>>367
知識❎ 貶す❎
おたがいに芸術性を高めたい✨うむ了承した。
二人で絵画を作ろう、筆と🖌️キャンパスの関係だ。
ふたつで一つ。
創作しようじゃないか傑作を…🍀
>>368
ちっせえ問題なんだけど修正を施させてほしい、その『失った』は表現として変だ
恐らく先立ったテーマが『知識の取得』だったから対義させるために『知識の喪失』を意味する 失った を使用してパンチを効かせたかったんだろうと察する
その気持ちは分かるが本人が文中に於ける論理のメカニズムで『選択肢の縮小』と語ってる通りそれは決して知識を失ったわけじゃなく、所謂定石などと呼べる状況の流れを恣意的に持ち出せるようになってるだけだ
故に知識を失ったわけではないと思うぞ
あーごめんな細かいこと言って
言いたいことわかってるのに言葉尻拾うのは良くねーししたくねーんだけど後々面倒になりそうだったからさ
そんでまあ喧嘩の話題なんてほうぼうから突ついて煮詰まるのがザラじゃねえかな
この話題は誰々の物みたいな占有意識俺にはないから勝手に掘り下げさせてもらいたい、そこご了承
ただ今のとこスレ主かヒロくんかどっちの文に合いの手入れようか目移りしてっからしばらく黙っとくわ、気にせず二人で続けてくれ
音楽もコード1つとってもその出し方にこだわり出したらキリがないほど無限にありますからねぇ…
この理論にそえば必ず良いというものでもなく…かといって再現も難しく…
だから僕は進みたいんですよ。
誰も見たことのない場所で誰も見たことも考えたこともないようなものを見つけたいんですよ。
それは最悪、喧嘩でなくてもいい。
ただ、僕の知る限りそんなことに付き合ってくれるのは喧嘩師くらいですからね〜笑
>>377
僕は全然構いませんよ。
師匠がどう思うかはわかりませんが、きっと許してくれるでしょう。
もとより僕は美味しい(効果的な)レシピ(戦術)を増やしたいのでね。
とはいえ強さなんてものには興味ありませんが…笑笑
効果的な戦術ってそれは喧嘩に対しての、か?
だったらよく見かけるので言うなら『思っただけ戦法』は守りの一手として (効果的かどうかは知らんけど) 意識的・無意識的問わず使われてんじゃないか?
これは自己の意見を閉鎖的主観に限定し『思ったことは事実だ』と更にガードを厚塗りするやり方のことね
ただしこの戦法は思ったことが妥当であるか不当であるかの言い合いに逸れる傾向があって結局意味を為さないことままあるけど、まあ逸れなきゃ守りの一手としては有効な状況多そうだと感じてるかな
えーと、取捨選択の発想は間違ってないね…棄てること、増やすこと。どちらも成長の発展には不可欠として命題にされたね。
〈棄てようとすること〉〈増やそうとすること〉
その基準とは何なのか…
───はてさて
すでに持っている知識・自分にはない知識
知識の組み合わせによる生まれた智慧
【おもしろい喧嘩とは】
成長であり→知識であり→智慧である
そして、智慧の副産物が
【おもしろい喧嘩である】とする
成長とは→知識を取得することであり、知識を破棄することである。
では、基準とは何か?【おもしろい喧嘩のイデア】
何を取入れ、何を棄てるのか
それは、【当たり障りのない概念を越えるコト】だと感じる。
つまり【当たり障りのない概念を越えるコト】が絶対的な条件だ。
なぜなら、おもしろくないモノとは→以前と同じものであるとされているからだ。
だから【当たり障りのない概念を越えるコト】が絶対的な象徴であり。それは絶対的な基準となると思う。
とりあえずここまで。
あとは多少テクニカルなので言うと『相手の作ったルールを相手に当てはめる戦法』もあるよな、俺はこれ手軽で効果的なんじゃねえかと思うけど
>>385
すこし時間掛かるかもしれない。考えを纏めきれてないから。ヒロキングも考えてみるといいよ。
>>386
ウムム…戦法の話に派生してきたね。
何かを得るには、何かを失わなければならない。
>>383
考え方みたいなものですかね。認識を磨くというか、新しい視点でものを見るのが面白いんですよ笑笑
戦法ではそんなものもありますね。
皮肉を言いたくなるような時とかによく使います笑
僕は戦法もそうですがそれを喧嘩だけのために使いたいとは思いません。色々と派生させたアレンジも欲しいところです。
この基準とは…
【当たり障りのない概念を越えるコト】である。示された
──では、この【当たり障りのない概念を越えるコト】とは何か?
