>>6
読みましたが?
まさかと思いますが[あり]か[なし]かを直接書いてないことを問題視されているわけではありませんよね?
『 小学生モデル 』に関する「議論」をする場所でしょう
単にありかなしかのアンケートではありませんよ?
分かっているとは思いますが念のため
私のレスに何か問題ありますか?
ありかなしか言えって言ってるから
せめて>>3に入れようよ
>>3だとただ小学生がかわいそうとか言ってるだけじゃん
そんなつもりはなくてもそういうふうにしか見えんよ
アンケートじゃないのは分かってるよ?
とりあえず自分は>>2をレスして他の人の意見が来るのを待って
もし来たらちょっと議論するつもりだったよ
なんにせよ>>1はありかなしか言えって書いてるし
とりあえずありかなしは入れようよ
>>>3だとただ小学生がかわいそうとか言ってるだけじゃん
小学生は勉強が第一と書きましたが?
そもそも一般的にアリかナシか論じるなんて不可能です
個人の境遇によってはナシかもしれないし、アリかもしれない
それらを全て含めてアリナシを決めるのは現実的ではありませんよね
目的はアリナシかの結論ではなく、小学生モデルというものに対する考察・議論であって然るべきです
個人的にはアリだけどとかナシだけど
これで終わる話なら議論をする必要はないんです
だから私はまず小学生モデルというものに関して、自分の意見を>>3で述べました
小学生は勉強が第一であると
さらに一歩進んで、親との関係まで話に出したのです
>>3を読めば私が小学生モデルに対してどういう考えであるかは理解できるはずです
ありかなしか書かれていないと議論できないわけではありませんね
>>9
あなたが議題の意味をわかってないよ。
「ナシ」だとしたら、そもそも小学生モデルはどういう家庭事情でもあってはならない、という全面否定になる。
しかし「アリ」だとしても、全面肯定にはならない。
仮に「アリ」でも、子供に勉強もさせず学校にも行かせず、子供が嫌がるのに無理やりモデルやらせていたら、虐待以外の何物でもないでしょ。そんなのはこの議題への答えが「アリ」でも論外に決まっている。
「アリ」というのは、小学生モデルというものの存在が許容できるという意味であって、どんなケースでもOKなんて意味じゃない。
たとえば「しつけとして子供をたたくのはアリかナシか?」と言った場合に、「ナシ」なら「どんな場合にも決してたたいてはならない」という意味だけど、「アリ」だったら「場合によってはたたくことも許容できる」というのであって、ちょっとのことでバシバシたたきまくることを肯定している訳ではない。それと同じ。
>>3を読むと、「アリ」とも「ナシ」とも直接には書いていないけれども「ナシ」の主張に読めた。でも>>9では、
>個人の境遇によってはナシかもしれないし、アリかもしれない
>それらを全て含めてアリナシを決めるのは現実的ではありませんよね
個人の境遇によっては「アリかもしれない」ということは、この議題に対しては「アリ」という結論になる。勉強を第一にして、親が子供を金儲けの道具としてではなく何らかの子供の将来のことを考えてのモデルであれば「アリ」ってことだね。
>>3ではナシであるかのように見えたあなたの主張は>>9ではアリだった。そんな訳のわからないことが起きるのは、議題の意味自体を取り違えてるからだ。
私自身には明確な結論がないから議論自体には参加しないが、まず、議題の意味を把握してもらわないと始まりません。
なし
同じ小学生からいうとちょっときもい
普通の服着て7時に学校いけ
ちゃんと勉強せい
小学生のモデルってあんま可愛くない。
だから『なし』かな~w
メイクとかしてる小学生ってはっきり言ってBSIKだよ?w
ブランドの服とかはっきり言って似合ってないよw
ハイ。ぐちってすいませんw
小学生モデル。
こんなことを論争してなにになるのでしょうか。
こんなのは、個人がどう思うか。の問題です。私は、無し。と、思いますが、こんなちっぽけなことで何か変わるのでしょうか?
