> 101投目で1がでると主観的に考えた人も、
> この条件を満たし、かつ確率の条件も満たすんだよね
俺が伝えたいのはそれじゃないんだよ
書き手の表現力が低いのか読み手の理解力が低いのか、みたいな問答するつもりはありません
そこはもう俺の表現力が足りていなかったということでいい、0歩譲ってそれでいい
悔しいけれど認めます、なので補足させてもらいます
> 論理的っていうのを完全にのべろといってるわけではありません
正直なところ、これ読んで、まぁ伝わるやろみたいな感じで手抜きしました、
筋道が立っているとか内容に必然性や妥当性があるとかそういうのもちゃんと書くべきでした
俺には理解できない何らかの考え(例えば一生のうちに獲得できるLuckの総量は決まっているなどのジンクス)を論理という名目で適用して
「次は1/2の確率で1が出るはずだ」とか言う人がいたとしたら、俺その人のこと普通にアホやと思います
「アホなら言える」という意味では確かに言えます、「言えない」は誇張でした、ハイ
> めっちゃ話を伸ばされてる感ある
ということなのでサクッと本題いきますけど
「Aであろう」という推量表現をアスペ感や詭弁感を伴わない形で用いることができるのは
そうなる確度が高い場合に限られると俺は思うわけです
タンスの角に勢いよく足をぶつけて血を流しながら「いてぇ~!」と声に出して跳びはねている人を見て
「痛がっているのだろう」と推量するのは論理的かつごく自然な推量だけれど
痛がっていない可能性が0ではないという理由で「痛がっていないであろう」と見なすのはアルティメットアスペだと思いません?
俺が言いたいのはそういうことなんですよ