結論から言うと末期ガン等の場合のみ認めて
それ以外は現状維持でいいと思う
確かに日本は自由主義国家であり、命はその人のみに帰属するが
自己奴隷化契約や違法薬物の使用が禁止されているように
自由を大幅に制限する自由は認められていない
軽率な行動で自由を失わないためには自由主義的に考えるからこそ
これらの法律は必要である
これと同様に健康な人の自殺を認めると一時の感情に流されて
冷静に考えれば望まない自殺が起こることが懸念される
また、奴隷制度や違法薬物の使用は法律で取り締まられているが
自殺は取り締まられていない(取り締まれない)ので
自殺が認められていないからと言って
本当に自殺が必要なときに自殺出来ないとは一概に言えないものだ
このハードルを下げるには
デメリットに対してメリットが小さすぎるだろう
以上述べた通り
末期ガン等の場合は既に自由が失われているので
合法化も妥当だと思えるが
健康な人の自殺を認めることは賢明でないだろう
すぐ議論板行けっていうやつは死ぬべき
雑カスより害悪だってことに気づくべき
>>1
>健康な人の自殺を認めることは賢明でない
当たり前すぎるわ
社会全体にとって自殺のハードルは高いほうがいいに決まってるだろ
むしろ今賛否両論あるのはその末期がんみたいな場合にどうするかって話じゃねえの?
末期ガンの場合は認めるというのはどういう理由がおありですかー?
出来るだけ多く教えてくれるとありがたいですー。
>>7
社会全体にとっては当然自殺のハードルが高いほうが
人的資源の都合上いいが
個人として考えた場合自殺したいという意思は
尊重されるべきではないかという考え方もできるわけで
それに対する反論を書いたんだけど?
末期ガン等の場合は今賛否両論あるが
健康な人の自殺についても賛成する人が
1人もいないわけではないだろ^^;
>>8
末期ガンの場合生きていても
快楽より苦痛が大きいことが確実だから
>>10
自殺しようとしてる人間の意思を尊重することと自殺そのものを肯定することは別からな?
尊重と肯定は全然違うからな?
『自殺したいという意思は尊重されるべきだが自殺そのものはいけない』
これが一般的な意見じゃね
自殺者の意思すら尊重すべきでないってはっきり書けよ分かりにくいわ
>>11
では尊重を肯定に訂正する
>社会全体にとっては当然自殺のハードルが高いほうが
>人的資源の都合上いいが
>個人として考えた場合自殺したいという意思は
>肯定されるべきではないかという考え方もできるわけで
>それに対する反論を書いたんだけど?
>末期ガン等の場合は今賛否両論あるが
>健康な人の自殺についても賛成する人が
>1人もいないわけではないだろ^^;
『自殺したいという意思は尊重されるべきだが自殺そのものはいけない』
というのが一般的な意見であろうと
あくまで"一般的"であってそうでない人もいる
はっきりいって>>1の文章って自殺者の意思を尊重すべきでないという意見の説明になってないんだよな
ただ自殺はいけないってことを無駄に長く語ってるだけじゃね?
自殺者の意思を尊重すべきではないっていう意見が世間一般にまかり通ると自殺したいと思ってもそのことを誰にも言えない社会になるんだよ
言っても尊重されない、誰も相手にしないなら言わなくなるのは当然だからな
それによって自殺者が減ると思うか?むしろ逆だろ
自殺したいという意思を尊重した上で自殺以外の道を模索させることが自殺を減らすことにつながるんじゃねえの?
実際にカウンセラーとかはそうやって自殺させないように努力してる
誰もが自殺者になる潜在的可能性を有している
その意思を尊重しないのは恵まれた環境で自殺なんて手段を考えたことのない者の傲慢だと思うぞ
もっと単純に考えろよ
自殺してぇって病んでるやつに自殺なんてふざけるなって頭ごなしに否定してもそいつの死期が早まるだけだと思わね?
>>12
お前何のためにこのスレ立てたん?
自殺はいけないなんて小学校の道徳で習うような当たり前のことを堂々と言ったところで反論が返ってくる可能性は低いだろ
うんこは臭いってスレ立て延々とうんこに含まれる化学物質が人の嗅覚にどう影響を与えるのかの話を延々としても楽しくないよな?
