う人も出てくるでしょう。そんな人たちはきっと市民としての権利の行使には熱心でも、一般民衆としての義務の方は全く省みないということになってしまうでしょう。この種の不正の蔓延は市民共同体の崩壊へつながるのです。

8. それゆえ、社会契約が実態のない形だけのものになることを避けるために、全体の意志に従おうとしない者はこれに従うように共同体によって強制されるということが、暗黙の了解として契約の中に含まれているのです。この了解があってはじめて他のあらゆることが有効になります。全体の意志に従うことを強制されると言っても、それは自由を奪われることではなく、自由を保つことを強制されるということなのです。なぜなら、市民が自分を国に委ねてあらゆる私的な従属関係から解放されるためには、自由を保っていなければならないからです。また、市民が自由を保っていてはじめて、政治機構を巧みに運用することが可能となるのであり、社会契約はその正当性を保ちうるのです。もしこれがなければ、社会契約は不合理なもの、独裁的なものとなり、甚だしい悪用を免れないでしょう。

117、《短小tinko》
2019-01-12 19:20:18
ID:89AUxsM.(sage)

第八章 市民共同体

 

1. 人間の生活形態が自然状態から市民共同体へと移行するとともに、人間自身も大幅な変化を遂げます。人はもはや本能のままに行動することをやめて、正しさを行動の指針として考えるようになります。その行動は以前とは違って道徳的色彩を帯びたものとなるのです。そして、人間が肉体の衝動ではなく義務感に、また欲望ではなく正義感に従って行動するようになると、最早これまでのように自分のことだけを考えるのではなく他の原則にも従わねばならないと感じるようになります。そうなると、好き嫌いを重視することをやめ、理性の声に耳を傾けるようになります。市民共同体の中に暮らす人間は自然状態がもたらす利益を捨てることにはなりますが、その代わりに手に入れた利益は失ったものよりも遥かに大きいのです。様々な能力が開発され鍛練を受けて、知力は増大し感性は洗練されるでしょう。こうして人間に全人格的な高まりがもたらされる結果、この新たな境遇を悪用して元の自分以下の人間へと堕落するようなことが頻発しないかぎり、人類は自然状態から永久に脱皮したこの瞬間を、すなわち、愚かでしかも限界のあるけだものから知的生物つまり人間に生まれ変わった幸福なこの瞬間を、賛美し続けることでしょう。

2. ここで、市民共同体の生活に移行して得たものと失ったものとを簡単に比較するために、損得を整理してみましょう。まず社会契約を結ぶことで人間が失ったものは、生まれつきの気儘な自由でしょう。また、かつては自分の気に入ったもの、自分の手が届くものなら何でも好き勝手に自分のものにする権利がありましたが、それが今はありません。それに対して、社会契約によって人間が手に入れたものは、市民としての自由であり、財産に対する合法的な所有権です。ここで、自然状態と市民共同体の比較において誤りなきを期するために、生まれつきの気儘な自由と市民としての自由を明確に区別しなければいけません。生まれつきの気儘な自由は個人の力のおよぶ限り広がる果てしの無い自由ですが、市民としての自由は全体の意志によって制限される自由です。また、占有と所有の区別も必要です。占有は力の結果であり、いわゆる「先占取得権」だけに基づいているのに対して、所有は合法的な権利証に基づいていなければならないものです。

3. そのほかに市民共同体の成立とともに人間が手に入れるものとしては、精神の自由を挙げてもよいと思います。この精神の自由は人間が自分で自分を支配するためには無くてはならないものです。なぜなら、肉体的な欲望のみによって支配されている人間は奴隷に等しいものであり、自分が決めた法律に従うことによってはじめて精神的な自由を手に入れることができるからです。しかしながら、この問題についてはこれ以上ここで述べる必要はないでしょう。それに「自由」という言葉の哲学的意味をここで論じるつもりはありません。

 

118、《短小tinko》
2019-01-12 19:20:59
ID:89AUxsM.(sage)

第九章 土地の所有権について

 

1. 共同体の構成員は、共同体が成立するときに全ての自分を共同体に委ねますが、それは、自分自身と自分がもっている全ての力を与えることで、そこには財産も含まれます。これは本質的には何の変化もなく、これまでの個人の財産が、社会契約によって人手に渡ってしまったり、主権者の所有になるという意味ではありません。そうではなくて、個人の力と比べると国の力の方が桁違いに大きいため、共同体による占有が個人の占有よりも実際上もはるかに安全で確実であるということにすぎず、こうしたからといって以前よりも合法性が増すというわけではありません。国外の人間に対しては特にそうです。なぜなら、国家対国民のレベルでは、国家は社会契約によって国民のあらゆる物の管理者になるのですが、社会契約が他の全ての権利の基盤として効力を発揮するのは国家の内側のことでしかありません。国家対国家のレベルになると、国家は国民から引き継いだあの「先占取得権」に基づいて占有するだけなのです。

2. この「先占取得権」は「強者の権利」よりもまだましですが、所有権が確立されるまでは真の権利としては認められません。自然な状態では人は誰でも自分が必要とするものの全てに対して権利を持っていますが、社会契約によって明確にある財産の所有者になるということは、それ以外の全ての物に対する権利をあきらめるということなのです。自分の取り分を決めるということは、そこに権利を限定するということであり、共有物に手を出す権利を失うということなのです。こうして所有権が確立してはじめて、自然な状態ではさして強力ではなかった「先占取得権」は、市民共同体の中で全ての人から尊重されるものになるのです。つまり、人はこの権利に従って他人のものを尊重するというよりは、自分の物でないものを尊重するのです。

3. 原則として、土地に関する先占取得権を正当化するには以下の三つの条件を満たさなければいけません。第一にその土地に他の先住者がいないこと、第二に生活に必要である以上の土地を支配しないこと、第三に根拠のない儀式によってではなく、実際に土地を耕して開墾することによって土地を占有していること、この三つです。最後の条件は合法的な権利証の存在しない場合にも、その土地の所有権が他人から尊重されるべきであることを示す唯一の証拠です。

4. 実際、その土地を必要としそこを開墾することで「先占取得権」を認めるということは、この権利をどこまでも拡大するのとはまったく異なるのです。上記の条件によってまさにこの権利は制限することができるのです。つまり、誰のものでもない土地に足を踏み入れただけで、すぐさま自分のものだと主張することはできないのです。一瞬でもその土地から人を追い出しさえすれば、彼らがそこに戻ってくる権利を奪ったことにはならないのです。広大な領地を占領して他の人間が入り込めないようにすることは、ほとんど犯罪的な略奪行為にほかなりません。なぜなら、それはまさに自然が公平に全人類に与えた食物と住みかを他の人類から奪って自分だけのものにすることだからです。