どういう必要があるのでしょうかねぇ~www
>>21
君がよくここで「こんなことをして何になるのか」という主旨の発言をしているのを見かけるが、議論すること自体が目的の場合もあるため、何かを変えることを目的としていない場合もある。
「個人がどう思うかの問題」であったら何なのだろうか。それがお互いが思うところを述べ合っているのならば、まさに議論だろう。
それと、空白と句点と読点のせいで文章が読みにくくなっている気がするため、わざとやっているなら今すぐやめることを推奨する。
未成年は、まだ自分の行動に責任が持てない年齢です。
それなのに仕事の場に担ぎ込むのは、おかしいと思います。
力仕事にしろモデルにしろ、教育を受けるべき年齢の子供が搾取を受けるというのは、ふさわしくありません。
とくに小学生などの頃の記憶は、その後の人生に大きく関わるものです。
小学生の頃から自分の顔が世間に出回っているという状況は、人によってはかなりの苦痛になるのではないかと、私は思います。
>>24
一見子供のことを考えているようで実は違うのではないか、と思わせる内容です
ドフトエフスキーは言いました「人間は慣れる生き物だ」
子供の立場になるならば”慣れ”というものの特異性を考慮に入れるべきではないのでしょうか
一般的な良し悪しをなすりつけるのではなく 彼らにとってはどう見えるのか という点が大切になってくるのではないでしょうか
常識的なマイナス点が 彼らからしたらマイナス点にならないと考えるからです
”責任が持てない年齢”というのが不可解です
具体的にどういうことなのか知りたいですね
>"責任が持てない年齢"というのが不可解
>>26
モデルの契約は保護者がおこない、またその仕事も、大抵は保護者の協力の元におこなわれると思います。それは、小学生にはそのような決断を行うだけの能力が無いからです。「決断を下すだけの能力がない」というのはつまり、「その決断に対する責任を持てない」という意味です。このような意味で、私は『責任が持てない年齢』という言葉を使いました。
しかし、保護者の判断が常に正しいわけではありません。ほとんどの小学生モデルの保護者さんは賢明な方だと思いますが、中には子供のことを考えず、目先のエゴだけで子供をその世界に押し込む保護者もいるでしょう。
そして、ほとんどの場合それによって得られる給与の管理も保護者が行うと思われます。
つまり、そのような親のやっていることをまとめると、『自分の利益のために、判断を下せない子供を利用している』ということになります。
慣れを考慮に入れたほうがいいとあなたはおっしゃいました。しかし、そのような考えは私としては乱暴だと思います。
ここは踏まえていただきたいのですが、
[大]小学生モデルを許すということは、他の資格がいらないすべての仕事に小学生が就くことが許されてしまう[/大]ということなのです。(先ほどとは違うことがらを持ってきてすみません)
モデルのみ許すということはできません。
あなたは、モデルの職場環境は小学生ならば簡単に順応できるものだと思うかもしれません。私は、モデルとしての仕事、またそれによって出来る『世界中で自分の顔が見られる』という環境には慣れることができない人間が多いと思いますが、仮にそうだとしましょう。しかし、あなたも、小学生にさせたくない仕事はあると思います。そのような職業に小学生が就くような事になる可能性が、小学生モデルによって出来てしまうのです。
小学生モデルの中にも、もちろん多くの仕事と勉強を両立させられるモデルさんがいらっしゃると思いますが、一部の苦しむ人、またそこから生まれるさまざまな可能性を思うと、「なし」だと私は思います。
[大]小学生モデルを許すということは、他の資格がいらないすべての仕事に小学生が就くことが許されてしまう[/大]です
大きくなるか心配ですが
ぽんでらいおん©が、やりたいなら、『あり』。
興味半分で。なら、『なし』。
それは、私達が決める事じゃなくて、貴方が決める事だと…。
でも、小学生のモデルとか、可愛いと思うよ。
小さい子、好きだから、たまに妹の見て、癒される(*´ω`*)