多数派に物申す形式か賛否両論があることを話題にしたら?
>>13
>>12
あと
>ただ自殺はいけないってことを無駄に長く語ってるだけじゃね?
自殺はいけないと言っているのではなく
ハードルが低くなり過ぎないように
社会が認めるべきではないと言っているんだが?
また、長いのは本題は俺と同じ意見でも全面的に同じ意見ではない者が
現れる可能性を考慮したものであって無駄ではないんだよなあ^^;
なるほどな。
自殺についてじゃなくて、積極的安楽死の是非だなこれは。
末期癌患者には自殺を勧めて妥当?
患者の意思を尊重と言っているが、これは医師(病院)は絶対に認めてはならないことだってことを知ってるか。
延命できる手段があるにも拘らず、みすみす患者を殺すマネはできないからだ。
手の施しようがない、つまり末期癌患者であっても、患者を見捨てることはしてはならない。
人を救う立場にある医師に対して患者の意思を尊重して殺せとお前は言うのか?
楽にしてあげられるから、苦痛から開放させてあげたいから。
積極的安楽死問題はそんな単純な理由で「はいそうですね」と頷けるような問題じゃないんだぞ。
いや、頷いてはいけない問題なんだ。
患者を救いたい気持ちと患者を苦痛から開放させたいアンチノミーに医師は葛藤しなければいけない。
>>16
自殺はいけないから社会が認めちゃいけないっていう論理じゃねえの?
はっきりいって言葉遊びレベルで本質的な話じゃねえからどうでもいいんだけどこんなの
お前が自殺はいけないって考えてるならあっそうですか当然ですねで終わる話だもの
>>17
正しいなんて言ってないぞ
多数の人間が自殺はいけないと当然のように思ってると俺は言ってるだけ
お前はその多数の人間が考えることと同じことを長々と書いてるだけ
結局のところ>>1って当然のことをやけに長ったらしく言って末期ガン等の場合のようなそれこそ賛否両論分かれる微妙な問題についてはサラッと流してるのがすっげーチグハグなんだよなwwwwwwwww
末期がんでもう助かる見込みがないある患者が、医師にこう言ったそうだ。
「全身が痛い。鎮痛剤無しじゃいけていけない。家族に迷惑をかけたくない。お願いだ、殺してくれ」。
担当医は勿論、それを認めることはできるはずもなく、頷くことはできなかった。
しかし、助手の医師はそうは思わなかった。
あんなに辛そうに苦しんでいる患者をもうこれ以上見たくなかったそうだ。
なによりも、患者が死ぬことを望んでいる。
だから、夜中にこっそり患者を楽にしてあげることができる薬を投薬したそうだ。
勿論、患者とも家族とも合意の元でだ。
積極的安楽死が認められていないのだから当然問題になった。
この医師は、患者の意思を尊重して自殺弊助をしたことで法廷で有罪を言い渡された。
確か殺人罪だったかな。
昔、こういう事件があったそうだ。
この判例に対してお前は「患者の意思を尊重して自殺を合法化すべき」と言うのか?
>>1はブラックジャックを読むべき
安楽死やら尊厳死は詳しくないからその議論に移行するならフェードアウトするがブラックジャックは名作
>>18
「社会はなぜ健康な人の自殺を認めるべきではないのか」
についても書いてあるから積極的安楽死に限って
書いたわけではないんだよなあ^^;
また、勧めて妥当と書いたのではなく合法化も妥当と書いたので
あくまで死ぬかどうかは患者が決めること
「人の命を救いたい」という志を持って医者になる人はいるが
医者は患者にお金を貰う代わりに患者の
してほしいことをする(勿論何でもという意味ではない)
仕事であるのでそれに反して延命を望まれていないのに
延命するのは法律を抜きにして考えれば傲慢なんだよなあ^^;
今日(というのは正確ではないが)はここでオチる
>>24
お前の
「末期ガン等の場合のみ認めてそれ以外は現状維持でいいと思う」
という結論に対して、そんな簡単に認めることはできないって俺は言ってんだけれども理解できなかった?