【前置き】
ピグマリオン効果
教育心理学における心理的行動の1つで、教師の期待によって学習者の成績が向上することである。⬅️引用。
【当たり障りのない概念を越えるコト】とはピグマリオン効果だと思う。なぜなら→喧嘩とは。自身の喧嘩の主張を覆されることを期待する。
でなければおもしろくない。
そして、一つの自身の命題は…
教師であると言える。
そして、それを学習し、その考えを棄てる。
新たな知識をもさくする。
だから、自身の命題とは、期待であり。
その期待によって向上された智慧が降ってくる
───だから
【当たり障りのない概念を越えるコト】とはピグマリオン効果であり。
その、観念が応用できると思う。
色々書いたけど消えちまった、まあしゃあねえな
だからサラッと書いとくと『当たり障りのない概念を越えること』ってのはもしかしてアウフヘーベンのことじゃねえかな、意味は調べてくれ悪いね
>>388
戦術というよりかは話術ってとこか、だったら心理学も一枚噛んでくるんじゃねえかな
コールドリーディングなんかは話術のみだけど日常会話で顔付き合わせて話すうえで良き関係になることを望むなら言動によるミラーリングも経験上わりと効果的だしな
ぶっちゃけ喧嘩戦術だけではなく日常会話術も引き込みたいんであればここで勘案するより実践で意識した方が何倍もいいんじゃねえかとは思う
一見バカげた会話でも自分なりに分析して聞いてたら (恐らく無意識だろうが) 上手い誘導してるやつ結構いるしな
>>390
ふむむ✨
アウフヘーベンか…止揚という言葉は知っていたが…
こんな意味だったんだ。ムムム…じっくり考えないとアカン提案だね。
〈戦術〉と〈話術〉の話には、着いてこれてないかな(笑)
喧嘩の手札とはなにか?
話術の手札とはなにか?
個別の話題へとシフトしてますね。
そういやさ
多角的な視座で事象を観察し多面的な価値をあまねく吸収、そうして得た知識を活用し知慧としたいってのがヒロくんの言い分を格式ばった表現にしたものだと思う
これって簡単に言うと、例えば食器のフォークってあるじゃん、あれ1つ取ってみてもその活用法は様々よね?
・一般的として飲食に活用すること
・代用品として穴を開ける為に活用すること
・応用品として爪先を曲げて見せショーの演出として活用すること
ここでの一般的な活用を『持っている知識』
代用品としての活用を『持っていない知識』とするなら応用品は知慧にあたり、こういう本来の用途から大きく外れてなお活用出来る方法を思い付く発想力 (知慧) をヒロくんは求めているのかと俺は思ったわけ
んでこれって恐らく概念的にアウフヘーベンの範疇だと俺は感じてんだよね
フォークなんて本来の用途は飲食に用いるもので
それをショーの演出に
しかも破損させてるにも関わらず
このねじ曲がったフォークは『記念にどうぞ』なんて渡されて、場合によっては飾られフォークとしての価値が昇華している
そんで【こういった発展の形 (=アウフヘーベン) を文章で行いたいんだけどどうしたらいいんでしょうか?】っていうのが今回のテーマだと俺は思ってたんだけどもしかして違う?