 ニュネス・バルボア〔1475~1519〕が南アメリカの岸辺に立って太平洋と南アメリカの領有をスペイン王の名において宣言しても、それだけで先住民を追い出して全世界の王たちの権利を否定することなどできなかったのです。もしそんなことができたら、そのような無意味な儀式は際限なく繰り返され、スペイン王は王室に居ながらにして全世界を簡単にその手中に収めることができたでしょう。しかし実際のところは、そうして手に入れた領土のうち、先に他国の王に占領されていたものは間もなく全て手放さざるを得なかったのです。(注:この節は反語表現の連続なので、全部裏返して訳した)

5. ここからわかるように、国の領土などというものは個人の土地が合わさって一体となった時にはじめて成立するものなのです。そうすると主権者の権限は一般民衆だけでなく彼らの所有する土地にまで広がっていきます。こうして、主権すなわち統治権は人と土地の両方に及ぶことになるのです。この結果、民衆はますます主権者の保護を当てにするようになる一方で、民衆の方も力を結集して、主権者に対して忠誠をつくすようになるのです。

 古代の王たちは人だけでなく土地も支配することの利点に気づかなかったのでしょうか。彼らは自分たちのことをペルシャ人の王とかスキタイ人の王とかマケドニア人の王なとど呼んでいたのです。ということは、彼らは自分たちのことを国の王であるよりむしろ人々の王であると思っていたことになります。その点現在の王たちは抜け目がありません。彼らは自分たちのことをフランス王とかスペイン王とかイギリス王などと呼んでいます。彼らは土地を支配することで、その住民に対する支配を確実なものにしているのです。

6. 社会契約における譲渡の特徴は、共同体は、個人の財産を受け取ることで、個人を丸裸にしてしまうどころか、財産の合法的な所有を保証してくれるという点です。つまり、それは略奪して得た結果を正当な権利に変え、たまたま持っていたものを法的な所有物に変えてくれるのです。各所有者は国の財産を預かっていると見なされるため、所有者の権利は国家の他の全構成員から尊重されます。また外国の侵略に対しては、力を合わせて守ってくれるのです。人々はこの譲渡によって、いわば譲渡した全てのものを獲得するのですから、この譲渡は国にとっては有利なだけでなく、自分自身にとってはさらに有利なことなのです。譲渡することによって獲得するとは一見矛盾しているようですが、この矛盾は、同じ土地に対して主権者が行使できる権利と各所有者が行使できる権利とは同じではないことで簡単に説明できることです。しかし、これについては後でまたお話ししましょう。

7. また、人々が財産を全く所有していない時から団結を始めることがあるかもしれません。その場合は、全員が住めるような大きさの土地を手に入れることになりますが、その土地は共有にするか、公平に分配するか、それとも主権者の定める割合で分配されることでしょう。土地の取得の仕方はこのいずれの場合でも、その土地に対する個人の権利は、常に全ての土地に対する共同体の権利に従属するものとなります。というのは、もしそうしなければ、共同体のつながりはもろいものとなり、主権の行使も真の威力を持たないものとなってしまうからです。

8. この章とこの巻を終える当たって、あらゆる社会制度の基本として役立つことを一つ申し上げましょう。それは、社会契約とは、人々が生まれつき平等であることを否定するどころから、その反対に、自然が人類に課した肉体的な不平等の代わりに精神的な平等と法的な平等を与えるものなのです。つまり、人々は、腕力や知能では全員が平等でなくても、社会契約と法律によって全員が平等になれるのです。

 

第一巻終了

119、《短小tinko》
2019-01-12 19:21:09
ID:89AUxsM.(sage)

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120、《短小tinko》
2019-01-12 19:24:17
ID:89AUxsM.(sage)


つれづれなるまゝに、日くらし、硯(スズリ)にむかひて、心に移りゆくよしなし事(ゴト)を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

*第一段

いでや、この世に生れては、願はしかるべき事こそ多(オホ)かンめれ。

御門(ミカド)の御位(オホンクラヰ)は、いともかしこし。竹の園生(ソノフ)の、末葉(スヱバ)まで人間の種(タネ)ならぬぞ、やんごとなき。一の人の御有様はさらなり、たゞ人(ビト)も、舎人(トネリ)など賜はるきはは、ゆゝしと見ゆ。その子・うまごまでは、はふれにたれど、なほなまめかし。それより下(シモ)つかたは、ほどにつけつゝ、時にあひ、したり顔なるも、みづからはいみじと思ふらめど、いとくちをし。

法師ばかりうらやましからぬものはあらじ。「人には木の端のやうに思はるゝよ」と清少納言(セイセウナゴン)が書けるも、げにさることぞかし。勢(イキホヒ)まうに、のゝしりたるにつけて、いみじとは見えず、増賀聖(ソウガヒジリ)の言ひけんやうに、名聞(ミャウモン)ぐるしく、仏の御教(ミオシヘ)にたがふらんとぞ覚ゆる。ひたふるの世捨人(ヨステビト)は、なかなかあらまほしきかたもありなん。

人は、かたち・ありさまのすぐれたらんこそ、あらまほしかるべけれ、物うち言ひたる、聞きにくからず、愛敬ありて、言葉多からぬこそ、飽かず向(ムカ)はまほしけれ。めでたしと見る人の、心劣りせらるゝ本性見えんこそ、口をしかるべけれ。しな・かたちこそ生れつきたらめ、心は、などか、賢きより賢きにも、移さば移らざらん。かたち・心ざまよき人も、才(ザエ)なく成りぬれば、品(シナ)下り、顔憎さげなる人にも立ちまじりて、かけずけおさるゝこそ、本意なきわざなれ。

ありたき事は、まことしき文(フミ)の道、作文(サクモン)・和歌(ワカ)・管絃(クワンゲン)の道。また、有職(イウショク)に公事(クジ)の方、人の鏡ならんこそいみじかるべけれ。手など拙(ツタナ)からず走り書き、声をかしくて拍子とり、いたましうするものから、下戸(ゲコ)ならぬこそ、男(ヲノコ)はよけれ。

*第二段

いにしへのひじりの御代(ミヨ)の政(マツリゴト)をも忘れ、民の愁(ウレヘ)、国のそこなはるゝをも知らず、万(ヨロヅ)にきよらを尽していみじと思ひ、所せきさましたる人こそ、うたて、思ふところなく見ゆれ。

