>>22
「そういう使い方」とは何を指して言っているのかな?
そもそも私は「基準」という言葉の意味を厳密にとれば「基準」が複数あるのはおかしい、という原理論を述べているだけで、「基準」が複数ある現実を否定してるわけではない
しかし、複数ある「基準」をそれぞれが好き勝手に運用したら、長い目でみてそれはもはや「基準」とは呼べないだろう
従って、「基準」が複数あるという現実を認めながらも、やはり理念としては「一つの基準」に収斂させることを目指すべきではないのか?
例えば、1の論理的一貫性と2の明晰性は一見別の基準に見える
しかし、曖昧で明晰さの薄い文章は簡単に論理的一貫性をもたせることができてしまうから、実は「論理的一貫性」という基準を実際に運用するためには「明晰性」は必須条件となるのだ
他方、明晰性もそれだけでは正しさの指標とはならない
いったい何のための明晰性なのか?ということを突き詰めていくと、「論理構造を見やすくするため」という目的が見えてくる
すると結局、明晰性の先には論理的一貫性があるわけだ
お互いがお互いを必要としていて、基準として運用するためには実はこの2つは切り離せない
こうして、一見別々の基準と見えた2つが、運用上は固く結びあった一つの基準であることが判明する
このようにして基準と基準の関係性を擦り合わせていくこと
あるいは、それが無理ならどの基準を優先するかという「メタ基準」を少しずつでも措定していくこと
それが「基準」をめぐるこのスレの議論の目指すところではないのかね?
それとも君たちは単に「基準」の好みを報告し合ってるだけなのか?