あれこれニュース

142訳あって匿名◆Pdi7T.x7Zg
2017-08-25 22:19:06
ID:redSjUBo

―<中韓の歴史捏造を暴く Part 2>―――――――――――――――――――――

■対日復讐裁判でもでっち上げに失敗した「人道に対する罪」
続いて、冒頭に述べた、ナチス・ドイツの蛮行≪ユダヤ人大虐殺=ホロコースト≫を
大日本帝國に被せる、呆れた手口に反論する。
本題に入る前に、ホロコーストと一体で論考される≪人道に対する罪≫から説明したい。
戦後72年の終戦の日(15日)、安倍晋三首相は靖国神社に参拝せず、自民党総裁特別補佐を名代に、
同党総裁名義の玉串料奉納で済ませたが、中国外務省報道官は案の定噛みついた。

「靖国神社は侵略戦争に直接的責任があるA級戦犯を祀っている」
「日本側の誤ったやり方に断固反対する」

中国共産党は、自らに都合のよい「猟奇的な日本の近代史」を捏造し、世界中で垂れ流すが、
毎回反論せねばならぬ。中国大使のイスラエル紙寄稿(2014年1月)も然り。
曰く ≪安倍晋三首相や閣僚が、アジアの(ドイツ指導者アドルフ)ヒトラー(1889~1945年)である東條英機・陸軍大将ら
A級戦犯を祀る靖国神社を参拝している≫
国家に殉じた英霊に感謝し、お慰めする崇高な行いに、外国の顔色をうかがう必要は全くない。
靖国神社への玉串料奉納で済ませようが、参拝を行なおうが、
言い掛かりをつけてくる中国への回答は靖国神社参拝以外にありえない。

一方。ユダヤ系団体サイモン・ウィーゼンタール・センター(本部・米国)の非難声明(2013年12月)には、
憤るより失望した。
曰く ≪亡くなった人を悼む権利は万人のもの。
だが、戦争犯罪や人道に対する罪を実行するように命じたり、行ったりした人々を一緒にしてはならない≫
失望理由の一つは、ホロコーストの記録保存や反ユダヤ主義監視を行い、国際的影響力を持つ組織なのに、
正確な国際法制史を学んでいない?点だ。
≪人道に対する罪を実行するように命じたり、行ったりした人々≫は
靖国神社にお祀りされていない。
≪人道に対する罪≫は第二次世界大戦(1939~45年)におけるドイツ降伏後、ドイツ人を裁くため
1945年8月8日、ニュルンベルク裁判の基本法・国際軍事裁判所憲章で初めて規定。
平和に対する罪
殺人と通例の戦争犯罪
人道に対する罪
が、国際軍事裁判所で所管する≪犯罪≫とされた。
日本人を裁いた極東国際軍事裁判所条例でも、憲章にならいおのおの、所謂≪ABC級犯罪≫が定められた。
が、≪人道に対する罪≫は適用できなかった。
勝者による敗者への復讐劇とも言われる極東軍事裁判で、「ドイツが行った特定民族絶滅と同じ意図を、日本が抱いていた」と、
連合国はでっち上げようとしたが、不可能だったのだ。
この点、ニュルンベルク裁判では、22の被告のうち16人が≪人道に対する罪≫で有罪になる。
サイモン・ウィーゼンタール・センターは日独を同一視しているのではないか。

そもそも≪人道≫と≪平和≫に対する罪は、米国が1944年秋から1年に満たない短期で創り上げ憲章制定前にはない。
戦争開始・遂行を犯罪とする≪平和に対する罪≫に至っては、米国/英国/中華民国が降伏を求め日本に突きつけた
ポツダム宣言(1945年7月)時点で、犯罪とされていなかった。二罪とも慣習国際法として確立していなかったのだった。
欧州大陸系近代刑法は、実行時の合法行為を事後に定めた法令で遡り処罰することを禁ずる。
≪事後法の禁止=法の不遡及≫である。
極東国際軍事裁判所設立は、裁判9カ月以上前のポツダム宣言
≪俘虜を虐待せる者を含む戦争犯罪人には厳重なる処罰を加へらるべし≫が根拠。
仮に罪を問うならB級の≪殺人と通例の戦争犯罪≫だけなはず。
現に、日本のサヨクが中国共産党と連動して「大日本帝國陸軍が中国人民を大量虐殺した」と
捏造・粉飾をやめない、所謂≪南京事件≫について、南京攻略戦司令官をC級の≪人道に対する罪≫ではなく
A級の≪平和に対する罪≫で起訴。

