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喧嘩について

1テセウス◆EN2xAZks5w [2016/03/22 05:44:15 ID:2ND03VEg]

このスレは喧嘩をすることを目的としていない。
喧嘩について語ることを目的としている。
やむなく喧嘩に発展することもあるかもしれないが、基本的に私はそれを望んでいない。

(グラブルがメンテ中で)暇なので喧嘩について雑談的な、独り言的なノリで思い付いたことを語ろうと思う。

2テセウス◆EN2xAZks5w [2016/03/22 06:36:20 ID:2ND03VEg]

喧嘩の勝敗とは。


呆れるほど語りつくされてきたこの話についての私の考え。

私は喧嘩を二面性のあるものとして捉えている。それは“ゲーム的側面”と“芸術的側面”である。

ゲーム的側面とは、将棋のようなもので、あくまで論理というルールのもと、相手を理詰めにすることである。大きな主張は“王”で、それを取られたら負けである。派生した枝葉の主張は“歩”や“金”のように、取られても負けに直結しないものがある。このことからも将棋と通ずるものがあると思っている。

芸術的側面とは、音楽や絵のようなもので、空気、勢い、雰囲気など抽象的なもので構成された、いわば「良いと思う人」を増やす作業である。

喧嘩とは、これらの二面性を複合的に内包する、いわば“複雑な将棋”である。
この複雑な将棋は、ルールそのものを理解しているものがそもそも殆ど居ない。しかし、何故か“なんとなく”勝敗は決することがある。それは何故か。
例えば、麻雀のルールを知らないものが雀荘に見学に行ったとして、プレイヤー四人の戦況などいまいち解らないだろう。発している専門用語もほぼ日本語ではない。しかし、誰がトップで、誰がビリなのかは分かる。なぜならプレイヤーの顔色や声色、発言内容から容易に何が起こっているのか察することができるからだ。
では、もしプレイヤーが全員、本気で勝っている演技をし続けたらどうだろうか。そうなれば、観戦者は実際に誰が勝っているのか解らない。そして観戦者は、自身が勝っているように見える人間を“強い”と評価する。
これが芸術的側面から見た“強さ”である。

しかし、実際にはルールがあり、ルールの中でゲーム的な確かな勝敗は決まっている。本当にルールが分かっている人間から見れば、勝敗は明白である。しかし、麻雀を知らない観戦者のように、ルールが解らない人間もいる。だから、強く見せる必要がある。

つまり、喧嘩の強さとは、それを観る者のルール(論理)に対する理解の深さや、どのような雰囲気を重要視するか、という兼ね合いによって変わるものである。

当事者が宣言する「勝った!」「お前の負けだ!」というセリフは、「(ルール上)勝った!」と言い換えられ、ゲーム的に優位にあると宣言することにより、芸術的な優位性にも働きかける行為だと言える。

勘違いしないで貰いたいのは、芸術的側面とは、強がることではない。ゲーム的に決して勝ってもいないのに、強がってみせることではなく、いかに“魅せるか”という方が近い。つまり、なるべく多くの人に“ゲーム的側面において強い”ことを表現出来るか、である。それは分かりやすさであり、比喩表現であり、気の効いた煽りであり、様々だ。これを勘違いして、自演、粘着、「最後にレスした方が勝ち!」「逃げた逃げた!」などと言い出す奴がいるが、これはゲーム的側面における強さを表現することとはほど遠い。というか無関係である。芸術的側面に囚われすぎた人間の哀れな末路だ。

3テセウス◆EN2xAZks5w [2016/03/22 06:37:09 ID:2ND03VEg]

文章めちゃくちゃw

4テセウス◆EN2xAZks5w [2016/03/22 07:00:01 ID:2ND03VEg]

主張と根拠は、飛躍を伴う。

どんな根拠→主張の関係にも飛躍が伴い、その飛躍が大きいほど、それを埋める論拠の重要性が高まる。

どういうことか。まず、根拠(データ)、主張(クレーム)、論拠(ワラント)とはなにか。

クレーム「うちのポチは弱虫だ」

これにデータを足すと、「うちのポチはよく吠えるから弱い」

これにワラントを足すと、「うちのポチはよく吠えるから弱い。弱い犬はよく吠える」

データを元にクレームを打ち出し、それを接続するためにワラントがあるのが分かるだろうか。

「よく吠えるから(データ)、うちのポチは弱い(クレーム)」
この文章は根拠と主張の関係になっている。だが、飛躍がある。この文章が正しいとして、では「よく吠える犬は弱いのか?」という疑問が残る。ここがまさに飛躍であり、それを埋めるものこそワラント(論拠)である。

そしてこの飛躍は大きければ大きいほど気付きやすいが、小さいと気付きにくい。小さい飛躍は自明のことが多く、説明が省かれる。省かれても分かるということでもある。日本人はこのワラントが抜け落ちやすいため、論理的な会話が苦手だとされている。「察してやるのが正義!」みたいな思いやりの国だからね。

しかしそれが喧嘩では落とし穴である。

気付いた人もいるかもしれないが、上記の例文にはまだワラントが隠されている。小さい飛躍だから気づかれにくい。


それは、「ポチは犬である」だ。これは割と有名なよく出来た例文である。

日常生活でもこのデータ、クレーム、ワラントを意識していると段々喧嘩強くなる(かも)
「あれがデータで、あれがクレームだな」とか「ん、ワラントはどこだ?」とか。

5テセウス◆EN2xAZks5w [2016/03/22 07:03:21 ID:2ND03VEg]

