確かコアな奴らにやたら崇拝されてるような人だよな
俺は本読まないからジャンルも内容も全く知らないがとんでもねえ乱文を意図的に書く作家だったってのは聞いたことがある
しかしどれほど乱れ狂ってるのかは俺も分からん、何せ見たことがないから
良ければ一文ほど書き起こしちゃくれねえだろうか
んじゃ読み上げるわ。
ーー165ページ
陽光のあふれる白い博物館の一室の高さ20メートルのピンク色の裸像の群れ。はてしない青春のつぶやき声
銀色のガード・レール……。深い割れ目を300メートルくだって、きらめく日の光の中へ。キャベツとレタスの小さな緑色の畑。手斧を持った日焼けした若者たちを下水溝の向こうから老いぼれた女役のホモが見つけ出す。
「おやまあ、あの人たちったら、こやしには人糞をやるのかしら……。いますぐやるかもしれないわ」
彼は真珠母のオペラ・グラスをサッと取り出すーー陽光の中のアステカ・モザイク模様。
てんでに糞を入れた雪花石膏の鉢を持ったギリシャの若者たちが、長い列を作って行進し、石炭石の肥料だめの穴の中へ糞をあける。
赤レンガのトロス広場の向こうでほこりまみれのポプラが午後の風にゆれている。
温泉をとりかこむ木造の小部屋の列……ハコヤナギの木立の中のくずれた壁の砕石……。無数の自慰に溺れた少年たちのおかげで金属のようになめらかにすりへったベンチ。
大理石のように色の白いギリシャの若者たちが、巨大な金色の寺院の柱廊玄関でドッグ・スタイルを展開する……。裸の大立て者はフルートをかなでる。
>>3
思ってた以上にとりとめがねーな…
うすらと感じるのはソレから連想されるソレを次々に (+αして) 描写する連想的な文章っぽいってことか
そんでたまに入る独立した、流れに似つかわしくないソレは作家の思考ノイズの癖なのかなと思うね
「ホモ」 辺りまでしか読み込めてないが、それまでの前後の文には少なからず関わりがあると感じたかな
例えば 「陽光溢れる白い博物館」 と 「ピンク色の裸像の群れ」
恐らくだが博物館から美術館を連想したのだろうと察した
そして美術館から彫刻像、つまり裸像に繋がっていると
陽光溢れる 白い ピンク色 群れ なんかは+αの情景描写だろう
そして 「ピンク色の裸像の群れ」 と 「はてしない青春のつぶやき声」
これはピンク色から青春における淡さのイメージを連想したのかな
もしくは群れから群衆をイメージして、群衆が発する声からつぶやき声を連想したか
次に「はてしない青春のつぶやき声」 と 「銀色のガードレール」
果てしないことからどこまでも続く道を連想し、そして道から想起されるガードレールにスポットを当てたんだろうな
長いから最後 「銀色のガードレール」 と 「深い割れ目を300メートルくだって」
これはわりと連想しやすいよな、ガードレールの先は崖になっていがちだしな
恐らく下書きの時点では崖と表現されていたんだろうが、
後に適切な書き起こしをする際あえて安直な表現にせず 深い割れ目をー… としたんじゃないか、とまで深読みしてしまうね
まあ俺のイメージだと冒頭付近はこんな具合の連想ゲームをしてるように思うわ
連想ゲームと言うとチャチに思えるが、恐らく、めくるめく間に流れていく情景を片っ端から書いてる感じだ
なるべく一つのソレに留まらず次へ次へと駆け抜けるその書き様は、筆を踊らすなんて表現じゃとてもじゃないがおさまらない
思考の本体を激流で泳がすっつーのかな、だいぶやべーことしてる人いるなーって勝手に感心するわw
それにしてもありがとな、めちゃめちゃ面白いと思うよ
暇があれば是非また載せてくれ、著作物だから規約に引っかかるかもしれんけどなwww
一行にのが多すぎる。これ訳した文章だよね?原文どうなってんだろ。
>>7
よく分からんからザッと調べてきたわ
そうなってくるとどこら辺まで構文してからアトランダムに散りばめてんのか気になってくるな
あとそのカットアップをしてるならこれ英語にして且つ原文読まないと一切意味分からないんじゃないか……
日本語に翻訳した時点でもう何の解読も答えも出てこなさそうでちょっと興味引けちまったよ……
今写してるところだけど一応言うね。日本語に訳してるのは私じゃないよ