「自由が失われている末期がん患者には自殺は妥当だと思える」に対して論理的に間違ってるって言ってんだけれども理解できなかった?
お前のその社会はなぜ健康な人の自殺を認めるべきではないのか、という考えの根底に存在している「末期がん患者等にはその場限りではない」っていう論理を俺は指摘してんだけれども理解できなかった?
お前がしたいその話、根底から穴がありまくりで俺はそこを指摘してんだけれども理解できなかった?
>>19
>自殺はいけないから社会が認めちゃいけないっていう論理じゃねえの?
全く違うんだよなあ^^;
(>>1より)
>これと同様に健康な人の自殺を認めると一時の感情に流されて
>冷静に考えれば望まない自殺が起こることが懸念される
「冷静に考えれば望まない自殺」とあるように
全ての自殺がいけないとは書いてないんだが?
そもそも自殺とは無になる行為であって無になると
それ以降、快楽と苦痛の両方を感じることがなくなる
その後もし生きていた場合に快楽>苦痛ならば
その自殺は損だったということになり、
苦痛>快楽ならばその自殺は得だったということになる
つまり自殺は必ずしもいけないというわけではないんだよなあ^^;
社会が認めてはいけないのと書いたのは
もし社会が認めた場合、快楽>苦痛でも
責任感に駆られる等の理由で安易に自殺する者の存在を考慮し、
自殺のハードルをいたずらに下げないためであって
俺自身が全ての自殺はいけないと考えているわけではないわけ
よって「言葉遊びレベル」でもなければ
「多数の人間が考えることと同じことを長々と書いてる」わけでもない
わかった?^^;
>>20
(>>1より)
>末期ガン等の場合は既に自由が失われているので
>合法化も妥当だと思えるが
末期ガンの問題には触れているんだよなあ^^;
>>21
単なる自殺ではなく末期ガン患者等の自殺(安楽死)だが言える
>>23
興味湧いてきたから読むわ
>>25
お前ちゃんと>>24読んだ?
>また、勧めて妥当と書いたのではなく合法化も妥当と書いたので
>あくまで死ぬかどうかは患者が決めること
>>1からも抜粋
>末期ガン等の場合は既に自由が失われているので
>合法化も妥当だと思えるが
「自由が失われている末期がん患者には自殺は妥当だと思える」
なんて書いてないんだよなあ^^;
>>26
お前さ、咀嚼するだとか噛み砕くって言葉知ってる?
俺が何のために安楽死させた医師に有罪判決が下された例出したと思ってるの?
文意ではなくて、単語単位でしか意味を読み取れないの?
一言一句自分とは違う単語や抜け落ちた言葉があった瞬間、お前が提唱した文の意味から逸れるって思い込んでるの?
俺が一歩進めてもお前が二歩退かせてるんじゃ喧嘩の意味ねえな。
言葉単位のミスしか付けない、論理的とはかけ離れた返ししかできないみたいだしもう帰っていいよ?
まぁ、医師は患者からお金を貰うために患者のしてほしいことをするとか言ってるバカだしな(笑)
お前医師がなんのために存在してると思ってるんだよ。
全世界の医師とその卵に対する冒涜だなこれは。
>>26
いやだからそれは安楽死も含めた話だろwwwwwwwwwwwwwww
苦痛>快楽が明らかな末期がんのような特殊な事例は賛否両論あるからそれに絞って話したらって俺は最初から言ってるじゃんwwwwwwwwwwwww
意味不明なこと言ってんじゃねーよwwwwwwwwwwww
確かに厳密には自殺の中に安楽死も入るが一般的に自殺って言ったら首つったり電車に突っ込んだりすることを想像するだろ
安楽死と健康な人の自殺をお前も分けて考えてるじゃん?なんで突然そこを混同させちゃってるの?
苦痛>快楽が自明な場合に命を絶つことを安楽死って言うんだろ?
俺が言ってるのは一から十まで健康な人に限った話なんだよ
いちいち「健康な人の」っていう接頭語をつけないと理解できないぐらいお前の読解力って悪いの?
会話の流れ理解できてる?付いていけてる?