眠すぎる
次は辞書厨について書きたいけどよく考えたらメンテ開けたら古戦場だからしばらく無理だわ

6テセウス◆EN2xAZks5w [2016/03/22 07:13:43 ID:2ND03VEg]

ああ、勝敗については色々あるよね。

判定は、判定員がゲーム性と芸術性どちらをどのくらい優先するかによって変わる。基本はゲーム性だけど。

降参はゲーム的に負けたと自覚した時にするよねだいたい。

でも結局は、両方を含めてどれだけ自分を強いと思ってもらえるか、って話でさ。ゲーム性と芸術性は単純に二分されるものでもなくて、どちらかだけが大事とかってわけじゃないんだよね。ゲーム性だけに偏っていくら勝ってても、難語だらけで意味不明なら意味ないし。ゲーム的に無茶苦茶なのに自演フル活用して雰囲気だけ醸し出しても意味ないし。
まあ公式なルールがある遊びじゃないからさ、喧嘩っていう概念は色々あるんだよね。

7テセウス◆EN2xAZks5w [2016/03/22 07:26:53 ID:2ND03VEg]

勘違いしてる奴多いけどさ、辞書って“定義”じゃないのよ。“説明”なのよ。

例えばこういう板の“喧嘩”ってもんがあるじゃん?

もちろんそんなものは掲示板が栄えてから自然と発生した概念(詳しく言えば違うけど便宜上)なのよ。
じゃあその概念を他と区別するために名前をつけたのよ。それも場所によって様々な呼び方で、板喧嘩、文字喧嘩、論争、論戦、喧嘩、色々あるのよ。

じゃあこの遊びが辞書に載るときが来たとするよ。

辞書に載せる人は考えるわけだ。この概念はどんなものか。喧嘩とはなにか。

そしてそれを“説明”するわけだ。

概念があって、それを説明してるだけなのよ辞書って。
だから「辞書と違う!だから間違ってる!」なんてだいたいの場合本質的に間違ってるのよ。その概念に対して大幅な誤解があったときに証明として使えることはあるけど。

つかさ、辞書によって説明文は違うし、詳しさも違う。その文に当てはまってないからはい間違い~なんてアホ丸出しだよ。
英文をそのまま和訳して繋げたら不自然な文章になるでしょ。辞書厨のやってるのはそういうこと。

8テセウス◆EN2xAZks5w [2016/03/22 07:35:41 ID:2ND03VEg]

辞書の文読んでもよくわからないけど、例文を読めばよくわかる、ってことはよくあるよね。辞書の文がその言葉の定義ではない証明だよ。

実際、その言葉の概念を適切に理解するためには、その概念を知っている人間がどのような文脈で、どのように使うのか、そのパターンを蓄積することで定めていくわけ。
だから辞書の上でしかその言葉を知らない奴って言葉の使い方が不自然なのね。
辞書でしか言葉を知らない奴はさ、友達に「おまえはまことに愚かだよなぁ」とか言っちゃってるようなもんよ。

赤ちゃんのころは生き物とそうでないものの区別がつかなかったけど、生き物のパターンを知識として蓄積することで、生き物という概念を定めていくわけさ。

ええと、何が言いたいんだっけ寝る

9名無し様◆0hDKYGFZm. [2016/03/22 10:19:47 ID:09J2PCTE]

くだらなすぎて読み終わった後泣いた

10名無し様◆0hDKYGFZm. [2016/03/22 10:30:41 ID:09J2PCTE]

>>7は特にひどいなw

11盲目&タルト◆iSXMx37wms [2016/03/22 16:27:16 ID:Bcm4GaHQ]

>>2
非常に共感できる内容だね。
しかし芸術的側面でいくら優勢であろうとゲーム的側面ではっきりと負けと判断された「結果」が出てしまえば、芸術的側面の能力がほとんど意味を成さない。
例えば喧嘩で難しい意味を持つ言葉を多量に使用した見せかけの長文を投稿する人が居たとする。
大抵の人は芸術的側面を重視して文章を見る為、どちらが優勢か何も意見がない時、人はそういう文章を書く方が強そうだと思っちゃう。
しかしその後その人が敗北した場合、ただ無駄に長い文章だったと感想が一変する。
また、ゲーム的側面は理解できる人にしか理解できない物であるから、「結果」のみがゲーム的側面の能力値を表す傾向にある。

それらを踏まえると結果さえでなければ喧嘩の強さの象徴であるゲーム的側面ではなく。
見栄えだけの芸術的側面の方が遥かに自分の評価に影響を及ぼす。
よく喧嘩師ランキングを見かけるけど多くが結果や芸術的側面だけでで評価しているものだと思う事が多い。
この掲示板のランキング作成者が評価を着ける際にきちんと相手の文章を理解できる「ゲーム的側面」を見れる者である事を願う。

12盲目&タルト◆iSXMx37wms [2016/03/22 17:40:40 ID:Bcm4GaHQ]

今まで一度一定の評価をランキングでされた人がその後明らかに強くなっている場合も弱くなった場合も評価が変動したのは見たことがないんだよなぁ…
どこの掲示板でも…

13盲目&タルト◆iSXMx37wms [2016/03/22 17:43:22 ID:Bcm4GaHQ]

>>4
確かに猫は吠えるとは言わないからね