【アウフヘーベン】
あるものを、そのものとしては否定しながら、更に高い段階で生かすこと。矛盾するものを更に高い段階で統一し解決すること。止揚。揚棄。⬅️(引用)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
それは、まったくもって同意する。
【当たり障りのない概念を越えるコト】とは→
≪アウフヘーベン≫であると定義しても問題ない。ためしに統合してみようか。
ほんらいの知識とは、自身の命題(命題其の物)である
そして、それは教師である。学習し、棄て去るコト。
自身の命題を→アウフヘーベンする。
ほんらいの視点とは異なる為→智慧が必要になる。
で、その過程で生まれるのが【面白い喧嘩】となる。
自身の命題(普遍的命題)の否定が→【当たり障りのない概念を越えるコト】であり。それは→【アウフヘーベン】であると。定義してもよさそう。
あーなるほどね、要は自分と自分のマッチポンプってこと?
自己をアウフヘーベンせよみたいなことっぽそうだ、なるほどなるほど
であるなら面白い喧嘩ってのはめちゃめちゃに極まった自己満足的な行為ってだけだなー
自己の昇華・欲求の満足を目指すその過程において他者の存在は必要ないし
必要ないっていうか別にいてもいいけどその過程に影響を及ぼす存在ではないね
ただ別にそれそのものは所謂悟りのような自己問答の果てだから俺はドンドンやっていいと思う、むしろ多少やらなければならないとすら思ってるくらい
ってなってくると面白い喧嘩ってのは結局、止揚的思考のない対戦者又は観客からすると『こいつら話通じてねえじゃん』ってなる代物な気がするなー それは怖くね?
>>398
ンー💐究極的な自己満足行為💐ってのは
むしろ💐他己満足行為💐では?
言葉とは、みなが共通に所有していて➡️かつ自身の命題も亦…
すでに誰かゞ踏襲済みであり。
であれば、じぶんは、自分という観念から離れ。
メタ的な第三者経と昇華されることになる
だから、他己満足行為として扱われる。
止揚的な発想力とは、より物事を昇華させる為にあるのだと思う。その、視点とは常識を覆されること意味し➡️また、怖いとは。
自分の常識が覆るような考えは全て狂った人間の考えだと思い込んでるからだろう。
ヒトは未知を懼れる。
何故なら、安全を脅かされるから
ヒトは直ぐに洗脳され、安心し、責任を押し付ける
そう教育されたから、両親が言ってるから、先生が言ったから。国が認めたから、資格を取ったから。
そういって、直ぐに縋りつき。
覆されそうになると
喚き散らす
こわいこわいってな。
どうすれば面白い喧嘩や、面白いやり取りになるか。何通りかルートを、策を、練っていたんだが。
とりあえずパーツ纂めに徹してみることにする。
俺は構わないよ
そんで今から話すことは煽りじゃなく本心で憎しみも羨望もないことを先に伝えとく
ハッキリ言えばあんたの言ってることは酷く困難で理解に苦しむ場面も多々ある
「もっと噛み砕けるだろ」とか「読解しやすい表現あるだろ」とかめちゃめちゃ思ってる
でも頼むから今のままでいてほしい
俺はあんたみたいに敬遠されるであろう文章を書く人間の意図をなんなく掴める理解力が欲しい
ついでにその書き方も吸収出来たらなとか思ってる
だからぶっちゃけ急かされても困る、のでまったりという提案は助かるね
ひとまずこれまで、主題はまーーー これから読んで書くわ
ああちなみに俺はあんたのことを頭が良いだなんて砂粒ほども思っていない
どちらかと言うとやべー奴くらいに思ってる
でも俺はあんたと関わるし、あんたから得たいものがあるのは確かだ
まあ気を悪くしないでくれ、これを書いたのは俺のプライドが高かっただけだ
>>402
りょーかい( ゚Д゚)ゞ
君は洞察力に長けてるし、私は自分なりの解を示せる人間だと確信している。
なんとうゐうべきか…🌠
私は可能性の中に生きているからね。
時に苦しみ、時に喜び、時に驚き、時にはしゃぐ
私は可能性の中に住まう者
たしかに、ヤベー奴ってのは強ち間違ってないよ。
ヒロキングもその点に惹かれてやってきたのだろう
うむ…なかなか、楽しいやり取りになりそうだ💐
>>399
その解釈に於ける「言葉」は「人生」に近い意味を持ってるな
人生から解脱することは自己からの脱却 (昇華) =自分ではない何かになること、つまり第三者になるといえる
そして第三者ならば自己ではなく他者