「衣冠(イクワン)より馬・車にいたるまで、あるにしたがひて用ゐよ。美麗を求むる事なかれ」とぞ、九条(クデウ)殿の遺誡(ユイカイ)にも侍(ハンベ)る。順徳院の、禁中(キンチュウ)の事ども書かせ給へるにも、「おほやけの奉(タテマツ)り物は、おろそかなるをもッてよしとす」とこそ侍れ。

*第三段

万(ヨロヅ)にいみじくとも、色好まざらん男は、いとさうざうしく、玉の巵(サカヅキ)の当(ソコ)なき心地ぞすべき。

露霜(ツユシモ)にしほたれて、所定めずまどひ歩(アリ)き、親の諫(イサ)め、世の謗(ソシ)りをつゝむに心の暇(イトマ)なく、あふさきるさに思ひ乱れ、さるは、独り寝がちに、まどろむ夜なきこそをかしけれ。

さりとて、ひたすらたはれたる方にはあらで、女にたやすからず思はれんこそ、あらまほしかるべきわざなれ。

121、《短小tinko》
2019-01-12 19:32:29
ID:qwmJsiRo(sage)

晦日(つごもり)、郭公(ほととぎす)、頭(かしら)、実(げ)に、衣(きぬ)、答(いら)へ、児(ちご)、装束(さうぞく)、
返事(かへりごと)、除目(ぢもく)、数多(あまた)、乳母(めのと)、方(かた)、辺(わた)り、蓬(よもぎ)、門(かど)、単衣(ひとへ)

122、《短小tinko》
2019-01-12 19:33:26
ID:89AUxsM.(sage)

春は曙、空はいたく霞みたるに、やうやう白くなりゆく山際の少しづつ明かみて、紫だちたる雲のほそく棚引きたる、などいとをかし。

 夏は夜、月の頃はさらなり。闇もなほ蛍多く飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くも、いとをかし。雨のどやかに降りたるさへこそをかしけれ。

 秋は夕暮、夕日のきはやかにさして、山の葉近う見えわたるに、烏の寝に行くとて、三つ四つ二つなど飛び行くもあはれなり。まして雁の多く飛び連ねたる、いと小さく見ゆるは、いとをかし。日入り果てて後、風の音、虫の声、はた言ふべきにもあらずめでたし。

 冬はつとめて。雪のふりたる、さらにもいはず。霜のいと白きも、又さらねどいと寒きに、火など急ぎおこして、炭もて歩りきなどするを見るも、いとつきづきし。昼になりぬれば、やうやうぬるびもてゆきて、雪も消え、炭櫃(すびつ)火桶の火も白き灰がちになりぬれば悪ろし。

2        2
 頃は、正月、三四月、五月、七八月、九十月、十一月、全てみな折りにつけつつ、いとをかし。

3
 せちは五月五日、七月七日、九月九日もをかし。

4        226
 降るものは、時雨、霰(あられ)、雪。さてはまた五月の四日の夕つ方より降る雨の、五日のつとめて、いと青やかなる軒(のき)の菖蒲(あやめ)のすそより落つるしづく。蓬の香り合ひていとをかし。

5         185
 風は、嵐、木枯らし、二三月ばかりの夕つ方(がた)、ゆるく吹きたる雨風(あまかぜ)、また八月ばかりの雨にまじりて、冷ややかに吹きたる風をかし。

6
 霧は、川霧。

7        44
 木の花は、梅。まして、紅梅は薄きも濃きもいとをかし。桜は、花びら大きに、葉の色いと濃きが、枝細くてかれはなに咲きたる。藤のしなび長く色濃く咲きたる、いとをかしうめでたし。

 四月晦日、五月一日(ついたち)頃の橘の葉はいと濃く青きに、花はいと白く咲きて、雨うち降りたるつとめては、なべてならぬ様にをかし。花の中より実の黄金(こがね)の玉と見えて、いみじう際やかに見えたるなどは、春の朝ぼらけの桜にも劣らずとおぼゆる。郭公のよすがとさへ思へば、なほさらに言ふべきにもあらず。

123、《短小tinko》
2019-01-12 19:35:42
ID:89AUxsM.(sage)

梨の花は、世にすさまじくあやしきものにて、はかなき文うち付けなどもせず。愛敬(あいぎやう)おくれたる顔など、うち見ては、たとひに人の言ふも、げに色よりはじめて、あはひなくすさまじければ、ことわりと思ひしを、唐土(もろこし)にめでたきものにして、文(ふみ)にも多く作りたるを、さりともあるやうあらむと思ひて、せめて見れば、花びらの先に、をかしき匂ひこそ、心もとなう付きためれ。楊貴妃の帝(みかど)の御使ひに会ひて泣きける程の匂ひに譬へて、「梨花一枝春帯雨」と言ひたるは、おぼろげならじと覚ゆるに、よろづの花よりはめでたし。

 桐の花は、紫に咲きたるはをかしきを、葉のひろごりたる様ぞ、うたてくこちたき。されど異木(ことき)どもに等しう言ふべきにはあらず。唐土にてことごとしき名付きたらむ鳥の、これにしも住むらむ心ことなり。まして琴に作りて、さまざまなる音どものいでくるは、をかしとも世の常にも言ふべきにやある。

 また、木の様ぞ憎けれども、楝(あふち)の花、いとをかし。異木の花には似ず、いと稀に咲きて、必ず五月五日にあふ心、いとをかし。

8        47
 花の木ならぬは、五葉(ごえふ)、かつら、柳。柧梭(そば)の木、しななき心地したれど、花の木どもも散りはてて、おしなべて緑になりたる中に、時も分かず、濃き紅葉(もみぢ)の艶(つや)めきて、思ひかけず青き葉の中よりさし出でたる、めづらし。まゆみ。

 さか木、臨時の祭の御神楽(みかぐら)の折りなど、いとをかし。木しもこそあれ、神の御前のものと生(お)ひ始めけむも、とりわきてかしこし。

 楠木は、木立多かる所にも、ことに交らひて立たず、おどろおどろしき思ひやりなどうとましけれど、千枝に分かれて、恋する人の例(ためし)に言はれたるぞ、誰かは数を知りて言ひはじめけむと思ふにをかし。

 檜の木、またけぢかからねど、「三葉(みつば)四葉(よつば)の殿作り」にも、これこそはつまと思ふにいとをかし。五月に雨の声をまねぶらむもあはれなり。

 楓(かへで)の木、若やかに萌え出でたる葉末(はずゑ)の同じ方様(かたさま)へさし広ごりたる、花もいとはかなげに、虫などの枯れつきたるに似て、をかし。

124、《短小tinko》
2019-01-12 19:37:26
ID:89AUxsM.(sage)

