親への感謝

10南雲◆87JeOCepwE
2016-11-30 22:27:10
ID:l4WnjFDg

「親に感謝しろ」の考え方は昔からありますが、それを特に強調して広めた元祖は儒教にあります。

孔子は、主人に対する「忠」と親に対する「孝」を社会秩序の根本だと考えたので、「忠孝」はセットで中国、ひいては日本の道徳の基礎になりました。
今は「主人に忠義を尽くせ」という部分がそこから外されているので、「親を大切にしろ」という「孝」の部分が残っているわけです。

ではこの忠孝は絶対的な価値観なのかというと、必ずしもそうではありません。

忠については、主人に徳(部下や民を大切にする)がなければ主人には主人としての資格がなく、背いても不忠にならないという論理を孔子自身が認めています。
孝については、親が間違っていても子は従えという部分もありますが、これも絶対的ではありません。

たとえば武田信玄は父親を追放して甲斐の領主になっていますが、父親よりも良い政治を行ったので英雄とされています。

源平の戦いの時、源頼朝や義経(特に義経のほう)は平家討伐を「父・義朝の仇」という孝の視点で戦っていますが、その源義朝は保元の乱で父・為義を斬っています。

親を大切にすること=孝は、道徳の基本ではありますが、どんな場合でも絶対に守るべき道とまではいきません。一般的には、親は子を大切にします。子が親を大切にすべきことが道徳なら、親が子を大切にすべきことも道徳です。普通、子は育つ過程でたくさん親の世話になります。親は最大の恩人になります。
しかし現実には、子を大切にしない親も存在します。

道徳というのは原理原則の話であって、例外を許さないものではありません。

ただし、「可愛い子には旅をさせよ」とか「獅子の親は子を千仞の谷に突き落とす」というように、子に対する親の愛情は、優しくするばかりではありません。厳しく突き放すことで一人前に育てようとする場合もあります。そんな場合、千仞の谷に突き落とされた子が「突き落としてくれてありがとう」と思うことは無理でしょう。それが自分のためだったことは、ずっと後にならなければ気づきません。

だから、厳しいこと、冷たいことをされたからといって、そこで親が子を大切にしていないと決めるわけにはいきません。千仞の谷に突き落とされても感謝しろというのは現実的に無理でしょうが、道徳としては、親は子を大切にするために冷たくする場合もあるので、簡単に親を恨むのは正しくないよ、ということを教えるのだと思います。

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