南雲のひとやすみ部屋

940南雲◆NAGUMO/BxE
2018-01-14 02:38:09
ID:9rOchZv.

>>938
たしかに本能は生存を求めているね。そして、プラスマイナス、生きてる価値とかなんとか考えて悩むのは理性のほう。三日月くんの言うように、両者の葛藤が起きてしまうかもしれない。
その葛藤があるうちは、なんだかんだ言っても死なないと思う。理性で自己否定すればするほど、本能がその結末を強く恐れるから、葛藤が強くなって苦しさは増すけれどもブレーキはなくならない。本能のブレーキが作用している限り、自己否定しながらも生きていくのだと思う。

ところがある時点で、恐れる本能が働かなくなるんだよね。私も経験あるけど、怖くなくなってしまう。本当にやってしまう人ってこんな状態なんだろうな。私の場合は寸止めできたからよかったけど。

そして今はむしろ逆なんだよ。理性が本能を受け入れてる。私はよく「生きることに価値なんか要らない、生きること自体が価値だ」って言うけど、それは生きようとする本能そのものに理性が価値を見出したからかな。
私が考えてるのは、人間って、誰かの役に立っていると自分の価値を認めることができる。でもそれって一種の矛盾だと思う。ある人の役に立っていても、その相手が「価値のない人」であれば、価値のない人の役に立つのが価値のあることなのか。価値のない人の役に立ってもそれは自分の価値にならないと思う。では、その相手の価値の有無はどうやって決まるのか。その人が社会の役に立ってるかどうか?じゃあその「社会」を構成する一人一人の価値はどこからくるのか?…ってね。
そうやって、人間の「価値の根源」を辿っていくと、結局どこからも価値は生まれなくなってしまう。だからこそ逆に考える。誰かの役に立つことは、自分の幸せを生み出すけど、役に立たないからと言って自己否定する理由にはならないんだと。

三日月くんは「本能を解放する、研ぎ澄ます」と言ったけど、私はそれを「感性」と表現したい。人は芸術的なものを見ると感動する。その感動に小賢しい理屈は無いんだよね。音楽を聴いて心が動くのも、大自然を見て美しいと思うのも、それは感性であって理性ではない。雄大な大自然を見れば感動するけど、そんな自然なんて、物理学的に考察すれば様々な現象の結果であってそこに何か価値があるわけじゃない。でも人は感動する。

私は、人間にとって最大の芸術は人生だと思う。レオナルド・ダ・ヴィンチも、人生のすべてを一枚の絵に表現することは不可能だよ。自分が生きていることそのものが、現在進行形で芸術を創り出している。文学や映画などでは人の醜さを描くことも芸術たり得るように、自分の醜い部分もまた芸術。そして自分の人生の中には喜怒哀楽が詰まっている。どんな芸術家にも描くことのできない芸術で、要は、それを見出す「感性」を持つことだと思う。それが、三日月くんの言う「本能を研ぎ澄ます」に当たるんじゃないかな。

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