葉っぱ天国管理人を捕まえた男の末路

20名無しさん
2022-02-15 07:52:13
ID:Hj8mW0js

「性的誘惑とは、ある人が、最初は気乗りしない相手を、性的欲求に基づくセックスへの意欲に変換することによって、セックスに従事させようとする意図的な試みである。これは、ある種の特別な喜びを経験したいという、意識的または無意識的な動機であると考える。
ある個人が、健全で、有効で、関連性のある理由付けを行うことによって、他人のセックスに対する最初の不本意さを、性的欲求に基づくセックスへの意欲に変換することは、そうそうないだろう。万が一、そのような試みが成功した場合、私たちはそれを『性的誘惑』ではなく『合理的な性的説得』と分類することになるだろう。

このように解釈すると、性的誘惑はかなり広いカテゴリーであり、無害な求愛の形態、断固として不道徳な強姦の形態(例えば、深刻な無能力者とのセックスやターゲットの恋人になりすましてのセックス)、およびこれらの両極端の間にあるさまざまな形態の性的追求を包含していることになる。不快な誘惑は性的な誘惑の一部である。この広い意味での性的誘惑から不快な誘惑に至るには、最初の性的不本意が性的本心に非合理的に転換する過程で、それが無害でもなく断固として不道徳でもなく、道徳的に憂慮すべきものになるには何が起こらなければならないかを考えなければならない。

不快な誘惑者がありふれた性的な誘惑者と異なるのは、彼らが意識的に持ち、動機づけされた評価を迂回する方法で対象者の動機を管理することによって、性的な意思への転換を達成することである。あまりに抽象的な話にならないように、ある特定のケースについて考えることで、この不愉快な誘惑の理解を深めることができるかもしれない。

この点で、キルケゴールの『誘惑者の日記』におけるヨハネスのコーデリアに対する扱いを考えてみよう。コーデリアは思春期の少女で、性欲に敏感だが、彼女が内面化している保守的な中流階級の性道徳の厳しさに阻まれている。彼女は当初、ヨハネスとの性的関係には無関心だったが、ヨハネスは彼女と婚約し、彼女の最初の性的不本意な気持ちを性的快感に、それも、コーデリア自身の美的自己定義の試みの表現である性的快感に変換することを特別なプロジェクトとする。

長く非常に複雑な誘惑の物語を短くすると、ヨハネスはひそかに、コーデリアの中に新しい動機、つまり、従来の道徳の制約から抜け出して、彼女自身の美的感性の衝動に従って人生を形作るという関心を培うようなことをするのである。彼は、叔父の家で開かれる婚約者の集まりに彼女を連れて行き、フレデリクスベルグ庭園で日曜の散歩に連れ出して、婚約者たちが自分を見せたり、ゴシップをしたり、彼女がそうした婚約者たちが持っているように見える以上の関係を望むようにするために考えられたアイデアに彼女をさらけ出すのだ。その一方で、ヨハネスはコーデリアの性欲を刺激するために、自分の興味と彼女の興味を引き出すような方法で彼女を見つめ、恋人についての詩を表情豊かに読み、情熱的なラブレターを書くなど、さまざまな働きかけをしている。

コーデリアのヨハネスに対するエロティックな関心と美的自己規定への関心が高まるにつれ、ヨハネスは二人の婚約を地味で窮屈なものに見せかけようと努力する。その結果、ヨハネスはコーデリアの婚約を破棄させることに成功するが、ラブレターは届く。コーデリアのヨハネスに対する性的欲求がピークに達したとき、彼女はヨハネスの誘いに乗って、自分の美的感覚に従って人生を切り開くという新しい関心に身を任せようと決心する。彼女が約束の場所に着いたとき、ヨハネスの姿はなかった。ヨハネスはすでに、コーデリアの性的不本意な気持ちを性的快感に変えるという計画を達成していたのだ。」

「不愉快な誘惑」
エリック・M・ケーブ
倫理学理論と道徳実践

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