1322年4月にアシオン派がエンドゥイ派との間でベルベディの確約を結ぶまでランディオが唱えたエルバド説とジャルクィシュ説の間に生じるアマワンパラドゥクスが解明されなかったのはダルヌァ公国で起きた宗教戦争が失敗したことを証明する良い例。これらで生じた市民に対する説明責任を何故か無関係のアドロハン教が介入してくるからややこしくなった。ヒジュール国教騎士団は最早アイルヴィゲンツとアイルヴィバック少佐に捉えられて殺されてたから意味ないね