あすはひ(=明日檜)の木、この世に近くも見ず聞こえず。御嶽(みたけ)に参りて帰りたる人などぞ持て来める、枝ざしなど、袖ふれ憎げにあらましけれど、なにの心にて、あすはひの木と付けけむ。あぢきなき予言(かねごと)なりや。誰か頼めたるにかと思ふに、聞かもほしうをかし。

 ねずもちの木、人々しう、人並々なるさまにはあらねど、葉のいみじう細かに小さきがをかしきなり。楝(あふしち)の木。山梨の木。

 椎の木。常磐木(ときはぎ=常緑樹)は、いづれもあるを、それしも、葉(<は>[た])がへせぬ例(ためし)に言はれたる、をかし。

 白樫(しらかし)といふもの、深山木(みやまぎ)の中にもいとけどほくて、二位三位の袍(うへのきぬ)染むる折りこそ、葉をだに人の見るめれ。をかしき事にとり出づべくもあらねど、雪の置きたるに見まがへられて、素戔嗚尊(すさのをのみこと)の出雲の国へおはしける御供にて、人丸が詠みたる歌など思ふに、いみじうあはれなり。言ふ事につけても、一節(ひとふし)あはれともをかしとも聞きおきつる物は、草も木も鳥・虫も、おろかにこそ覚えね。

 楪(ゆづるは)のいみじう艶めき房やぎたる葉はいと青く清げなるに、思ひかけず似るべくもあらぬ茎の赤うきらぎらしう見えたるこそ、あやしけれどをかしけれ。なべての月頃は、つゆ見えぬものの、師走の晦日にのみ時めき、亡人(なきひと)の食ひ物に敷くを見るがあはれなるに、またたとしへなく祝ひの折り、歯固(はがため=新年の行事)の具にも敷きて使ひためるは、いかなるにか。「紅葉(もみぢ)せん世や」と言ひたるもたのもし。

 柏木、いとをかし。葉のまだ小さき折りより、葉守(はもり)の神のおはしますらむもかしこし。兵衛督佐尉(ひやうゑのかみすけぞう)などをもさ(=柏木と)言ふ、いとをかし。

 姿なけれど、棕櫚(すろ)の木、唐(から)めきて、わろき家の具とは見えず。何となけれど、やどり木といふ名は、かなだちていとをかし。

9        70
 草の花は、なでしこ。唐(から)のは更なり、大和(やまと)のもいとをかし。女郎花(をみなへし)。桔梗(ききやう)。朝顔。刈萱(かるかや)。菊。壷(つぼ)すみれ。

 竜胆(り<ゆ>うたん)は、枝ざしなどぞむづかしげなれど、他花(ことばな)のみな霜枯れたる中より、いと花やかなる色合ひにて、さし出でたる、いとをかし。

 また、わざと取り立てて、人めかすべきにはあらぬ様なれど、かまつかの花、らうたげなり。名ぞうたてある。雁(かり)の来る花とぞ文字には書きたる。がむひの花。色は濃からねど、藤の花にいとよく似て、春秋と二たび咲く、いとをかし。

 夕顔の花は様も朝顔に似て、言ひ続けたるもをかしかりぬべきを、葉の姿ぞ憎きや。実の様こそいと口惜しけれ。などかさはた生ひ出でけむ。ぬかづき(=ほほづき)などいふ物のやうにだにあれかし。されどなほ夕顔といふ名の付きそめけむいとをかし。しもつげの花。葦の花。

 「これに薄(すすき)を入れぬ、いとあやし」と人いふなり。秋の野のおしなべたるが、をかしさには、薄こそあれ。末(すゑ)のいと濃く蘇枋(すはう)にて朝霧に濡れて、うち靡(なび)きたるは、さばかり(=これほど)の物やはある。されど秋の終(はて)ぞいと見所なき。色々に乱れ咲きたりし花の、かたもなう見所なう散りにたる後(のち)、冬の末まで、頭の白く、おほどれたるも知らず。昔思ひ出で顔に、風になみよりひびろぎ立てるめる人にこそ似たれ。よそふる心ありて、あやまりてそれをしもぞあはれと思ふべけれど、いさや。

10        67
 花なき草は、菖蒲(さうぶ)。菰(こも)。葵(あふひ)、いとをかし。祭の折りに、神代よりして、さる挿頭(かざし)となりけむよりはじめ、物の様もをかしきなり。

 おもだかは、心あがりしたらむと思ふ名のいとをかしきなり。三稜草(みくり)。蛇床子(ひるむしろ)。苔。こたに。日かげ。雪間の若草。かたばみは、綾の紋にてあるも、をかし。

125、《短小tinko》
2019-01-12 19:37:53
ID:89AUxsM.(sage)

あやふ草、岸の額(ひたび)に根を離れて、実にたのもしげなうあはれなり。いつまで草は、壁に生ふらむまたいとはかなうあはれなり。岸の額よりも、いま少しくずれやすからむかし。真(ま)と(=まこと)の石灰ぬりたらむには、え生ひずやあらむと思ふこそいとわろけれ。ことなし草は、思ふ事をなすにやあらむと思ふこそいとをかしけれ。

 しのぶ草、いとあはれなり。道芝、茅花(つばな)、蓬なども、いとをかし。山菅(やますげ)。山藍(あまあゐ)。浜木綿(はまゆふ)。葛(くず)。笹。青つづら。なづな。苗(なへ)。浅茅(あさぢ)、いとをかし。

 蓮(はちす)は、よろづの草よりも世にすぐれてめでたし。妙法蓮華経のたとひにも、花は仏に奉り、実は数珠(ずず)につらぬき、念仏して往生極楽の縁とすればよ。また、花なき頃、みどりなる池の水に、紅(くれなゐ)に咲きたるもいとをかし。されば翠翁紅(すいをうこう)と文字に作りたるこそ。

 唐葵(からあふひ)、日の影に従ひて傾(かたぶ)くこそ、草木といふべうもあらぬ心なれ。さしも草。八重葎(やへむぐら)。

 つき草は、うつろひやすなるぞうたてある。

11        48
 鳥は ほかの鳥なれど、鸚鵡(あふむ)いとをかし。人の言ふらむ事をまねぶらむよ。郭公いとめでたし。くゐな。しぎ。都鳥。ひは。ひたきどり。

