南雲のひとやすみ部屋

925南雲◆NAGUMO/BxE
2017-11-22 03:01:28
ID:YPiQ9Ln2

>>923
もちろん、今の自分を形作ったのは「親だけ」じゃないから、先輩やら親戚も同じような意味で尊敬すべきだと思う。でも普通は、親とそのほか先輩や親戚とは、その度合いが全く違う。

>一番理解できないのは”産んでくれたから”っていうところなんだ。
>それでもこっちは勝手に産まされた立場だ。

やっぱり究極はそこに行き着くだろうね。こっちは産んでくれなんて頼んでいない。特別不幸な人生じゃなくても、特別幸福に生きてもいない。むしろ人生、辛いことのほうが多い。プラスとマイナスと比べてマイナスのほうが多ければ、生まれなかった「ゼロ」のほうが良かったかもしれない。そう考えても不思議じゃない。

結局それは、生きること自体の価値の問題になってくる。人生の根本的な問題になりすぎて、私もうまく説明できないんだよね。というか、生きる価値そのものは、理屈で説明することは難しいと思う。
私は今のナチュラルと同じ年頃に漱石の『行人』を読んだけど、すごく聡明な主人公の一郎ですら、「解」を見出しながら自分自身はその「解」に到達できなかった。むしろ一郎は、物凄く聡明な知恵がかえって邪魔をしているように見えた。

生まれてきたこと自体、生きていること自体に感謝できるようになれば、産んだ親を「産んだこと」のみで敬えると思う。でもそれは一種の境地であって理屈ではないんだよ。納得できないかもしれないが、こればかりは知識で識るのではなく、体感する以外にない。それが容易にできないから、人は宗教なんかに頼るようになる。

でも私は、「生きていて何の価値があるのか」という問いに対しては、「生きていることそれ自体を超える価値なんて無いし必要もない」と答える。これはいろんな人に対して答えてきた。私なりに到着した「解」だからね。

結局一番重要なところはまともに説明できないじゃん!と思うかもしれないけど、人生の大問題を上手に簡潔に説明できるほどの能力は持っていないし、不可能かもしれない。どこかにそれを出来る人がいたら、その人の説明さえ読めば誰も人生に疑問なんて感じなくなるはずだけど、そんな説明見たことないからね。むしろどっかの怪しい教祖サマくらいしか自信満々に説いてないように思える。

でもここにいる我々全員が「産まれてきた」という現実を持っているし、今現在「生きている」という現実もある。それなら、そのことを肯定できるようになるのは、究極的な目標であることには違いない。産まれてきたことを歓ぶことが究極的な目標であるなら、産んだ親への感謝もそれと一体になる目標といえる。「生きてることに感謝しろ」と言われても「なんで感謝すべきなの?俺そんな幸せじゃないよ」という話になって急にはできないだろう。それでも、産まれて生きているという現実を持ってる我々は、それを歓ぶこと以外に"目指すべきゴール"は無いし、それは同時に親に感謝するということにもなる、ということかな。

真正面からの説明じゃないことは分かってるけど、私が言葉で説明できる限界はそのあたりだと思う。他人を納得させる力はないけど、自分では納得してる。まあどれほど実践できているかと言えば怪しいけどね。

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