俺が一番最初に書いた>>7を読めば一発で分かることじゃん
>>1の主張って『健康な人の自殺は認めちゃいけない』ってことなんだろ?
身体的に健康な人間がこの先生きても苦痛>快楽が続くかどうかなんてわかるわけない
まともな想像力を以てすれば自殺者は過去の人生で苦痛>快楽だったからこの先もをそうなるだろうと推測して死を選ぶんだろ
この自殺者が本当に苦痛>快楽のままだったかは誰にもわからないわけだからお前が言うところの妥当性の判断ができやしない
だがこれは死後の話で死ぬ前の話なら大きく変わる
その時は苦痛>快楽でも生きていれば将来的に快楽>苦痛に変わるかもしれない
第三者から見たときその可能性が0だとは言い切れない以上妥当な自殺なんてものは存在しない
だから社会は例外なく健康な人の自殺を認めてはいけない
要は生きてれば何かいいこと(快楽)があるかもしれないから嫌なこと(苦痛)があっても死んじゃダメだよってことじゃん?
そこで問題となるのは第三者から見た時に明らかに苦痛しかない人生だと断定できる場合にどうするかって話じゃん(安楽死・尊厳死問題)
賛否が分かれるのはそこで『健康な人の自殺を認めたらいけない』なんてことは多くの人が思ってることだって何度言えば気が済むんだよ…
俺は>>7の時点でその結論は当たり前すぎるって言ったらお前は>>10で『健康な人の自殺を認めるやつもいないわけではない』って言ったから俺は道徳の教科書の話を持ち出してきたわけじゃん(>>14)
この時点ではお前も健康な人の話だってことを分かってたわけじゃん
それで俺が>>19で「健康な人の」っていう接頭語を外したとたんに安楽死の話も混ぜ込んで全ての自殺の場合に拡大させるってどういうこと?
ずっと健康な人についての話をしてたのになんでいきなり安楽死も含めた全ての自殺の話にしちゃってんの?わざとやってんの?
会話の流れと俺の言いたいことが理解できてたらこんな勘違い絶対にありえないんだけど?
それともお前は健康な人でも認められる自殺があると言いたいわけ?
>もし社会が認めた場合、快楽>苦痛でも
>責任感に駆られる等の理由で安易に自殺する者の存在を考慮し、
事の本質をまったく理解できてねえ…
大多数の人間は苦痛から逃れるために自殺するんだろwwwwwwww
三島由紀夫みたいに切腹するやつが果たして現代日本で何人いるんだよ…
つうかそんな話>>1にまったく出てねえし後づけもいいところだわ
なんでそんな少数の事例を考慮して社会全体の話に広げてんの?
自殺しようとしてる人間の大多数は嫌なことばかりで人生に悲観的になってるから死ぬんであって考慮すべきはそいつらをどうするかだろ
論点をこねくり回してるうちにお前の言ってること意味不明になってきてんぞ
いやあ確かに小学校の道徳の教科書にそれは載ってないわwwwwwwwww
責任感に駆られて快楽>苦痛でも自殺するやつなんて統計的にほとんどいねえんだからwwwwwwwwwwww
出版社もそんな0%に近い少数派のための内容を教科書に入れるわけないもんなーwwwwwwwwwwwww
お前って最初から言葉遊びがしたいだけで自殺者の実態を考慮した本質的な議論する気ねえだろwwwwwwwwwwww
>>27
>>21のことか>>25のことかあるいはその両方かわからんけど
論は喧嘩板の重要な要素である以上、論の内容に関わる不足は
細かいものであっても念のため補うことに何等おかしい点はねえよ
「単なる自殺」と「末期ガン患者等の自殺(安楽死)」や
「末期ガン患者の自殺は妥当」と「末期ガン患者の自殺の合法化は妥当」
では言葉通りに受け取った場合本来の意味と変わり
尚且つ意味は通じるからな
それに対して>>25の「その場限り」は
言葉通りに受け取ると意味不明な文になるから指摘しなかったわけ
>俺が一歩進めてもお前が二歩退かせてるんじゃ喧嘩の意味ねえな。
これも的外れなんだよなあ^^;
俺は
>この判例に対してお前は「患者の意思を尊重して自殺を合法化すべき」と言うのか?