 山鳥(やまどり)は、友恋ひて鳴くに、かげを見て慰むらむこそ、心若うあはれなれ。谷を隔てたらむ程も心苦し。鶴は、見目(みめ)もなつかしらず。おほのかに、うちなき様なれど、沢にて鳴く声の雲井に聞こゆなる程思ひやるにいとけだかし。頭(かしら)赤き雀。斑鳩(いかるが)の雄鳥(をとり)。たくみ鳥。川千鳥(かはちどり)の友まどはすらむいとあはれなり。

 鷺(さぎ)は、見目も見苦しう、眼(まなこ)ゐなども恐ろしげに、よろづ取り所なけれれど、「ゆるぎの森に一人は寝じ」と争ふらむ心ぞ捨て難き。

 雁の声は近劣りすれど、秋待ちえて霧の絶え間にほのかに聞きつけたる、いとをかし。また、冬のいと寒き夜など雲井に鳴きたるも、羽(はね)の霜払ふらむほど思ひやられていとをかし。

 鶯は、さまかたちよりはじめ美しう。初めて谷より出でたる声などは、かばかりあてにめでたき程よりは、夏秋の末までありて、白声(しらこゑ、←前田本「同じ声」→三巻能因本「おい声」)に鳴くと内裏(だいり)のうちに住まぬとぞ、いと悪ろき。人の「さなむある」と言ひしを、さしもあらじと思ひしに、十年ばかり候(さぶら)ひて聞きしに、まことにさらに音せざりき。さるは竹も近う紅梅もいとよく通ひぬべき枝のたよりなめりかし。まかでて聞けば、あやしき家の見所なき梅の木などには、いと花やかにぞ鳴き出でたるや。また、夜鳴かぬもいといぎたなき心地す。

126、《短小tinko》
2019-01-12 19:38:22
ID:89AUxsM.(sage)

郭公は、あさましう待たれ待たれて、いみじう夜深ううち出でたる心ばへこそ限りなう目出度(めでた)けれ。六月などには、やがて音せずかし。それも雀などのやうにてのみあらば、鶯もさしも悪ろくもおぼえじかし。春の鳥とて、年たち返る朝(あした)より、まづ待たるるものなれば、少し思はずなる所のあるも、かく口惜しうもおぼゆるなり。人をも人げなく、世のおぼえあなづらはしうなりそめにたるをば、謗(そし)りやはする。

 鳥の中にも、鳶、烏などのことをば、見聞き入るる人なし。これはなほ文などに、いみじうつくられたる物なれば、程よりはと思ふに、なほ心ゆかぬ心地するなり。

 をかしなどの方にはあらねど、にはとりの子の小さき程こそあはれなれ。

12        50
 虫は、松虫。鈴虫。きりぎりす。はたおり。蝶(てふ)。われから。ひぐらし。蛍。ひを虫。

 蓑虫、いとあはれなり。鬼の生みければ、親に似て、これもや恐ろしき心あらむとて、男親(をおや)の、あやしき衣をひき着せて、「いま秋風吹かむ折りぞ来むとするまでよ」と言ひおきて、往(い)にけるをさも知らず、風の音(おと)を聞き知りて、八月(はづき)ばかりになれば、「ちちよ、ちちよ」とはかなげに鳴く、いとあはれなり。

 額(ぬか)づき虫、またあはれなり。さる心地に道心を起こして、つき歩りくらむよ。思ひもかけず暗き所などに、ほとほとと、し歩りきたるこそをかしけれ。

 夏虫、いとらうたげなり。火近う取り寄せて物語(ものがたり)など見るに、草子(さうし)の上に飛び歩りくさま、いとはかなびてをかし。

 蟻は、憎けれど、身の軽ろくて水の上などに、ただ歩りくこそをかしけれ。

13        11
 山は、小倉山。三笠山。このくれ山。いりたち山。わすれ山。かたさり山こそ、誰に所置(ところお)きけるにかとをかしけれ。五幡山(いつはたやま)。かへる山。後瀬山(のちせやま)。まゆみ山。笠取山(かさとりやま)。ひらの山。鳥籠(とこ)の山は、「わが名もらすな」と帝(みかど)の詠ませ給ひたるがをかしきなり。伊吹の山。朝倉山は、よそに見るらむいとをかし。大比礼山(おほひれやま)、をひれ山も、臨時の祭思ひ出でられてをかし。三輪の山。待兼山(まちかねやま)。玉坂山(たまさかやま)。耳無山(みみなしやま)。嵐の山。葛城山。位山(くらゐやま)。更級山(さらしなやま)。小塩山(をしほやま)。吉備の中山(きびのなかやま)。

14        12
 峰は、ゆづるはの峰。阿弥陀(あみだ)の峰。弥高(いやたか)の峰。

15        196
 野は、嵯峨野さらなり。印南野(いなびの)。交野(かたの)。こま野。飛火野(とぶひの)。しめし野。宮城野。粟津野(あはずの)。紫野(むらさきの)。そうけい野こそすずろにをかしけれ。などさはつけけるにかあらむ。

16        13
 原は、奈志原(なしはら)。甕の原(みかのはら)。あたの原。その原。うな<ゐ>[ひ]こが原。篠原(しのはら)。萩原(はぎはら)。こひ原。

127、《短小tinko》
2019-01-12 19:39:11
ID:89AUxsM.(sage)

岡は、船岡。しのびの岡。

18        115
 森は、うへの木の森。石田(いはた)の森。仮寝(うたたね)の森。いはせの森。大荒木(おほあらき)の森。たれその森。立聞(たちきき)の森。浮田(うきた)の森。こひの森。信太(しのだ)の森。木幡(こばた)の森。

19        66
 里は、ながめの里。ねざめの里。ひと<つ>まの里。たのめの里。夕日の里。十市(とほち)の里。長井の里。つまどりの里は、人にとられたるにやと、いとをかし。伏見の里。生田の里。

20        223
 駅(むまや)は、梨原(なしはら)の駅。野口(のぐち)の駅。

21        114
 関は、逢坂(あふさか)の関。須磨の関。くきたの関。白川の関。はばかりの関、衣(ころも)の関。勿来(なこそ)の関。清見が関。横はしりの関。みるめの関。ただこえの関、はばかりの<関>[何]は、たと<し>へなきがをかしきなり。また、よしなよしなの関こそは、いかに思ひ返してけるぞと、いと知らまほし。これを「な来(こ)そ」とは言ふにやあらむ。逢坂などをかく思ひ返されたらむこそ、佗(わび)しかるべけれ。

22        17
 陵(みささぎ)は、しよろう(=「諸陵」とすれば注釈の言葉が本文に入つたか)。うぐひすの陵(みささぎ)。柏原(かしはら)の陵。あめの陵。