故に【人生に於いて脱却 (昇華) を果たす行為は他者満足と言える】と結ぶことが可能
そしてその解釈に於ける「言葉」が「人生」と=or≒ならば
【言葉に於いて昇華 (脱却) を果たす行為もまた他者満足と言ってもいい】ってところか
まあ俺の解釈的にはその定義なら究極的な自己満足とは他者満足であるって理屈は通る
文字面だけ追うと言ってることはやべーけど「究極的な」という前提が止揚を意味してるからそこまで無謀な論理でもないな
そして怖さに関しては、要は、他者に依存してるってことなんだろう
覆される恐怖もまた存在するだろうが、より根源的な恐怖とは「理解の断絶」にあると俺は思う
意思の疎通が可能になった瞬間から「理解」に毒されていると感じるね
理解がなければ評価はない
理解がなければ会話はない
理解がなければ交流はない
自分の主張が理解されないことに俺は怖さを覚えているから、であればもう十分に毒されているし他者に依存してると言えるな
主張が覆されるのも、覆されたことが理解できるならきっと恐怖は覚えないだろう、晴れやかに非を認めるだけ
しかし理解できない場合
まず「なにいってんだコイツ・・」という怯えによる強がりが精々、そこに他者がいてその他者が理解していたらより一層恐怖は深まるんじゃないか
他者との理解の断絶がより正確に表現した根源的な恐怖であり、端的に、恐怖とは他者に依存してると表現するのもまあアリだと思ってる
【噺の展開について】
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
" どうするか "
一応。別の話題にシフトしているので、軌道修正してもいいけど。まあ何は扠措き、このまま進行しようか。
【自身の命題(普遍的な命題)】=【究極的な自己満足行為】
【究極的な自己満足行為】=【他己満足行為】
【他己満足行為】=〈言葉〉・〈人生〉
共通言語=皆のモノ
そして、思想は踏襲済み
であれば=自分の考えは自分の考えでなく
メタ的な第三者経と昇華される
そして、この考えは、人生の噺とリンクする。
人生の解脱=自分から、他者に、他者から、第三者になるコト。則ち…自己は自己でなく。他己と扱われ。
それは【他己満足行為】経と連綿と繋がってゆく。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
" ※ 恐 怖とはなにか? "
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
この問題の核は…
ヒトは未知を懼れるということ
そして、【理解の断絶】も恐怖であるということ。
つまり、この関係は…
〈自分〉と〈相手〉〈孤独〉と〈チーム〉である。
● 未知は恐れられる、だが未知もまた恐れている
理解されないコト、理解できないモノ
自分は理解されない恐怖、相手を理解できない恐怖
則ち…未知と理解の断絶、互い違いのシーソーゲーム
恐れは…恐れを生む。恐れは恐れられる。恐れられるモノも怖れる。
ではナゼ、根源的であったのか、自己と他己のような者で
己に関するコトだったからだ、
自分に对する恐怖、相手に対する恐怖。
わたしは相手が理解できないあろうことを、理解しているから胸に痞えるような恐怖を感じない。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
※"他者への依存"
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
他者対する依存もまた、自分への依存として表現できる。自らが恐怖を生み出した、と…
恐怖とゐうのは須くそうであるかのように内側から懼れという感情を引き出される。
そこには、自分が自分を恐怖しているのではないか?というメタ的思考に至ると思うんだ、全ては自分の行いであり、他人の介入によって動くことはない。
他人が恐怖したからといって、自分が恐怖をするわけじゃないように、他人の痛みは、自分の痛みではない。
…だがにも関わらず他者の刺激によって生じる恐怖だ、
ヒトはヒトに依存し、言葉に依存し、物体に依存し、心象に依存し、依存、依存し続ける。
それは、安心という洗脳を受け。他者対する拒絶からくるモノだ。
理解されないことに恐怖し、理解できないことに恐怖する
なにかを得るとは何かを棄てること
依存先が見つからないコトこそ
恐怖の本質なのかもしれない。