しかも無罪となり、B級で有罪となった。

■ユダヤ難民を助けた東條英機
所謂≪戦犯≫自体も誤認している。
1952年のサンフランシスコ講和条約発効を受け、日本は主権回復し≪各級死亡戦犯≫を≪公務死≫と認定した。
条約では、裁判を牛耳った11カ国の過半数の同意を得られれば≪戦犯≫を赦免できると規定。
外国の異論もなく、58年までに全員釈放となった。
既述したが、もともと“C級戦犯”は存在せず、“AB級戦犯”も靖国神社にお祀りされていないということ。
連合国は≪人道に対する罪≫を問えなかったどころではない。
大日本帝國は、迫害を逃れた万人レベルのユダヤ人を世界中で助け続けた。
例えば、1935年にドイツ施政下のユダヤ人は公民権を奪われ難民となり外国に逃れた。
一説に数千人のユダヤ人が38年、シベリア鉄道で滿洲國近くのソ連にたどり着く。
ソ連に入国拒否された難民は滿洲國入りを切望したが、滿洲國も拒む。
滿州國防衛を担う帝國陸軍・關東軍の樋口季一郎・少将(後に中将/1888~1970年)は、
吹雪の中に立ち尽くす難民を見かね食料・衣類・燃料や加療を施した。
さらに、滿洲國外務省や南滿洲鉄道(滿鉄)を説き、滿洲や上海租界への移動を周旋した。

日独防共協定(1936年)を結び、日独伊三国同盟(40年)まで視野に入れていたドイツは断固抗議。
抗議を受け、樋口は關東軍参謀長時代の東條英機・中将に呼ばれる。
樋口は東條に
「ヒトラーのお先棒を担ぎ弱い者いじめをすることが正しいと思われますか」と質し、東條も受容した。
ユダヤ難民移動を担った滿鉄の総裁が、後に外相となり
三国同盟に傾斜する松岡洋右(A級戦犯被告未決中に病死/1880~1946年)だった歴史の一コマも興味深い。

ユダヤ難民への入国ビザ発給国は著しく限られた。
かかる状況下の1939年以降、英米列強と日本が管轄する上海外国人居留地=共同租界の
帝國海軍陸戦隊警備区も、ユダヤ神学生300人や1万8000人ものユダヤ難民のビザなし入境を許している。

ユダヤ難民の扱いでは、永世中立国スイスでさえ暗部を抱える。
スイスはドイツと共に1938年、ユダヤ人旅券にユダヤの頭文字≪J≫のスタンプ押印を義務付けた。
キリスト教文化の根付くスイスには19世紀半ば以来、反ユダヤ主義が認められる。
そこに、労働市場を難民に奪われる懸念やドイツの侵攻を恐れるスイス政府の意向が加わった。
42年には、ユダヤ人を念頭に難民の国境引き離し政策を実施。
多くのユダヤ人がスイス入国を果たせなかったが、出発点への帰還は死を意味した。

大日本帝國にとって、人種差別も後押しした米国の対日強硬策を、ユダヤを通し打開する工作の一面もあったろう。
ただ、“A級戦犯”の汚名を着せられ絞首刑となった東條はじめ日本の軍人が、
同盟国ドイツを含む欧米列強による蔑みに悲憤し、ユダヤ人の痛みに情けをかけた心根は紛れもない。

靖国神社には、かくも優しき武士(もののふ)たちがお祀りされている。
中国と韓国の日本に向けられた想定外の憎悪に、英霊もこんな調子で戸惑っておられよう・
「中国共産党軍は逃げてばかり。ロクに戦いもせず逃げ回っていたはずだが・・・」
「朝鮮の人は共に戦った同胞。戦後、一旦帰国し、再び来日した人も夥しい数にのぼると聞いた。
なのになぜ、戦後随分経って反日に急変したのか・・・」

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