に
>単なる自殺ではなく末期ガン患者等の自殺(安楽死)だが言える
と不足を補った上で"答えて"いるし
>「自由が失われている末期がん患者には自殺は妥当だと思える」に対して
>論理的に間違ってるって言ってんだけれども理解できなかった?
は
>論理的に間違ってるって(>>18で)言ってんだけれども理解できなかった?
だから
>「人の命を救いたい」という志を持って医者になる人はいるが
>医者は患者にお金を貰う代わりに患者の
>してほしいことをする(勿論何でもという意味ではない)
>仕事であるのでそれに反して延命を望まれていないのに
>延命するのは法律を抜きにして考えれば傲慢なんだよなあ^^;
と既に答えていることだ
そして「冒涜」とかそれこそ「論理的とはかけ離れた返し」なんだよなあ^^;
>>28
>いやだからそれは安楽死も含めた話だろwwwwwwwwwwwwwww
安楽死を含めた話ではないんだよなあ^^;
>身体的に健康な人間がこの先生きても苦痛>快楽が続くかどうかなんてわかるわけない
>その時は苦痛>快楽でも生きていれば将来的に快楽>苦痛に変わるかもしれない
だが変わらないかもしれない
変わるケースと変わらないケースがある以上「自殺はいけない」と
いうのは論理的に正しいと言えないってわかってる?
個々の得な自殺を得な自殺だと人間がわからなかろうが
得な自殺が1件以上あると考えるのは自然なんだよなあ^^;
>それともお前は健康な人でも認められる自殺があると言いたいわけ?
社会が認めた場合メリットよりデメリットの方が大きいため
社会はいい嘘をつく(認めない)必要があるが、
健康な人の自殺の中に得な自殺はある
>大多数の人間は苦痛から逃れるために自殺するんだろwwwwwwww
>三島由紀夫みたいに切腹するやつが果たして現代日本で何人いるんだよ…
>なんでそんな少数の事例を考慮して社会全体の話に広げてんの?
>責任感に駆られて快楽>苦痛でも自殺するやつなんて
>統計的にほとんどいねえんだからwwwwwwwwwwww
1.責任感に駆られる"等"と書いている以上
責任感に駆られた人に限った話をしているわけではない
2.(1で)もし限った話でも「もし社会が認めた場合」
という仮定の話なので「現代日本」でない
(もし1年後に社会が認めた場合その時代は「現代」という括りだろうが
文脈上の意味である「現状の」とは違う)
3.(2で【ただし2のもし限った話でもという仮定はここでは使わない】)
もし仮定の話でなくても
苦痛から逃れるために死んだ大多数の人の中に
将来的に快楽>苦痛に変わる人がいるから
「もし社会が認めた場合、快楽>苦痛でも
責任感に駆られる等の理由で安易に自殺する者」に当てはまるため
少数とは言えない
4.(3で)もし少数でも少数者も社会と関わっているので
社会がどう対応すべきかという話をするのはおかしくない
百歩譲ってもいい加減すぎて話にならないこと書いた自覚あんの?
>つうかそんな話>>1にまったく出てねえし後づけもいいところだわ
後づけだろうと後づけでなかろうと
>>1と矛盾してなければなんの問題もないんだよなあ^^;
>お前って最初から言葉遊びがしたいだけで自殺者の実態を考慮した
>本質的な議論する気ねえだろwwwwwwwwwwww
俺は喧嘩をしに来たのであって議題が「社会は自殺を認めるべきか」
という本題でなければいけないと思っているわけではないし
義務があるわけでもないんだよなあ^^;
>>1を長くすれば本題以外のことに関しても議論できるわけで
現在俺は真理といい嘘についても議論しているわけだ
>>30
まず人に読んでもらうんだから改行するなり、余白作るなりしてもうちょっと読みやすい文章かけよ
括弧と引用符が乱雑に入り乱れてて読みにくすぎるわ
>変わるケースと変わらないケースがある以上「自殺はいけない」と
>いうのは論理的に正しいと言えないってわかってる?
残念ながら言葉遊びの域を全く脱してないな
ケースって何?