23        18
 渡(わたり)は、たまづくりの渡。しかすがの渡。みつはしの渡。こりずまの渡。

24        65
 橋は、あさむづの橋。長柄(ながら)の橋。あまひこの橋。浜名の橋。小川の橋。かけばし。うたたねの橋。轟(とどろき)の橋。佐野の船橋。<小>[水]野の浮橋。鵲(かささぎ)の橋。山菅(やますげ)の橋。ゆきあひの橋。人は見ぬものなれど名を聞くにをかしきなり。一筋渡したる棚橋。心狭(せば)けれどをかし。

25        16
 海は、水うみ。与謝の海。川口の海。伊勢の海。<よ>[か]この海(=余呉の海)。

26        188
 島は、浮島。八十島(やそしま)。たはれ島。豊浦(とよら)の島。籬(まがき)の島。松が浦島。なと島。

27        189
 浜は、<そ>[う]と浜。吹上(ふきあげ)の浜。長浜。ちひろの浜、いかに広からむと思ひやらるるにをかし。打出(うちいで)の浜。

28        190
 浦は、塩竈(しほがま)の浦。名高(なたか)の浦。こりずまの浦。しのだの浦。

29        222
 川は、大井河。おとなし川。水無瀬川。飛鳥川、瀬も定めざなるこそ、をかしけれ。耳敏川(みみとがは)は、何事をさしもさくじり聞きけむと思ふにをかし。いづみ川。細谷川。

30        15
 淵は、かしこ淵、いかなる底の心を見え、さる名をつきたらむと思ふもをかし。ないりその淵、誰にいかなる人の教へけるならむ。青色の淵こそ又いとをかしけれ。蔵人などの具にしつべきよ。いな淵。かくれの淵。玉淵。のぞきの淵。

31        64
 滝は、音無の滝。布留(ふる)の滝は、法皇の御覧じにおはしましけむがめでたきなり。那智の滝は熊野にありと聞くがあはれなるなり。轟(とどろき)の滝、いかにかしがましかるらむ。

32        117
 出で湯は、ななくりの湯。有馬の湯。那須の湯。つかまの湯。ともの湯。

33        45
 池は、贄野(にへの)の池は、初瀬に詣でしに、水鳥の隙(ひま)なうゐてたち騒ぎしが、をかしく見えしなり。

 水なしの池こそ、あやしう、などかう付けたらむと問ひしかば、「五月など、全て雨いたう降らむとする折りは、この池に水といふ物なむなくなる。いみじう日照るべき年は、春のはじめに水などいと多く出づる」と言ひしを、「無下になく乾きてのみあらばこそ、さは言はめ、出づる折りもあなるを、一すぢにも付けけるかな」とぞ答(いら)へまほしかりし。

 猿沢の池は、采女(うねべ)の身投げたるを聞こしめして、行幸(みゆき)のありけむこそ、いとめでたけれ。「ねくたれ髪を」と人麻呂が詠みけむなど思ふに、言ふもおろかなり。

 御前の池も、何の心にて付けけるならむとゆかし。狭山(さやま)の池は、三稜草(みくり)といふ歌の、げにをかしう覚ゆるにやあらむ。こひぬまの池。原の池は、「玉藻な刈りそ」と詠みけむいとをかし。ますだの池。姿の池。

128、《短小tinko》
2019-01-12 19:43:42
ID:qwmJsiRo(sage)

 春は曙(あけぼの)、やうやう白くなりゆく、山際(やまぎは)すこし明かりて、紫だちたる雲の細く棚引きたる。

 夏は夜(よる)、月の頃はさらなり、闇もなほ蛍飛びちがひたる、雨などの降るさへをかし。

 秋は夕ぐれ、夕日はなやかにさして、山際いと近くなりたるに、烏(からす)の寝どころへゆくとて、三つ四つ二つなンど飛びゆくさへあはれなり。まいて雁などの連(つら)ねたるが、いとちひさく見ゆる、いとをかし。日入り果てて、風の音(おと)、虫の音(ね)なンど、いとあはれなり。

 冬は雪の降りたるは、言ふべきにもあらず。霜なンどのいと白く、またさらでもいと寒き。火なンど急ぎおこして、炭持て渡るも、いとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもてゆけば、炭櫃(すびつ)・火桶(ひをけ)の火も、白き灰がちになりぬるはわろし。15 


二 頃(ころ)は、正月(しやうぐわつ)、三月、四五月(しごぐわつ)、七月、八九月(はつくぐわつ)、十月、十二月、すべてをりにつけつつ、一年(ひととせ)ながらをかし。16 


三 正月(むつき)一日(ついたち)は、まいて空の景色(けしき)うらうらと珍(めづら)しく、霞(かすみ)こめたるに、世にあるとある人は、姿容(すがたかたち)心ことにつくろひ、君をも我身をも祝ひなンどしたるさま、殊(こと)にをかし。

 七日(なぬか)は、雪間(ゆきま)の若菜(わかな)青(あを)やかに摘(つ)み出(い)でつつ、例(れい)は、さしも、さる物目近(めぢか)からぬ所(=高貴な所)に、持てさわぎ、白馬(あをむま)見んとて、里人は車清(きよ)げにしたてて見にゆく。中の御門(みかど=待賢門)の戸閾(とじきみ=敷居)引き入るる程(ほど)、頭(かしら)ども一所(ひとところ)にまろびあひて、指櫛(さしぐし)も落ち、用意(ようい)せねば折れなンどして、笑ふもまたをかし。左衛門(さゑもん)の陣(ぢん)などに、殿上人あまた立ちなンどして、舎人(とねり)の馬どもをとりて(イ弓ども取りて馬ども)驚(おどろ)かして笑ふを、僅(はつか)に(=私たちが)見入れたれば、立蔀(たてじとみ)などの見ゆるに、主殿司(とのもりづかさ)、女官(によくわん)などの、行(ゆ)きちがひたるこそをかしけれ。いかばかりなる人、九重(ここのへ)をかく立ち馴らすらんなど思ひやらるる。内(うち)にも見るはいと狭(せば)きほどにて、舎人(とねり)が顔(かほ)の衣(きぬ=肌)もあらはれ、白き物(=おしろい)の行きつかぬ所は、真(まこと)に黒き庭に雪のむら消(ぎ)えたる心地して、いと見ぐるし。馬のあがり騒ぎたるも恐ろしく覚ゆれば、引き入られてよくも見やられず

129、《短小tinko》
2019-01-12 19:45:19
ID:qwmJsiRo(sage)

