>>26
ひとえに根拠と言っても噂レベルのものから検証された結果までをあまねく包含します。
後者を指して「論理的な根拠」と表現することに謎が残りますか?
>>30
相対的な話だから分からないのです。
この店はまずいとなった時点で基準が発生します。ではあの店がその基準をなぜ上回ると予測されるのでしょうか?
>>32
その背景はいま考えなくていいと思う。だって、「平均をかなり下回る質で、粗悪品ばかり提供していれば」「他の店の方がいいだろう」と妥当に推測できるんでしょ?
>>34
今更ながら確認させて頂きます。
>例えば品質が「高い」から「ふつう」に変わったとしても
この「高い」は「低い」の書き間違いですか?
>横やりした方がテンポが良くなる可能性が高い
>横やりすれば確実にテンポが良くなる
この違いよね。
>>36
それは相対的な話ではなく絶対的な話です。
サイコロの目は決まっており、1より小さい目は絶対に存在しない。
相対的な話であるなら、このように絶対的な基準があってはなりません。
>>39
私が何を相対的と言っているか理解してください。
質の善し悪しです。ここで言う数字の大小そのものが相対的なものだと言っているんです。
0〜100の範囲で、50よりも大きい数は51〜100、40よりも大きい数は41〜100、30よりも……っていうふうに、基準が下がっていけばいくほど、その基準より上の範囲が大きくなる(条件がゆるくなる)
>>40
すみません。よく分かりません。
私は、質が低い場合他の店の方がいいだろうと推測出来るという話をしたはずです。
>例えば品質が「高い」から「ふつう」に変わったとしても、「他の店の方がいいだろう」ってなるのかな?
この「品質が高い」というのは何処から出てきたんでしょうか?
>>46
そうですけど、「高い」から「ふつう」に変わるっていうのはどういう意味なんですか…?
元々品質は高い設定ではなく低い設定だったはずなんですが…
>>47
え、だからさ、基準が90→50になっても、ある数値がその基準より上だと妥当に推測できますか?っていうような例えなんだけど。
妥当に推測するためには基準が「ふつう」を下回ってないといけないよね、そこが重要な前提だよねって、話なんだけど。
>>48
品質が30→50になっても、なら簡単に理解が出来るんですけど90→50というのがよく分かりません。
ふつう(50)を下回らないといけないのなら、品質が90でも50でも同じことじゃないですか。
>>50
例えば90→50と90→20の変化を見たときに、どちらも数が小さくなってて、「ある数がその数よりも大きい可能性」が高くなってるってところは一緒だってわかるじゃん?
でも前者と後者では「どれくらい高くなるか」が違ってて、それが「妥当に推測できるかどうか」に関わってきてる。つまり「可能性が高くなる」だけでは不十分で、その上で「どれくらい高くなるか」が重要な分岐点になるってこと。
>>41
質の良し悪しが相対的な話だっていうのはわかるけどサイコロの話は違うよね。
そもそも「最初に出た目が小さければ」という仮定ができるのも、サイコロには上限・下限という絶対性があるからだよね。
仮に無限の出目を持つサイコロが存在するとすれば、最初に出た目が小さいのか大きいのかを決定づけることはできない。
次の目を振ってようやく相対的な大小関係をつけることができる。
ゆえに1度目を振った段階で、次の目がそれよりも大きい確率など計算できない。
相対的な話というのはそういうこと。
だからこそ、最初の店よりも次の店のほうがおいしい可能性が高いなどという計算はできないんですよ。
>>54
何が相対的なのかは既に説明した通りです。
良い悪い、大きい小さい これらは相対的なものです。
平均をかなり下回る質で、粗悪品ばかり提供していれば「他の店の方がいいだろう」という事は妥当に推測出来ると私は主張しました。
ここからも分かるように当然善し悪しにも上限や下限があると考えて話していますし、逆にそれが存在しないというならそれなりの立論をよろしくお願いします。
>>53
そのままじゃん。何が分からないんだ?推測だと妥当性そのものが存在しないとでも思ってるの?
>>52
ああ、なるほど。変に自分の話と結びつけて考えていたせいか理解に時間がかかりました。
要はスタート地点が90であれ51であれ50を下回らない事には妥当に推測出来るとは言えないって話ですよね。
>>58
相対的なものの見方に上限や下限があってはいけないというのが分からない感じ?
上限・下限があると「絶対」が生じてしまうわけで、その時点で相対的にものを見れなくなるという簡単な話です。
君は今回の話を相対的な内容というが、その一方で上限下限あると言う。
それはもう立派な矛盾なんですよね。
相対評価って比較対照が2つ以上ないとできないよね。
もし評価対象が1つだけなのに「出た目が小さい」って言ったのなら、それは何と比較した相対評価なんだって話になるもの。
評価対象が1つにも関わらず大きい小さいって言えるのは特定の基準を設けてるからってことになる。
絶対評価これのことでしょ?
>>16
そっかー。
俺は時間的にも金銭的にもやる余裕ないけど、DP世代だから懐かしいんよね。
タイムリープとかできたら映画館とかで限定配布されたポケモン全制覇したいな...。
>>63
いい加減、何を相対的と言っているか理解してください。サイコロの目では1が最も小さいですが、そもそも小さいという言葉自体比較なしには言えない相対的な概念です。そういう意味で相対的であることは上限・下限がある事と何も矛盾しません。
>>64
厳密には比較対象は1つあれば相対評価が可能で、評価対象が2つ以上ある必要があります。
そもそも「小さい」という事自体、比較なしには言えないので、基準を設けるという行為も比較対象を定めているに過ぎません。
>>67
相対的であるなら他との比較によりその評価は変動的であるはずだが、サイコロの1という数字は最も小さい数字であり、その評価は変動することのない絶対的な評価となる。
また、それを絶対的たらしめる要因は"1が下限であること"にあり、つまるところ下限があるから相対的評価ができないのであって、結論として相対的内容の話に上限下限を設けてしまえば、相対的視点を失うことにつながる。要するに破綻してしまうってことです。
>>そもそも小さいという言葉自体比較なしには言えない相対的な概念です
比較なしに言えてしまうようにすることが定義づけです。上限下限の設定です。
1が下限であると決まっていれば、他と比較するまでもなく1は小さいという事が言えます。
これが絶対的な概念です。上限下限の設定は絶対的評価を可能にする。
知らんけど、日本語文法的におかしかったりするのかな?
まぁ、普通に理解できる言葉だし個人的には何も違和感はないから、別にそのままでいいと思うよ。
文法的におかしいっていうのは「日本語をおかしい。」みたいな怪レい文のことじゃないの。どうでもいいけど。
>>71
相対性なしに上や下は語れません。
仮に上限と下限が同じ位置に設定されている場合でも、上と下という概念自体の相対性は消えません。
「絶対的」というのは、その言葉の概念自体に向けられたものではありません。例えば、集合の中で比較するまでもない事を意味します。
これに限らず、良い悪い・高い低い・暑い寒いなど何かしらの差を表す言葉は全て他との関係の中にある言葉です。貴方が絶対と言っている部分と私が相対と言っている部分は異なります。
>>70
それの何処が面白いの?何処もおかしくは無いけど、ただ面白いって話?
そうやって、茶々を入れることしか出来ないならでしゃばらないでいいですよ。まともに指摘出来るようになってから出直してください。