>>100
言葉のキャッチボールが苦手だとか、人の気持ちを読み取る事が難しいとか
対人スキルが劣ってると本で見た
ちなみに自分の好きな事にはかなり没頭するらしいからそれを上手く使えば良いかも
>>1
自殺考えたことある?
これについてどう思う?
938: 三日月◆Moon/EYyes
2018-01-13 13:06:41
ID:FPmz85aU
>>925
亀レスだけど面白そうだから首突っ込むわ
>やっぱり究極はそこに行き着くだろうね。
>こっちは産んでくれなんて頼んでいない。
>特別不幸な人生じゃなくても、特別幸福に生きてもいない。
>むしろ人生、辛いことのほうが多い。
>プラスとマイナスと比べてマイナスのほうが多ければ、
>生まれなかった「ゼロ」のほうが良かったかもしれない。
>そう考えても不思議じゃない。
>結局それは、生きること自体の価値の問題になってくる。
>人生の根本的な問題になりすぎて、
>私もうまく説明できないんだよね。
>というか、生きる価値そのものは、
>理屈で説明することは難しいと思う。
これって俗っぽく言うと「考え過ぎ」ってとこに
原因があるんじゃないかな。
もうちょっと具体的に言うと理性が本能を抑えつけてるってこと。
プラスマイナス云々の話聞いてて思ったけど、
確かに理性は幸福を最重要とすることがある。
でも、(生存)本能は生存を最重要とする。
理性でマイナスになったら損切り(自殺)するのも選択肢と考えると、
本能はそれに対して怯えるんだと思う。
「マイナスになったら理性に殺されるかもしれない」と。
結果的に幸福を求める程、幸福が遠のくジレンマっていう。
やはり人間に本能が備わっている以上、
幸福に生きるためには本能を尊重せざるを得ない。
じゃあどうすればいいかって言うと、
抑えつけられてる本能を解放すればいいんじゃないかな。
具体的に言うと闘争本能を刺激する趣味を持つ。
ボクシングやモータースポーツを観戦したり、芸術鑑賞をしたり、高価なものを着飾ったり。
そうすることで本能が研ぎ澄まされ、
ただ生きているということだけで素晴らしいと思うようになり、
その原因である親にも感謝するようになる。
俺はそう思うよ。
>>100
あーでも確かに会話のないようがつもってくうちに許容量を超えていっちゃうのはわかる気がします
>>103
うーん、まあ僕には難しいことはよくわかりませんが、本能が理性を上回る場合それでいいと思うんですけど、本能を理性で押さえつけちゃうのが人間だと思うんですよね
そりゃ理性を失うことができれば楽なんでしょうけど、それは多分相当珍しいと思うんですよ
というか本能で生きてるだけで素晴らしいって感じることって無理じゃないですかね
野生動物が自分のこと幸せか不幸せかなんて考えてるとは思えないんです
生きてることを「当たり前」に出来れば一番なんでしょうけど、幸せを追い求めてしまうのも人ですからね
よくわからんまとまりのない文章でごめんなさい
ただ、考えて死にたい人もいるだろうけど、私は考える以前に「死にたい」「死ななくちゃいけない」って思ってます
まあとりあえず今日も明日もきっと死にたいだろうし死にたいっていうかいつか私は死ぬんだし、それが一刻も早く迎えにきてくれないかと思うばかりであり
もう死ぬ元気もないのです
飛び降りた元気が欲しい
>>111
おお南雲さん
そういう本能って、死にたいとかいう本能ですか?それとも生きることが素晴らしいっていう方の本能ですか?
>>112
死ぬことが怖いって思う本能がマヒして、なんか死ななきゃいけない義務感みたいなのに支配される感じ
>>109
本能を研ぎ澄ますってのは別に本能だけで生きるって意味じゃないよ
本能・理性・感性のバランスをとって生きていくのが理想だと思ってる
生きてるだけで素晴らしいってのは不幸は不幸だけど
不幸な生でも生は生でいいものって意味で
生きてるだけで「全てが」素晴らしいとは言ってないんだ
「死ななくちゃ」ってのは周りに迷惑かけてるかも的な?
>>113
ああ、それはありますね!
死にたくて仕方がないんですよね、他のこと何にも考えられないっていうか
ただ自分が死ぬ妄想することだけがめちゃくちゃ楽しかったですww
>>115
なんか鬱々ワールドな話題になっちゃうけど
自分がいなくなればちょっとだけ世の中が良くなるような気がして
そういう世界を想像してしまうってね
>>114
なんというか、不幸な生も不幸だけどこんな人生も人生だって思えるってことですか?でもそれって、なんか一度きりの人生で私はそうは思えませんでした
いや、他の人に迷惑かけてるとか云々抜きにして、自分という人間がこの世で一番悪人で汚く感じられて、自分が気持ち悪くて仕方がないんですよ
感情より、それこそ本能で死にたいと思ってる感じなんですよ
うーん、まあこれは病気だから普通の人には当てはまらないかもしれませんけどねw
>>116
あー、そういう人もいますよね!
