*to ロシュ限界
喧嘩してないって私に言われたとき、喧嘩はしてると言ってたね。
この点は言葉足らずだったが、説明する。
私が思うに、ロシュやCは私に十分説明されたらどっかいってたと思うんだ。
で、わたしはそれを追いかけたりしていないはず。
この様子を、”ロシュは評価を気にして私と喧嘩をしてない”って表現したはず。
ま、ロシュとかCは途中で逃げてもいいと思ってるよ。
劣勢を自覚できたならそれでいいし、周りからの評価を気にしてそうだから配慮しているつもりだ。
だから、当人しかわからない部分は出てくるだろう。
つまり、馬鹿(天使ーアメリカ人のような)には読みこなせない部分が多々あることになる。
一方で、今回の佐藤のように、
ロシュや、C程度の最低限の理解力すらなさそうな馬鹿の場合は、
この馬鹿にわかるように表現しないといけない。
そうすると、すご~くボコられてるのが普通はわかると思う。
佐藤の場合、ここからできそうなことは粘って、あら探しだ。、
だが、佐藤が思いつくようなことで、対応できないようなことは皆無だろう。
例えば、次に、総体的か、個別的かの議論になりそうな気もするが、
評価というのは数学的に表現でき、それをしっかり検討しているわけだ。
でも、無知なやつはいちゃもんという名の喧嘩を付けてくる。
ただそれだけのこと。
どの程度の差があるかすら見えないくらい知性が違いすぎるのだが、
馬鹿にはわからないってだけのこと。それが使っている感受性の意味だw。