一つ一つ、分割しようかと思ったんだが、纏めちまった。それと段々ハイレベルな談笑になってきるし、まったりで正解だったな。
ゆったりやってこう。
わりーな遅くなった、まあこれもまったりの範疇ってことで
>>411
面白い喧嘩とは究極的な自己満足であり他者 (自他?) 満足であるという共通認識がはかれたところで話は戻るんだが
実は、この定義による究極的に満足のいく喧嘩が面白い喧嘩であると言えるのは 「ファーストパーソンから見た自分」 と 「サードパーソンから見た自分」 であり対象が 【自分】 の域から抜け出ていない
これは例えるなら 「A」 と 「A´」 、今真に求めるべきなのは 【A】 と 【B】 が面白い喧嘩だと感じる状態だと思う
しかし、他者 (ここでの他者とは今までとはベクトルが違うもの) の感性とは言わずもがな、得体が知れない
『こーゆー展開面白くね?』 とか 『こんな前振り面白そうじゃね?』 とか
自分の思う面白さを表明したところで相手からの理解が得られなければその時点で 【面白い喧嘩のイデア】 として扱えないんじゃないか?
仮に理解を得られたとしても、真を望むならそれが心からの理解なのか立場上の理解なのかまで言及しなきゃならん
まあ言及したところで意味ないんだけどな
つまりここから言えることは、イデアとは相互理解によって一時的なみなしを行う連携協定みたいなもんだろう
芯を食うなら、そんなもんは存在しねえって話になる
故に、ここまで語っておいてなんだが、俺は 【面白い喧嘩なんて求めるだけ無駄】 だと思うね
【面白い独り言】 ならいくらでも求められるし実現も容易だろうけどな
そして恐怖、以降語るのは依存について……と言いたいところだが
正直これといって返す言葉が俺には見つからない
俺は 【根源的な恐怖とは他者との理解の断絶】 としたわけだが、それはつまり相手に理解を望むことや相手と交流が取れないことなどを指す
そして 「相手に理解されることを望む」 これを俺は 「相手に依存している」 と表現していて
あんたの言う 『依存先が見つからない』 は 『理解してくれる者が見つからない』 と換言してもいいと俺は思ってる
もし、俺の解釈通りなら俺とあんたは恐怖の本質に対して差異は感じられない
あんたは頭のおかしい奴って印象は未だ抜けないが、なんだろうな、実は俺も頭がおかしいのかもしれなくて寒気がするよ
案外「理解する」ことも恐怖なのかもしれないな
今日から三日ほどイベント活動に精を出す予定だからその間返事が出来ないかもしれない
時間的余裕は余るほどあるんだが、半面が慣れないことだと両面共にベストパフォーマンスをこなすのは精神的に難しいんだ
そんで現状あんたとの対話は確かに心躍るが反面気疲れするのもまた確か
イベント活動によってこのやり取りに対するモチベーションがリセットされてしまったら復帰は困難になる
悪いな、現代若者のきらいがあるんだ俺
そんなわけで、なるべくそうならないようにしたいが、仮に中途でやり取りが終わっても気にせずそのまま忘れてくれ
ただあんたと出来るだけ対話を続けたい気持ちがあるのは本当だ
この話はこの話で終えて、また別の角度から話しかけることもあるだろう
そのときはよろしく頼む
まことしょーもない弁明でひじょーに恐縮ではあるがここに置いておく、じゃあまたな
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
【 ※ 自分の定義・相手の定義・第三者の定義 (辞書等)】
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
そうでもないさ、あんがい私らには合ってるんじゃない?上記の文を、遡ってみても。
おのがじしに綴られた言葉・旨趣はあまりにもハイレベルで容易ではないしな。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
" ※ 神の定義(イデア) "
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
面白い喧嘩とは=【自己満足行為】
【究極的な自己満足行為】=【他己満足行為】
【他己満足行為】言葉・人生。
ファーストパーソンから見た自分
──サードパーソンから見た自分
つまり、自分は自分見た≒【究極的な自己満足行為】
つまり、自分は第三者として見た【他己満足行為】
それでは、【自分】 の域から抜け出ていないのではと?