私のタイプは「自分が死んでも何も変わらないならこんな辛いんだから死んだっていいじゃん」的な考えでした
タイプが違って面白いなあ
>>118
わからなくても人生に支障ないですからね〜別にわかってもわかったっていう事実が残るだけです
>>120
え、「自分が死んでも何も変わらない」よりも
「自分が死んだほうが良くなる」のほうが重症っぽく感じる
十代のころの私ってそんなに重症だったのか…
>>117-118
いやでもそれを越えて人生肯定に到達したら
逆に自分が生きてる信念みたいなのが生まれて良いよ
うーんムリヤリ考えるとしたら
自分が死んだあとのことなんて考えないで死にたくなったら死ぬって感じだ
死んだら何も関係ないもん
>>123
うーん、それはひとによるんじゃないですか?
なんか、マイナスでも価値があるっておもうっておこがましいと思ったんですよね
自分が世界に対して悪い影響を与えられていると思うって、なんか思い上がりかなって
別にお前がいても何も変わらないし、別に良くも悪くもならないよ、だって、お前いてもいなくても変わらないし、目障りな存在が消えても世界まで変わらないよ!お前の存在はどこまでもゼロなんだぞ!
って、言い聞かせて落ち着いてましたw
>>119
まあ俺も現時点では生きていることそれ自体に魅力を見出せないけどさ。
でも見出だせる人もいるしそっちの方が本能・理性・感性が
三位一体で形作られてる生物として自然な感じがするんだ。
心の底からの自己否定かー。まあそれは本能ではないと思うんだ。
あまりにも自殺願望が日常的になると
それが感情って感じしなくなるんだと思う。
感情って揺れ動くものだし。
俺は体験したことないけどね。
>99ふふふ ふふ。勿論
人は何と言っても 死は克服出来ない。克服出来ないものは恐ろしいだろう。万夫不当の王とて死は克服出来なかった。万人を恐怖に陥れる暴君すら死には敵わなかった。
ならば!死を克服出来ないならば、死は尚更恐ろしい。死ねば何も残らない?そんなことがあって堪るものか、私の功績は私だけのものだ。私の領地は私だけのものだ。私の生きた証は私しか証明してはならない。
死後、誰も私の功績や存在の証を語ることは許されない、それは最早自我崩壊よりも深刻だ。私を私以外の人間に解放して堪るか。
ならばどうすればいい?答えはひとつだよ!不老不死だ。
生憎私は、恐らく短いであろう人生に合わず数多無数の夢を持っている。その夢はたかが70年程度の人生で敵うかは解らない。
死んで堪るか、ならば!?
死にたいと思う人々の命を貰ってでも生きたいものだ。
少しでも長く、この世で確実な苦しみを味わいたいものだ。この苦しみが生者の特権でなければ、それはおかしい。生きるから苦しいのだろう、だから私は生きていることを実感し、その感情を独占するためにも生きたいのだ、
早死にするのはまっぴらごめんなのだ、命が欲しい。死なない命が欲しい。死んだら人間でなくなるかもしれない。
私は人間としていつまでもこの世に醜くしがみついていたい。
>>125
なるほど
自分の存在がマイナスであろうとマイナスの影響力を持っている
何も無いよりは孤独感が小さいかもしれないな…
私の場合は自分がプラスの影響を持ちたいという願望があって
なのに現実にはマイナスの存在なので
唯一自分にできる善行は自分を消すことだっていう考え方だったような
昔のことすぎて記憶がちょっと曖昧だけど
>>133
プラスの影響力は私も憧れでしたね
実際はそんな気持ちも全部よくわからないものにむしり取られた気がしますが
だが、不老不死はきっと気持ちいいだろう。人間が本来あるべき姿ではなかろうか?
神代において人間が不死身だった頃人間は呪われていなかった。呪われたから人は不老不死で無くなった。
酷い話だ。先祖の先祖のそのまた先祖…は前の人間の罪を今の人間が背負っているのだから。
>>141
それは人にもよりますけど、
私の場合は常に死にたいって考えさせられてるのが辛い、辛かったですね
>>147
卵が先か鶏が先か的な
私は死にたくて辛いのです
どちらが先かということなど忘れてしまいました
なんで死にたいの?→辛いから
なんで辛いの?→死にたいから
もうよくわからんな
そもそも死にたいから辛いってなんだ(哲学)