第10歌 願い事はほどほどに




 西はジブラルタルから東はガンジスまで広がるこの世界で、自分の心の迷いを吹き払って、本当の幸福とその正反対のことの違いを見分けることのできる人はまずいない。人が理性に従うかぎり、いったい何かそんなに恐いものが、また何かそんなに欲しいものがあるだろうか。がんばって願い事を叶えたところで、後になって後悔しないような、そんな確実な幸福をもたらす願い事がどこにある。願い事が叶ったおかげで、家族がすっかり崩壊してしまったという不幸な人は多い。平和なときも戦争のときも、人はいつも結局は自分を不幸にすることばかりを願っている。すらすらと流れるように話す弁論の技術は、しばしば本人にとって致命的になる。自分の腕力の強さを過信したために、命を落とした力自慢のレスラーの例もある。しかしながら、それよりも、人並み外れた努力によってせっせと貯め込んだ金の重みに押しつぶされたり、ブリタニアのクジラがイルカより大きいほどに、他人のどんな財産よりも大きな財産を貯め込んだおかげで、身を滅ぼした例ははるかに多い。金持ちのロンギノスの家も、セネカの広大な庭園も、ラテラヌスの立派な館も、あの恐ろしい時代にネロの命令で軍隊に占領された。兵隊がちっぽけな屋根裏部屋にやってくることはないものだ。たとえ小さく飾り気のないものでも、銀製品を携えた夜中の旅は、刃物と棍棒に対する恐怖に満ちたものになる。月影に映る葦の影の動きにさえ、ふるえ上がることだろう。手ぶらの旅人なら盗賊に出会っても鼻歌交じりでいられるはずだ。
 どこの神社でもお祈りといえばまずはお金だ。

 「お金が貯まりますように」

 「広場の誰よりも大きな金庫が持てるようになりますように」

 ところが、貧しい陶器にトリカブトの毒が盛られることはないけれども、金の杯に高級なワインが赤く燃え立つときや、宝石をちりばめた杯(さかずき)を手渡されたときには毒に対する用心が必要になる。

 ここまで聞けば、かの二人の哲学者が一歩自宅を後にして世間に目をやった途端に、一人(デモクリトス)は可笑しくてたまらず、もう一人(ヘラクレイトス)は反対に悲しくてたまらなかったわけが、もうお分かりだろう。もっとも、容赦なく世間を笑いの対象にして批判することは別段珍しいことではないが、ヘラクレイトスの目にどうして涙が貯まったのか不思議ではある。

 そのころの町には、真紅の縁取りをした神官服も、騎士の着る縞柄のローブも、執政官の権威を表わすファスケス(斧に縛り付けた棒の束)も、元老の奥様専用の豪華な駕籠(かご)も、法務官用の立派な判事席もなかったにもかかわらず、デモクリトスは腹の皮をよじらせて笑い続けた。いま法務官がローマの競技場の真ん中の土ぼこりの中で背の高い車の上に意気揚々として立っているところを見たら、デモクリトスはなんと言うだろう。その法務官の着ている上着はシュロの葉の縁取りがついたジュピターのチュニックで、肩からはトュロスの紫地に金の縁取りがつくカーテンのような式服(トガ)が下がり、頭には首がおれるほどの馬鹿でかい王冠が乗っかっているのだ。おまけに、この未来の執政官の慢心をいさめる役で同乗している奴隷が、その王冠を後ろから大汗かきながら支えているのである。それだけではない。この法務官の手には象牙の王笏が握られ、その上には一羽の鷲がとまっているのだ。また、車の前にはラッパ吹きの一団と、この法務官の庇護下にある者たちの長い行列が進み、さらには白い服を着たローマ市民の一団が馬の手綱を取っているという具合だ。しかも、この市民たちの財布は、この法務官の取り巻きになることでせしめた小遣いで膨らんでいる。

 デモクリトスは、自分の生きていた時代でさえ人間の集まる所どこであろうと、笑いの種を見つけ出した。人に立派な手本を示せるような第一級の人間が愚者の国アブデラの濁った空気の中にも生まれることを、この哲学者の知性は証明している。人々の悩みだけでなく、喜びも、ときには悲しみさえも彼は笑いの対象にした。運命の女神が悪い兆しを見せるときでも、女神に対して中指を立てて「くたばっちまえ」と言う男なのだ。

 願い事がこんなにも余計なものか危険なものなら、我々はいったいどんな願いを板に書いて神々の座像の膝に並べるべきなのだろう。

 権力者は往々にしてひどい妬みを買うために、転落の憂き目を見るものだ。要職を歴任した輝かしい経歴が、かえって命取りになる。

130、《短小tinko》
2019-01-12 19:47:56
ID:qwmJsiRo(sage)

鶴見訳で読むとおもしろいプルターク英雄伝

 プルターク英雄伝の面白さを知ることは現代の日本ではかなり難しくなっている。 

 英雄伝の日本語訳で現在入手できるものは、ちくま学芸文庫の三巻ものだけであるが、残念ながらこれに含まれるもので、一般の読者が読んで意味の分るものは少ない。

 上巻では、テミストクレスとアリスティデスとアルキビアデスの伝記の訳が読めるが他は読めない。中巻は全滅状態で途中で投げ出さざるを得ないものが大半だ。下巻はクラッスス、ポンペイウス、カエサルの伝記の訳が読めるがそれ以外はどうしようもない。

 ところがここに素晴らしい訳がある。それは鶴見祐輔氏(1885~1973)の訳(潮出版社の潮文庫)である。谷沢英一氏は「新プルターク英雄伝」(祥伝社)でプルターク (Plutarch 50頃-125頃) の面白さを紹介されているが、鶴見訳で読む英雄伝は実際あんなものじゃない。もうべらぼうに面白いのだ。

 ところが、この訳には欠点があって、英訳からの和訳のせいで固有名詞が英語風なのである。鶴見氏はテーバイと言うべきところをシーブスと言うの だ。また、人名にしても、ニキアスをニシアスというぐらいはまだいい。ところが、テセウスをシシアスと言ったり、リュクルゴスをライカガースと言うにい たっては、誰のことやらさっぱり分らないのである。

 さらにもう一つの難点は、誤植がやたらとあることだ。原稿から活字に起こした段階で起きたと思われる誤植がしばしばあって、どうも政治家としても 多忙だった鶴見氏はそれを校正しなかったらしい。だから、写植工の見間違いから生じたと思われる誤字がまま見受けられるのである。例えば、「絶無」という べきところを「絶望」としたり、「地」を「他」としたり、「敵意」を「敬意」としたり、てにをはを間違えたりと、訳者本人なら間違うはずのないところを間 違っている。そのほかに訳者自身のものと思われる当て字も結構ある。