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
" ※ 神の定義 (イデア) .2 "
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
じつは、〈自分〉・〈他人〉の境界線を越えられるとも定義していたんだよね。
皆の言葉=自分の言葉+相手の言葉
であれば…言葉は誰のものでもない。
だから、自分は他人であり。他人は自分になる。
そして、それは皆の言葉となって、他人と自分の境界線は失はれ。
言葉は【自分モノでも他人のモノでもなくなる】
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
" 神の定義(イデア).3 "
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
" 君の定義 "
これは例えるなら 「A」 と 「A´」
今真に求めるべきなのは 【A】 と 【B】 が面白い喧嘩だと感じる状態だと思う◀️引用。
とりあえず
君の定義で進行しようと思う。
君の定義には
【相互間】と【面白い喧嘩】は
マッチしているべきだと書かれているね。
然しこの話は…「自分の面白い喧嘩の定義」や「どくてん・ヒロキングの思う面白い喧嘩の定義」とは異なります。
真理は分裂します、さながら様々と色を変えるカメレオンのようでそしてそこにはあるのは「定義」なんですよ。
【自分の定義・相手の定義・第三者の定義】です。
間違っているのではなく、真理は分裂する。
そして、それは一つ一つ保存される。
自分が面白ければ、面白い喧嘩だ【コレも定義です】
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
───さて、きみの面白い喧嘩の定義は両者の理解で成立するモノだね。
『イデアの考察』
そして、イデアとは、この世に完璧な円はない。何故ならよく観察すれば凸凹しているからだ、然しこの世には完璧な円が存在している。我々は完璧な円を認知している。それは【円のイデア】と呼ばれ、
この世に存在しないはずのコレ、概念として存在しない
だが存在するとするのがイデア、完璧なイデア
円のイデア。そんな意味で捉えている。
【面白い喧嘩のイデア】とは、本質のコト、美しいイデア、満開のサクラを見て佼しいと感じるこの質感、エベレストの頂上からみて感じとった佼しさ。
我々の感じる美しさとはなにか?
この世に絶対的な美しさがあるのか?おのおのが感じるとる美しさには個人差があるのではないか…と。しかし、この世には人間が本質的に感じる、美しいイデアが存在するのではないか?というコト。
【面白い喧嘩のイデア】も同様に、面白い喧嘩のイデアが存在し、我々を本質へと導いてくれる。
美しいモノは、美しく、汚いモノは汚い、
そんな、絶対的なモノがないにも関わらず、この世には絶対的なモノがあって。
その基準を探ることコソが【面白い喧嘩のイデア】だ。
〈自分〉〈他人〉、存在していないはずの、絶対が存在している立場故、この相互理解の観念は、面白い喧嘩のイデアに内包される為。きみの無駄という考えは否定されると思う。
すまん【恐怖の考察】まで手が回らなかった。
>>413
おう( ・∀・)ノいってら~
オラもわくわくすっぞ、佐藤7号は、佐藤7号のペースで返信すればいいよ。
晦渋なやり取りを、ハイペースでやっても脳ミソが噴火するからさ。
ヒロキングも別の用事かなんかで来れてないみたいだし、各自やる気が沸いたとき執筆してくださいな。ほんじゃい、イベント楽しんでな~
【恐怖の考察】
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
" どうするか? "
君の語った。
依存先が見つからないとは【理解してくれるモノが見つからない】ではないか?…としたね。
この上記の一文を否定しようと思ったとき…まず考えたのは
依存しようとするコトは【能動的】だと云うこと
 ̄ ̄ ̄ ̄
そして、その【理解してくれるヒトか見つからないは】
【受動的】であるというコトだ。ココで差異が見られるね
 ̄ ̄ ̄ ̄
ってことは…だよ
〈自分は求める〉・〈相手から求められる〉
──この関係になると思うんだ。
だから、その問は換言できないと睨んでいる。
「相手に理解されることを望む」 (受動的)=相手に依存している(受動的)◀️相手から求められるコトを望むから。
これは〈自分〉と〈相手〉〈自己〉と〈他己〉の話しと一緒だ
理解されないことに恐怖し、理解できないことに恐怖する
〈自らの居場所を探すハナシ〉〈相手から求められるコトのハナシ〉旨趣が違いますね。
自分に对する恐怖、相手に对する恐怖。(未知サイド)自分は相手に理解されていないんじゃないか?という恐怖。
(既知サイド)相手を理解できない恐怖
そんな処かな。
始まりは全体の半歩だとされているし、理解の始まりも恐怖の半歩かもしれない。
知らないことの恐怖、暗闇の山道。
知ってしまう恐怖、自分は正常?異常?