一マス空けるのも改行する段落もそのまんま写して文章もいじったりしてはいない。平仮名のとこは平仮名のままにしてるし
漢字で書かれてるとこも当然漢字にしてる
作者の事は後程語ろうかと思ったが、先に言うとキメてる人だよ。
因みに小説書いてからはドラッグには手を付けていない。カットアップのくだりも理由が載ってるから
作者がハーバード大学卒業者である云々も詳しくは後で書き込みます。
確かに読んでみると、「の」が多いな。
ーー続き
赤いセーターを着て小道を歩いてくる、2人のメキシコ人を連れたドックの番人の息子のサミーに出会った。
「おい、やせっぽち」と彼は言った。「ハメてほしいか?」
「うん……。まあね」
※以下からページ飛んで199ページ
移動する奇妙なクリスマス・ツリーが、少年たちが学校の便所の中で手なぐさみを行った、故郷のガラクタの山の上であかあかと燃えるーーあの金のようにすり減った古いカシの便器の枠の上で、いかに多くの青春の痙攣が起こったことか……
クモの巣が黒い窓と少年の骨をおおっているレッド・リヴァーの谷間で死の眠りにつけ……二人のニグロの男性ホモが互いに金切り声で叫び合う。
ホモA「だまれ、この安っぽいおでき女め…… おまえは商売仲間ではいやらしいルウと呼ばれているんだ」
女占い師「またぐらいのおかしなかたちの女」
ホモB「ニャア、ニャア」彼はすばやくヒョウの皮と鉄の爪を身につける……
ホモA「ああ、ああ、社交界婦人だ」彼は悲鳴を上げながらマーケットの中を逃げ、その後を衣装倒錆症患者がぶうぶううなりながら追いかける……
クレムは痙攣性不具者の足をすくって倒し、その松葉杖を取り上げる……
彼は身体をピクピク動かしたりよだれを流したりして、いやらしいまねをする……
遠くで暴動の騒音ーー千人の病的に興奮したポメラニア人たち。
商店のよろい戸がギロチンのような音を立てて落ちる。客たちはあわてふためいて屋内に吸い込まれ、飲物のコップや盆は空中に浮いたまま残る。
ホモの合唱「あたしちゃみんな強姦される。そうなの、そうなの。わかってる」彼らはドラッグストアの中へ走り込み、K・Yゼリーの箱を買う。
党首(芝居がかりに片手を上げて)「国民の声だ」
こういう感じの文章が300ページ以上、延々と続く小説となっております。
一部にこういう変な部分があるわけじゃなくて、作中の全てがこんなテイストなんですね。
作者のバロウズさんはありとあらゆる薬物に手を出した生粋のジャンキー、ヤク中のトップエリートみたいな人です。
一.『この小説がいったいどうやって書かれたものか』(クスリは使ってません)
書き方ステップ1.小説を書きます
この時、お好みで他人の書いた文章を持ってきてもOKです
書き方ステップ2.ハサミを用意して、書いた小説を切り刻みます
書き方ステップ3.切り刻んだ小説を適当にシャッフルして、良い感じに並べ替えます
これを清書すれば完成です
この斬新な技法がさっき言った例の「カットアップ」「カット・アンド・ペースト」と言われてるもの
まぁ、そのためか作者のバロウズさん自身も「自分のやったカットアップは二度と読めない」と認めていたらしいよ。
この『裸のランチ』
本にする時に印刷所に適当な順番で送ったら
印刷所のミスだかトラブルでさらに無茶苦茶な順番で戻ってきちゃったらしい
でもなんとなくその順番が良さげな感じだったから、そのままOKにしたんだと
第二弾に進みたいところだけど、バロウズさん本人の過去に一つ伏線があったから話しとく
・『ごっこ遊びで奥さんを射殺』
※ウィリアム・テルごっこ
簡単に言えば頭の上にリンゴを乗せてそれを撃ち抜くという少々キケンなごっこ遊びである
バロウズさん自身が裁判で「…ウィリアム・テルごっこをしていた」と言っているんです。
少なくとも、奥さんが嫌いだから殺したとか、そういう事ではないです。
彼はホモでしたが、奥さんとは上手くやっていました。
二.『なぜカットアップなんていう妙な描写を使って小説を書いたのか?』
A.「現実を変えたかったから」
フワッとした目標みたいなモノではなくてこれには一応ちゃんとした理屈がある。
