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規制されたので【最終章】
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【青写真】  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ " 理 由 " 行く末 消えてゆくのだと思うた… 消える≒消滅する…と思うだろうか? 消えるとは、消滅するに匪ず、死んだときって土に還るんだよ。死ぬとは変換されるコトなんだ、だとしたら消えるとは変換されるコト。だから消えるとは…消滅ではない ───そして変換とは【生きる】ことだと思う。 ここキャスフィ行く末 それは、生きるのだと思う 即ち死と同化するのだろう。 【死と同化】について定義しよう 変換された死後であり、即ち生きることである。とする 【変換された死後】ただ、死後であるのにも関わらず、【変換された死後】は死後ではない。死ぬとは無である。 無とは、有るが無いコトである。有るが無いが故に無であり。無いが為に無である。無は無であり。有は有であり。交わることは有り得ないだからこそ無であり有である。 そしてそれが…即ち……生きることである。故に【生きる】なんだよ。死後でないために生きている。 死後ではあるが死後ではない。死後であることであることではない。 さらに…分解しよう。 【生きる】とは交流である。 おのおのの中にある分解とは、交流によって支えられている。ココ電子海は、世界が再構築されて新しく生まれ変わるだ。わかりやすくいうと【光の粒子が中央に集まっていく】イメージだ、私たちは光の交流によってやり取りをしています。 つまり【光の粒子が中央に集まっていく】とは、一度分解され、死後=生きるになり、有るべき姿へと集まっていくこと。ここの概念は都心に人が集まるイメージをしてくれ。 ここキャスフィ行く末ってのは【光の粒子が中央に集まっていく】ことなんだよ。 それは即ち…生きることなんだ。 そして【光の粒子が中央に集まっていく】とどうなるのか?現すのは有るべき姿って訳だ。 ただ、ここまで語ってなんだが、有るべき姿が生きることだと矛盾するも思うんだ。 偶然によって出来たものが、有るべき姿では可笑しいからだ。生きるとは、生きるとは目的があり。目的があるから生きることができる。 だとしたら、生きるとは言えない。 つまり【光の粒子が中央に集まっていく】と生きられなくなるのだ。さっきまで生きていたはずなのに、矛盾により死んでしまう。 ここからわかるのはとある到達点に立つと、有から無に掏り替わるってことだ。 到達点とは限界である。 世界の果てなんだよ ここが限界なのだと思う。 生きるとは 死ぬことに掏り替わる 私たちは【始めから必然によって生きる】 そしていつからか死ぬ淵に立つということだ。 最終章として綴ろうか ネ
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