それは、【恐怖の半歩を進んでしまったのかもしれないな。】
佐藤7号は、磨けば鋭い槍となるよ…きっとね。槍と謂えば。あの、キリストの生死を確認する為に刺したとされるロンギヌスの槍を連想するんだが、変人かもしれんな
あと、ボール⚾️を打ち返してて気付いたのだが、やっぱり君たちには文章を構成する才能があるね
このまま自分の考えを確立していけば深い思想に到達可能だと密かに感心してたわ。
でさ、自分について考えたんだよ
オレの実力とか、思量とか、想起力とか、着想そんなモン。、佐藤7号との、対話はだって展開によっては、もっとおもしろく話せたなとか。もっとおもしろい道を示せたはずだとか、そんなことをオレはあっちこっち発想を飛ばしてた。
もう些し思考を明かすとすると…
今って、あまり、あたまを使わずに書いてるんだよね。
だったらもっともっと、思量の幅を柔な飴玉の如く延ばせるはずなんだが…
んー、どんな話をすべなのか?
幾つかのパターンを考えつつ、パーツを集めつつ。
どんな道を開拓して、ヒトが歩ける道を確保できるかどうか。未だに考え中。
そういや…今のカスフィは
誰一人喧嘩しようとしないから本当にザコの巣窟だな。
「ガキ集団」の中で「ガキ大将」決めてるのかな?って感じだよ。中身スカスカでよくやってられるよな?
その点、佐藤7号は精力的だし、
その時点でカスフィとは一線を画してるよ、あっちで彊い、彊くないとか語ってるけどほんま嗤えてくるわ。
まあ、対話はオープンにしてるから。佐藤7号が話したいトピックや話題、言葉遊びがあれば乗るよ、このままフェードアウトしても仕方ないっちゃしかたない。
コレを返信する✉️↩️って大変だし、実力を出しきれる形には持っていきたかったんだが、なかなか楽しい方向には転がってはくれないものね。
やっぱりのんびりに勝るものはないな。うむ🌠
すまん鶴の一声で今までのやり取りを無かったことにしたわ
機会あったらまた違うテーマで話そうぜ、お兄さんの器でかいだろうからこんくらいのワガママ許してくれるっしょ?
つーわけで、では、マタアイマショウ マタアイマショウ…
おうよ( ・∀・)ノ
なかなか面白かったぜ(0゚・∀・)wktk
討論に期限とかないからさまた反駁したくなったら時があったらそれはそれで楽しむよ。
ほんじゃ、マタノヒヲ マタノヒヲ…
質如何に関わらず喧嘩が起きない状況ってつまらんね
気が向いたら雑多なスレ適当にpickして起きてる喧嘩見るんだけど 「気が向いたら」 程度の心持ちであっても、いざそれが無いとうっすら心が曇ってくるわ