こういう感じの文章が300ページ以上、延々と続く小説となっております。
一部にこういう変な部分があるわけじゃなくて、作中の全てがこんなテイストなんですね。
作者のバロウズさんはありとあらゆる薬物に手を出した生粋のジャンキー、ヤク中のトップエリートみたいな人です。
一.『この小説がいったいどうやって書かれたものか』(クスリは使ってません)
書き方ステップ1.小説を書きます
この時、お好みで他人の書いた文章を持ってきてもOKです
書き方ステップ2.ハサミを用意して、書いた小説を切り刻みます
書き方ステップ3.切り刻んだ小説を適当にシャッフルして、良い感じに並べ替えます
これを清書すれば完成です
この斬新な技法がさっき言った例の「カットアップ」「カット・アンド・ペースト」と言われてるもの
まぁ、そのためか作者のバロウズさん自身も「自分のやったカットアップは二度と読めない」と認めていたらしいよ。
この『裸のランチ』
本にする時に印刷所に適当な順番で送ったら
印刷所のミスだかトラブルでさらに無茶苦茶な順番で戻ってきちゃったらしい
でもなんとなくその順番が良さげな感じだったから、そのままOKにしたんだと
第二弾に進みたいところだけど、バロウズさん本人の過去に一つ伏線があったから話しとく
・『ごっこ遊びで奥さんを射殺』
※ウィリアム・テルごっこ
簡単に言えば頭の上にリンゴを乗せてそれを撃ち抜くという少々キケンなごっこ遊びである
バロウズさん自身が裁判で「…ウィリアム・テルごっこをしていた」と言っているんです。
少なくとも、奥さんが嫌いだから殺したとか、そういう事ではないです。
彼はホモでしたが、奥さんとは上手くやっていました。
二.『なぜカットアップなんていう妙な描写を使って小説を書いたのか?』
A.「現実を変えたかったから」
フワッとした目標みたいなモノではなくてこれには一応ちゃんとした理屈がある。
現実というのは「今この瞬間」をのぞけば「記録」か「記憶」の中にしかない
→つまり逆に言えば、「記録」と「記憶」を置き換えてしまえば「現実」も変わる訳 という事です。
「カットアップ」による切り刻みは、記録と記憶を都合よく改変するための手法
バロウズさんにはありました。
どうしても書き換えなくちゃいけなかった「現実」が
奥さんを射殺してしまった不幸な事故……。
それはバロウズさんにとって最も否定したい「現実」でした
「現実はあらかじめ記録されていて、それが再生されているだけだ」
そのような考えを持っていたバロウズさんは、(その現実が記録されている)テープを切り刻めば記憶からも自由になれると信じてカットアップを繰り返したのです
結論から言えば失敗しました。まぁ当然と言えば当然かもしれませんがね……
ともかくこれが、カットアップの一番大きな目的ですね。スケールが壮大すぎてトンデモみたいな感じになってますけど
コラージュというのをご存知ですかね。バラバラの素材を組み合わせてひとつの作品を作り上げる絵画の手法です
それを小説でもやってやろうというのが「カットアップ」であり、実際にやったのが「裸のランチ」なんです