そうか。オマエについて聞いた方がいいことは沢山あるんだろうなァと思う…反面、聞かない撰択肢が正のだと(いまノ価値観)に照らし合わせて従来の考えから路線の舵を切り替えた。わたしも。実はな《おでん》に対面した瞬間。直感的にこのままでは「過去」の人間達とまともな論戦は期待できないと悟ったんだよ…情けないけれどそれが嬉しかった。
以前の様な。返答を期待しているなら予想を裏切る形になるかもしれない。悪いことも良いことも引っくるめてその期待には添えなさそう。
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ミロ・モアレの「私のアートは、人々の感情や刺激と共につくられます。だから私はアトリエにこもるだけでなく、街に出て人々の前でパフォーマンスするのです」
このアートは、人々を介することで成立するのでは?と思う。人々と接する過程。この過程さえもアートの一部なのではないか?そうわたしは考える。
絵画や芸術作品は、ヒトの《目》という過程を通ることによって美や価値を発見し終熄すると言えます。終熄するとは畢りに極めて近くに接近し一ツの点に収まるということです。
美は発見されます
公共空間での裸体は淫らなで、得体のしれない感情を呼び起こします。美からかけ離れた、嫌悪の視線。
それと同時に彼女が訴えかける、独白や独創性。佼しさと嫌悪の二律背反。
自己の喪失《アイデンティティの喪失》
埋もれる感情、世の中の不満。
偶然の必然
彼女の残す作品は確かな嫌悪と共に佼しさを置いていきます
没落した心と自己、秩没した社会の羽車⚙
芸術は、確かにあります
ヒトという存在が発見し、己の中で芸術を宿します
つまり芸術とは、ヒトのことです。
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