きみたちはバカと天才の違いについてどう考える?
こんな有名な言葉を皆も知っているだろう。「バカと天才は紙一重」であると。
さあ
天才とバカの違いについて論ぜよ。
きみらの見解を聞かせてくれ
馬鹿な理論はわかった
俺は馬鹿だからな
『その紙を破ることが馬鹿なんだ』
ということ
天才は多分『その紙を丸めることが出来る者であるということ』
違うか?
逆に無知と有知の違いが何か気になる点でもある
上手く説明出来ないが誰かわかる方、タイトルにそぐわないのであればなんだが出来れば知ってる方是非教えてくれ
「バカと天才は紙一重」という格言は決して「バカな人物があとほんの少し紙一枚分の変化さえあれば天才へと変貌できる」という意味の格言ではありません。バカはバカだし天才は天才です。
類似するテーマとして「勉強が出来るとはまた別の頭の良さ」などの定型句も耳にしたことがあるかと思います。
たとえバカでも「ひらめき」とかそういう分野においては天才に引けを取らない(バカだからこそ出せる柔軟な発想などもある)といった解釈で語られることも少なくは有りませんが、バッサリ斬ってしまえば知識無き者たちの負け惜しみです。
歴史を振り返れば、白熱電球を発明したエジソン、DNAの二重螺旋構造を発見したワトソン、ブラックホールに関する定理を発表したホーキングなどなど「天才と呼んで全く問題のない偉人達」は大勢いるわけですが、勉強ができない人物が科学的、数学的、物理学的ないし最先端の新発見や発明あるいは成果を成し遂げることはないという事実から目をそらしてはいけません。「勉強が出来るとはまた別の頭の良さを有する彼ら」に出来るのはせいぜい「分かりやすい道案内」とかその程度です。
前述したエジソンの名言として「天才は1%のひらめきと99%の努力」なんてのもあります。発想力に自信のあるバカが「1%のひらめき」だけを武器に勝負に打って出るなんて単なる愚行です。99%が欠けていて天才になれるわけがないでしょう。
では結局、いったいバカと天才の何が紙一重なのか?
この格言は、あくまで「バカでもなく天才でもないという自覚を持つ第三者」の目線から放たれる言葉です。その分野に関する知識の乏しい者にとってはバカと天才の区別がつかないわけです。
例えばここで俺が「様々な専門用語がふんだんに使われた文章」を掲載して「プラトン哲学によるとこうなります」と述べたとしたら、真に知識のある人以外は「(よく分からないが)すごい知識だ、頭がいい(のだろう)」という感想を持ちうるはず。そしてその後で俺はこう言うわけ「ごめん全部でっち上げです、プラトンはこんな事言ってません」と。
適当にそれっぽい専門用語を並べて本人すらよく意味も理解せずに書かれたバカな文章と著名な哲学家の見分けが付かないわけです。だって読み手は「バカでもなく天才でもないという自覚を持つ第三者」なのだから。
「バカでもなく天才でもないという自覚を持つ第三者」にとって「よく分からないことを話す人」という意味ではバカも天才も同じだというコトです。
単純化するためゲームみたいにステータスの割り振りで考える。
Aさん(何かの技術力 99 生活力 1)
Bさん(何かの技術力 10 生活力 90)
Bさんは、集団の中でうまく生活していくことができて楽にいきられるだろう。
それ対して、Aの技術力が役に立たない国とか時代ならば、Aは馬鹿と認識されるだろう。
しかし、仮にBさんがつきっきりで世話をしてくれればAは天才的だと称賛される。
エジソンもホーキングも上記と似たような状況にあったと言えると思います。
一見、こいつバカだなと思える人もいますが、本当に、人や時代・地域とのかかわり合いのなかでものすごい力を発揮することがある。
会話不全で発達障害の人でも、絵画がものすごく高値で取引されるなんてこともしばしばあるでしょう。
周囲のサポートや時代がマッチすれば、そういう人も輝くことがあるのです。