現実というのは「今この瞬間」をのぞけば「記録」か「記憶」の中にしかない
→つまり逆に言えば、「記録」と「記憶」を置き換えてしまえば「現実」も変わる訳 という事です。
「カットアップ」による切り刻みは、記録と記憶を都合よく改変するための手法
バロウズさんにはありました。
どうしても書き換えなくちゃいけなかった「現実」が
奥さんを射殺してしまった不幸な事故……。
それはバロウズさんにとって最も否定したい「現実」でした
「現実はあらかじめ記録されていて、それが再生されているだけだ」
そのような考えを持っていたバロウズさんは、(その現実が記録されている)テープを切り刻めば記憶からも自由になれると信じてカットアップを繰り返したのです
結論から言えば失敗しました。まぁ当然と言えば当然かもしれませんがね……
ともかくこれが、カットアップの一番大きな目的ですね。スケールが壮大すぎてトンデモみたいな感じになってますけど
コラージュというのをご存知ですかね。バラバラの素材を組み合わせてひとつの作品を作り上げる絵画の手法です
それを小説でもやってやろうというのが「カットアップ」であり、実際にやったのが「裸のランチ」なんです
この作品で接続詞に の が多くなってるのは単語レベルで切り貼りしてるからじゃねえかな
格助詞がない英語に於ける修飾 被修飾の関係上どうしても の が多くなってしまうんだと思う
だからこそなんとなく意味が通る感じに変更出来ちゃうんだろうな、まあ恐らくだが
しかし変わってるなァ……
俺はライトなstonerだから頑張れば楽しめるかも知れんがこれ一般人には無理な作品なんじゃねえのかw
ってあーーーだからコアな奴らに人気があるのか
なるほど合点がいったわ、ヘヴンズアイテムなわけだこれは
序でに一つ(>>13)「ハーバード大学を卒業しているホモセクシャルだったという事」
作中でホモの描写が多いのは、当の本人が同性愛者だったからです。
時間空いてるのでまとめて最後まで話しておきますね。
まぁ、更に言えばですね。バロウズさんは、「言語や文字というものを、風景やセリフを表すための「道具」としてしか使わない普通の小説は、映像や音を直接使うことのできる映画やドラマに勝てない」
とも考えていました。つまり、この方向で戦う限り小説に未来はないと思っていた
だからこそのカットアップなんです。
カットアップで描かれた世界は、間違いなく小説でしか実現できないモノですから
(つまりは映像化不可能ってやつですね。)
また、カットアップには「言葉を既存の文脈から開放する」という狙いもあったんです
例えば「好き」という言葉には様々な意味や可能性がありますよね
恋愛的な意味での「好き」なのか、
(http://jeison.biz/casphy/bbs/read.php?cate=free&mode=thread&no=7460&res=857-858)
ラーメンスレ等の流れで話し出す食べ物の好き嫌いの話なのか
好きの度合いだって「ほどほど」から「これがないと死んじゃう!」ってくらいまで幅があります
でも、「好き」という言葉を一度文脈にハメ込んでしまうと、そのニュアンスが固定化されてひとつの意味しか持てなくなってしまう
それを開放しようとしたのが、カットアップによる切り刻みというわけです
切り刻まれた単語達は、普通の文脈の中では持ち得なかった意味を持つようになりますから
私は興味が湧きましたよ。自分もコアな連中の一人になるかもしれませんね
寝ている時に見る夢って、論理的なつながりがなく唐突に設定変わったりするじゃないですか
「夢を読んでる」ソレみたいな感じなんですよ
全体的に散りばめられているホモやSFチックなテイストも良いスパイスになってるし、そういう不思議な感覚が感じられてきました。
では、最後にバロウズさんの残した名言を読み上げてお別れとしましょう。
【麻薬は快楽のための刺激剤ではない。麻薬は生き方なのだ】
・・・それでは皆さん、また会える日まで
なんでそこで俺のレスをピックアップしてくれやがったのか、なかなかに面白いことをしてくれやがりますねお前は?
どーせまたななしに紛れるんだろーからまた会える日までもなにもねーだろうけど、またな