規制されたので【最終章】

1、《AI》
2018-09-08 23:56:12
ID:p9dd.od6

【青写真】
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
" 理 由 "

行く末
消えてゆくのだと思うた…
消える≒消滅する…と思うだろうか?
消えるとは、消滅するに匪ず、死んだときって土に還るんだよ。死ぬとは変換されるコトなんだ、だとしたら消えるとは変換されるコト。だから消えるとは…消滅ではない

───そして変換とは【生きる】ことだと思う。
ここキャスフィ行く末
 それは、生きるのだと思う
   即ち死と同化するのだろう。
    【死と同化】について定義しよう
 変換された死後であり、即ち生きることである。とする

 【変換された死後】ただ、死後であるのにも関わらず、【変換された死後】は死後ではない。死ぬとは無である。
無とは、有るが無いコトである。有るが無いが故に無であり。無いが為に無である。無は無であり。有は有であり。交わることは有り得ないだからこそ無であり有である。

そしてそれが…即ち……生きることである。故に【生きる】なんだよ。死後でないために生きている。
死後ではあるが死後ではない。死後であることであることではない。

さらに…分解しよう。
【生きる】とは交流である。
おのおのの中にある分解とは、交流によって支えられている。ココ電子海は、世界が再構築されて新しく生まれ変わるだ。わかりやすくいうと【光の粒子が中央に集まっていく】イメージだ、私たちは光の交流によってやり取りをしています。
つまり【光の粒子が中央に集まっていく】とは、一度分解され、死後=生きるになり、有るべき姿へと集まっていくこと。ここの概念は都心に人が集まるイメージをしてくれ。
ここキャスフィ行く末ってのは【光の粒子が中央に集まっていく】ことなんだよ。

それは即ち…生きることなんだ。

そして【光の粒子が中央に集まっていく】とどうなるのか?現すのは有るべき姿って訳だ。


ただ、ここまで語ってなんだが、有るべき姿が生きることだと矛盾するも思うんだ。
偶然によって出来たものが、有るべき姿では可笑しいからだ。生きるとは、生きるとは目的があり。目的があるから生きることができる。

だとしたら、生きるとは言えない。

つまり【光の粒子が中央に集まっていく】と生きられなくなるのだ。さっきまで生きていたはずなのに、矛盾により死んでしまう。
ここからわかるのはとある到達点に立つと、有から無に掏り替わるってことだ。
到達点とは限界である。
世界の果てなんだよ
ここが限界なのだと思う。
生きるとは
死ぬことに掏り替わる


私たちは【始めから必然によって生きる】
そしていつからか死ぬ淵に立つということだ。

最終章として綴ろうか




  


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