ある自殺のケースを挙げてこれは変わるケースですこれは変わらないケースですなんて言えないからwwwwwwww
現実的な想像力があまりにも乏し過ぎて言ってることがいちいち頓珍漢なんだよ
俺は生きている人間の可能性の話をしてんの
変わるとは断言できないし変わらないとも断言できない
変わらない可能性が99.9%であり変わる可能性が0.1%であったとしても「生」に希望をもたせるのが社会の役割なんだよバカか
>個々の得な自殺を得な自殺だと人間がわからなかろうが
>得な自殺が1件以上あると考えるのは自然なんだよなあ^^;
なんで自然なの?wwwwwwwww
お前の妄想ワールドで語ってんじゃねえよwwwwwww
「妥当性の判断ができない」けれども「妥当な自殺は存在する」
可能性があると言うのと一件以上確実にあると言うことの間には大きく相違があるって分かってるよな?
論理が飛躍しすぎててちょっとびっくりだわ
そういうケースを一件でも挙げることができるなら認めてやってもいいけど?wwwwwww
神様に会って聞いてこいよwwwwwwwww
この点に関してもしもお前が論理的に説明できなかったら論破ですからせいぜい頑張りたまえ
「自殺はいけない」というのは論理的に正しいなんてどこに書いた?
その自殺が妥当だったかどうかなんて神にしか分からないわけでそんなものを前提にして妥当だの損だの得だの言ってることがもう的外れなんだよ
自殺の妥当性を人間の視点で判断できない以上「生命」に対する価値観を基に社会は健康な人の自殺はいけないと啓蒙するしか方法はないんだよ
それが今の社会に共通して存在する倫理観というものにつながってくるわけだ
妥当かどうか分からないけど妥当な自殺は存在しないと認めることそのものが社会全体の公益につながる
だから『健康な人の自殺を認めることは賢明でない』という結論は啓蒙されしつくした当然の意見なんだよ
ここで妥当な自殺が論理的に存在しうると結論付ければ社会は自殺を止めることはできなくなるからな?
何故ならば自殺事件があった時にそれが妥当かどうかわかりませーんとなり、社会はその自殺を認めるとも認めないとも言えなくなってしまう
何も言わないということは実質的には黙認してることと同じなんだよ
だから今の日本では自殺に対するハードルを上げるために自殺はいけないと教えてる
そもそもこういう道徳に直結するような話で論理的な正しさなんて誰にも分かるわけねえだろ
「殺人はいけない」だって誰もが当然だと考えているが論理的に正しいと言えるか?
言葉遊びばかりで本質的なことを見落としてるんだよ
文章は下手くそだし、自殺者の実態は全然分かってないし、現実に対する想像力は皆無だし、後づけで意味不明なこと言いだすし、言葉遊びばっかりで本質全然捉えてないしで難藻内容も呆れてるんじゃね?
議論板でやらなかったことだけは正解だなwwwwwwww
はっきりってこれ以上お前と下らない言葉遊びするのもだるい
「個々の得な自殺を得な自殺だと人間がわからなかろうが得な自殺が1件以上あると考えるのは自然」
>>31の中段でも書いたけどこれの説明だけでいいわ
説明できないと俺が論破しておしまい
>>32
この広い世界日本で発覚しているだけでも
毎年三万もの自殺者がいるわけで
その全員がもし死ななかった時に快楽>苦痛になると考えるよりは
1人以上は苦痛>快楽に終わると考えるほうが自然だから
なんで自然なの?って聞いてんのに自然だからって頭大丈夫?
苦痛>快楽に終わる可能性はゼロではないかもしれないがそれは実際に一人以上いると断言できる根拠になり得ないって分かってる?
大量に居るから一人ぐらいは妥当な自殺してるだろってそれお前の単なる希望的観測だから
論理的な説明になってねえからwwwwwwwwwww
お前は1人以上は苦痛>快楽に終わると考えてるんだろ?
ならばその一人以上確実に存在しうることを立証してくれや
お前がそれを説明できないなら俺はこういえば論破できちゃうんだよなあ
「自殺の妥当性は判断できないため苦痛>快楽で人生を終えた人が存在するか否かについて我々人間が断言することはできない」