どれかひとつなど選べないな
批評というのは総合的なものだろう
論理的に破綻があっても納得できる文章もある
迫力というか・・・
ダブルスタンダードですら批判されるのだから、
基準が複数あるという方が本来おかしい
基準とは評価の物差し
それが単位も形もバラバラだったら、多様な意見をバラバラに吐いているのと何も変わらない
何かを測る尺度としては使えないのではないかな?
興味深い
煽り性能とか喧嘩の立ち回り等の評価はどこに含まれるのかな?もしくは、それは評価の対象外か
>>17
何言ってんだコイツ
友達にあげる果物を選ぶ基準として「値段」「瑞々しさ」「産地」の3つが上げられたとしても、1つしか選ばないってか?
アホか
判定なんて、中立的な奴が完全に個人の意見でしか無いものを喧嘩を終わらせるために上げるだけのモンだろ
多様な意見だからこそ意味があるってのに、いったいどうやって判定の正確な基準を考えるんだ?
喧嘩は千差万別。平等な基準を作るのなんて無理だ。だからこそ、バラバラだろうが何だろうが判定を頼むんだろうよ
>>17
ダブスタってそういう使い方しないよ
例えば基準は一つって言うなら1と2を基準にする俺の考えを覆すべき
>>21
それがこの議論のミソなんだよ
要はぽっと出か任命か 判定基準にルールがあるかないか
・・・まあこれ言ってしまえばこのスレの醍醐味潰してるようなもんなんだけど┐(´д`)┌
>>21
3つが挙げられてても、結局はその3つの基準自体に優劣をつけて決断するわけだろ?
3つ全部を等しく考慮するのは君の言うように不可能
するとそこには基準同士の優劣を決する「メタ基準」が働いてるわけだ
このスレで論議してる「どの基準を重視する?」という話はまさにこの「メタ基準」の話にほかならない
これを擦り合わせていけば「基準の落としどころ」みたいなものが見えてくるかもしれないと期待するからこそ「どの基準を重視するか」という議論に意味がある
でなければ、ここでの話は「俺はバナナが好き」「俺はリンゴが好き」っていう話と何ら変わらないことになる
>>22
「そういう使い方」とは何を指して言っているのかな?
そもそも私は「基準」という言葉の意味を厳密にとれば「基準」が複数あるのはおかしい、という原理論を述べているだけで、「基準」が複数ある現実を否定してるわけではない
しかし、複数ある「基準」をそれぞれが好き勝手に運用したら、長い目でみてそれはもはや「基準」とは呼べないだろう
従って、「基準」が複数あるという現実を認めながらも、やはり理念としては「一つの基準」に収斂させることを目指すべきではないのか?
例えば、1の論理的一貫性と2の明晰性は一見別の基準に見える
しかし、曖昧で明晰さの薄い文章は簡単に論理的一貫性をもたせることができてしまうから、実は「論理的一貫性」という基準を実際に運用するためには「明晰性」は必須条件となるのだ
他方、明晰性もそれだけでは正しさの指標とはならない
いったい何のための明晰性なのか?ということを突き詰めていくと、「論理構造を見やすくするため」という目的が見えてくる
すると結局、明晰性の先には論理的一貫性があるわけだ
お互いがお互いを必要としていて、基準として運用するためには実はこの2つは切り離せない
こうして、一見別々の基準と見えた2つが、運用上は固く結びあった一つの基準であることが判明する
このようにして基準と基準の関係性を擦り合わせていくこと
あるいは、それが無理ならどの基準を優先するかという「メタ基準」を少しずつでも措定していくこと
それが「基準」をめぐるこのスレの議論の目指すところではないのかね?
それとも君たちは単に「基準」の好みを報告し合ってるだけなのか?
>>26
実際に「要らないところで使ってる」のか「要らないところで使ってるように見える」だけなのかどっちだね?
君のような曖昧さを避けるために「 」を使ってるんだが何か具体的に問題が生じてるか?
さ、俺が主観的に感想を垂れ流したところ、お前は俺が書いてもいない、俺が捉えた事実に関して曖昧模糊に思う気持ちを表してきたわけだが、この流れで妥当に解釈するとなると、俺のような曖昧さっていうのは、文に直接関係ない内容が、文脈だけでは一概に判断できないさまのこと。という風になるんだろうな。
で、「」の使用でそれを回避できるというのは一体なぜなのか。抜本的にも対症療法的にも解決できてないんじゃないかと思うが。
また、さらに気になるのが、俺のような曖昧さを帯びるというのは良くないことなのかということ。言い換えれば、言及してない事柄について明らかにする必要があるのかということ。
以上の内容は、君のような曖昧さ、という言葉がいい加減で適当な考えの基に生まれてしまった、という弁明を以ってすれば逃げ切れるものである。
なかなかレベルの高い人がいるようで面白そうな話題になってますね。
さて、
小学生Cさん「悪いことするやつは消したら悪人減るやん!死刑!」
弁護士会長D「国連決議うんちゃら~、残虐~更生の機会を~~。。。」
底辺喧嘩師:C筋が通ってるな!Dは難解で長文だ。よってCの勝利!
*このように筋が通ってるかどうかというのは、考慮する理論に沿っているかどうかということに近い物になるんじゃないかと思います。
判定人は、立証の度合いを筋が通っているかどうかというところに含めて考える必要はあるのかなと思いますね。