 最近(2000年12月)潮出版社からこの鶴見訳の『プルターク英雄伝』の中から有名な人物だけを選んで集めたものが出版された。そこでは、多く の漢字に読みがながつけられ、また明らかな誤植は改められている。しかし、残念ながら、それでもまだ、あきらかな誤植がたくさん残っている模様である。 (例えば、『アレキサンダー』の197頁で「儲君〔世継ぎのこと〕」とあるべきところが「諸君」のままになっているし、253頁では「それほど」とあるべ きところが「そかほど」となっている)

 しかしそれらの障害を乗り越えさえすれば、この訳書の中に、まさにプルタークがギリシャ語で書き表そうとした世界が再現されているのを見ることが出来る。わたしはこの障害を乗り越えるために、岩波文庫の『プルターク英雄伝(全十二冊)』を補助として利用した。

 この岩波版英雄伝は歴とした原点からの訳であって、固有名詞は全てギリシャ語読みになっている。しかも、それらには詳しい説明がついている。その意味で非常に重宝する本だ。

 ところがこの訳は、山本夏彦が『私の岩波物語』に書いているとおり、信じられないほど退屈なもので、英雄伝とは名ばかりの読んでいてすぐ眠気がさす本である。だから、まったく読書には向いていないので、資料としてならともかく、読書用には購入をすすめられない。
 この訳は、プルタークの書いたギリシャ語から訳しているのだが、残念ながらプルタークの言わんとすることよりも、原文にどんな単語が使われている かを伝えるのに熱心なのだ。その結果、原文の息吹が伝わってこない。(そもそも第一回目の訳を読み直さずにそのまま活字に組んでしまったのではないかと思 われるほど、日本語としての文章が整理されていない。)

 実際、ギリシャ語の原典と比べてみたが岩波版は実に原典(あるいはLoeb叢書の英訳)に忠実なガチガチの直訳である。しかし、文章に込められた 真の意味、その言葉でプルタークが表現しようとした悲しみや歓びが再現されていないのだ。(英訳に忠実な例、ευχερεια→英訳 familiarity→岩波訳「きさくな態度」。本当は「図々しさ」で、英訳の誤訳であると思われる。Loeb No.101 p26-27)

 ところが、鶴見訳にはそれが再現されている。要するに感動させてくれる訳なのだ。読みながら自分の目に涙が浮かんでくるのだ。鶴見氏の英語力とそ れを表現する日本語力には人並外れたものがあったにちがいない。岩波版の訳者のギリシャ語力も日本語力も、それには遠くおよばないと言わなければならない のである。

 そこで、わたしは鶴見訳を読んでいて、分らない固有名詞が出て来るたびに、岩波版を参照することにした。そういう利用の仕方をしたのである。

 いまここで、「ニキアス」の伝記から同じ個所の訳を読み比べてみよう。

 アテナイの将軍ニキアスははるかシシリー島の征服などというばかげた思いつきにとらわれたアテナイ民衆の決議にしたがって、かの地への遠征を命ぜ られたが、シシリーに来て戦いを始めたものの、この戦争の主唱者たるもう一人の将軍アルキビアデスは勝手にいなくなってしまい、アテナイからデモステネス が連れてくるという援軍も来ずに、一人で苦戦に苦戦を重ね、落胆ここに極まれりというところまで追い込まれしまう。その次に、鶴見訳はこう続く。

 「しかしながらあたかもこのときデモスシニーズはその堂々たる艦隊をひきいて港外に姿を現し、敵の心胆を奪った。彼は七十三艘の艦船に五千の完甲 兵と三千を下らざる投箭隊、弓兵および投石隊を乗せ、彼らの甲冑の耀き、各船よりなびく旗指物、漕手の拍子を取る無数の舵手と笛吹きとは、敵をして気落ち 神沮(しんはば)ましむるにたる、あらんかぎりの武威と陣容とに映発せしめた」(第五巻43頁)

 ここにはまさにドラマチックな運命の展開が描き出されている。ところが、岩波版ではこうなる。

 「こうしている時に(前四一三年夏)デーモーステネースが沖合に現はれ、装備も華々しく敵に恐怖を起させるものであったが、七十三隻の船に重装兵 を五千、投槍兵弓兵石投兵を略ぼ三千載せ、武器の威容と軍艦の旗印と艪の音頭取り及び笛吹き多数とを以て敵を嚇すために芝居がかった趣向をこらしてゐた」 (第七巻135頁)

 もう書き出しだけでも違うではないか。事実の記載としては両者は同じことを伝えている。しかし、読み手の受ける印象はまるで違う。そして、まさに プルタークが描き出そうとしたものが前者であることに何の疑いをいだきえようか。(ただし「芝居がかった趣向」の個所は訳語の選択を誤っているし、ここで こんな演劇に使うようなのんきな言葉を用いてはならないはずだ)。

 ただ、ここに引いた鶴見氏の文章のうちにも、この鶴見訳のもう一つの難点が明らかになっている。つまり漢字がそして日本語が難しいのだ。たとえば 「神沮む」などという言ひ方は今の辞書にはのっていない。これを「しんはばむ」と読み、「意気消沈する」という意味であることがすぐに分かるためには、明 治時代の文章表現にかなり通じているか、小学館の日本国語大辞典を持っている必要がある。

 しかしながら、この文章の力強さは、まさに雄渾という言葉がぴったり当てはまるもので、そこには英雄伝つまり武将の伝記を描くにこれ以上はないと いう勇ましさがある。したがって、多少の不明な点は無視しても充分にその面白さを堪能することが出来るのである。(このほかにも「これまでの『今日のつまみ食い』より」で若干を読むことができる。このページの下の方なので、開いてから「プルターク英雄伝」で検索されるとよい)

 また、昨今の漢字プームを鑑みれば、漢字検定一級の実力を養う絶好の機会をこの訳書は提供しているとも言える。少なくとも、わたしのこの本で多くの漢字の勉強をした。(それをまとめたのがここに別に掲げた「鶴見訳英雄伝を読むための難読漢字集」である)

131、《短小tinko》
2019-01-12 19:50:16
ID:qwmJsiRo(sage)

「投箭(ナグヤ)」とは何? Weblio辞書
https://www.weblio.jp › content
投箭とは?歴史民俗用語。 読み方: ナグヤ(naguya)弓につがえないで投げ放つ矢。
投箭 - Wikipedia
https://ja.m.wikipedia.org › wiki › 投箭
投箭(とうせん)は、航空機から投下され、暴露されている敵の人馬を殺傷する鋼製の桿である。 投下箭とも。英語では、air dropped flechettes( ...

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