最近逃亡多いね。
排反と破綻は同義言い張り→逃亡
http://jeison.biz/casphy/bbs/read.php?cate=kenka2&mode=list&no=8207&res=172
100%確実と言い張り→逃亡
http://jeison.biz/casphy/bbs/read.php?cate=kenka2&mode=list&no=9342
くっそめんどくせえけど、ちゃんと文献探してくるわ。ドヤ顔で揚げ足取ってじゃねえぞ。→逃亡
http://jeison.biz/casphy/bbs/read.php?cate=kenka2&mode=list&no=9548&res=111
まともに喧嘩しろと騒ぎ、喧嘩する気は一切ないと→逃亡
http://jeison.biz/casphy/bbs/read.php?cate=kenka2&mode=list&no=9406&res=28
文献探してみたけど、やっぱり(論理的に)妥当な帰納法なんてないことが当たり前すぎて明確に「妥当な帰納法なんてありませんよー!」とかわざわざ記載してくれてる親切な文献は見つかんないわ。どうせ「妥当な帰納法は存在する」側もまともな文献なんて出しようがないだろうが。
探し続けてもラチがあかなさそうだし、有能な奴が間接的に妥当な帰納法がないことを示してる文献を出してくれているので、ここら辺で探すのは切り上げて今回はそれを使うことにするね。
神崎の提示した文献によると・・・
1.推論のすべての前提が真であるならば結論も必ず真である場合、推論は妥当である。
2.推論の妥当性は、前提とされる諸命題と結論となる命題との間に、前提だけからして必然的に結論を導き出せるという論理的な関係が成り立つことを示すもの。
であるらしい。ふむふむ。
帰納法はその性質上、確認されてない事象(前提)を踏まえて結論を導き出すわけだから、いくら確認済みの事象が真だからといって、未確認の反例を捨てきれない。なので、当然結論が正しくなる保証はない。せいぜいできるのは、蓋然性を帯びさせた結論を出すことくらい。つまり、結論の「確からしさ」の度合いを高めることはできるが、結論が「確かに前提から(必然的に)導かれた」という関係に達することは不可能なのだ。
ウィキペディア(笑)に「おそらく」という表現が使われてるのはこういう事情からだろう。
それならば、「妥当性は、前提とされる諸命題と結論となる命題との間に、前提だけからして必然的に結論を導き出せるという論理的な関係が成り立つ(ことを示している)」というルールに帰納法は反するのでは?
「"まだ確認されていない未知の事象のことを度外視して、限られた材料から必然的な結論を出すこと"は正しい」という判断は"正しくない"わけだ。
今まで観測されたカラスが全て黒かったからといって、ゆえに全てのカラスは黒いという結論が必然的に叩き出せるわけではない。白い未確認のカラスという可能性を排斥できない以上は、帰納的に真の前提から必ず真の結論が導けることにはならない。先に示した帰納法の性質により、これと同様の論理で全ての帰納法の妥当性が否定される。
あああの提示した文献によると・・・
わざわざ上文みたいな冗長な説明しなくても、ドストレートに「帰納における結論は、確かに前提によって支持されてはいるが、決してそれは必然性を帯びないということである」って言ってくれてるじゃん。まあなにやら英文解釈で揉めているようだけど……。
で、>>123について、俺は「形式」という言葉自体が使われていない!なんて主張はしてない。形式どうこうって表現を使っているわけだけど、その「どうこう」が何を指しているのかわかってるのか(笑)
形式の定義自体は勿論されているが、日本語版にある意味不明な形式的云々の例は出てきてないよっていうだけの話。大方>>114で油断させといて、言質を取らせた上でしめしめと「形式って書いてあるよー!www」などと打ち明ける三流すももん戦法でも取ろうとしたんだろうけどw
>>207
>An argument A1,...An−1 |= An is (i-semantically3
) deductively valid IFF
>it is impossible, when the premises A1,...An−1 are true, that the conclusion
>An be false;
す文盲は「セマンティカリー」って言葉が目に入ってねえの?wてかそもそも、そこら中にtrueって言葉が散見されるんだから構文論に限定されてるわけないじゃん。バカ?w
名前なし子=すももん=太ももプリンごときの論理にわか雑魚が俺とか、「あああ」だとか、「神崎」みたいな自分より有能な奴らに余計な時間と手間取らせるなよ。ほら、ごめんなさいは??
つーか文献を出す責任を俺だけに一方的に押し付けるんじゃなくて、そろそろ「妥当な帰納法がある!」というまともな文献を持ってくればいいんじゃないでしょうか。そうでもしない限りもう相手しなくていい?どうせすももんやりおしには粘着しか取り得がないんだから。
P.S.
りおしがにわかなりに論理的推論は帰納と演繹くらいという発言の反証として「論理的推論は4つありますが…?(ドヤ」とか言ってたのは面白かったです。