さよなら 13さい の 少女 という とくめい▼

411匿名
2018-09-29 19:44:55
ID:hoYNsfFs

石田軍(豊臣ラヴ)と徳川軍(徳川ラヴ)による関ヶ原の戦いが起こる(1600)
そこで徳川軍が勝って家康が江戸幕府を開く
そんで武士、百姓、町人という階級??つくる
武士の決まりを書いた武家諸法度かつくられる(1605???)
キリスト教を厳しく取り締まる。踏み絵とかさせる。
そんで島原・浅草一揆が起こる(1612くらい??)(あと四郎中1の教科書だとイケメンだったのに今はブスになってない??)
貿易国を制限する。(1615~25???)。長崎出島(対オランダ、清)、薩摩(対アイヌ??)、あと2つどっか以外では貿易できない。これは後に鎖国と呼ばれる。ちなみに日本は銀を輸出してた。豊臣の出兵により朝鮮とは疎遠だったが、朝鮮通信使などをおくって仲直りできた。
3代目将軍家光は、大名達が自分を裏切って攻撃してこないように大名を遠くから外様、なんちゃら(関ヶ原の戦いで仲良くなったやつ)、なんちゃら(それ以前から仲良かった、あるいは親族)の順に配置する。
また、参勤交代という一年に一回位こっちに来させるようにさせる制度をつくり、お金を使わせる。家族を江戸においといて、「来なかったら殺す」とかやられる。こわい。
さらに、お城の修繕は勝手にやっちゃいけない。などもつくった。
綱吉は朱子学を幕府公認の学とし、塾とかつくる。聖堂なんたら~みたいなのつくる。
あと動物が好きだから生類哀れみの令とかつくる。そのせいで近松門座衛門が武士の名を奪われ、しょうがないから人形浄瑠璃つくって、それに対抗しようと阿国の巫女が歌舞伎とかつくる。これは、後にはやる。
今は化山文化という、高級げな伝統工芸品などの敷居の高い感じの文化が流行っていたからだ。
でも経済難起きて綱吉死ぬ。しかし生類哀れみの令は死後25年も続く。
経済難を直そうとしたのが前なんたらさん。銀の輸出をやめ、生類哀れみの令をとめた。でももうおそかった。
一方町民の間では浮世絵とか歌舞伎とか狂言(人形浄瑠璃が元)とかの誰でも楽しめるもんが流行る。
歌川(安藤)広重は東海道獄道??を、葛飾北斎は富士三十六景??を、大谷さんはポッピンを吹く女とかを、なんとかさんは見返り美人図をかく。
また、面白い書物も流行る。中には、政治を皮肉ったものもあった。
あと蘭学書を翻訳した杉田玄白とだれか。ほぼ正確な大日本地図をつくった伊能忠孝。古事記をまとめた本居宣長。エレキテルを作った平賀源内など、技術が進歩してく。
なんか3つ改革が起こる。原因は飢饉とかの財政難だったり、わいろ政治とかの何とか難だったり。
武士は倹約・武芸に努めろ~と言う倹約令、商人は株仲間で独占営業いいよ~ってなる。農民はなんか帰し令出される。大名は参勤交代の規則が緩む代わりに1万石高に対し100石高納めることになる(上げ米の制)。
どれもあんまうまくいかなかった。
アメリカ、イギリスなどからの船(漂流した人を帰してきたよ~~とかいうやつだったり、通商を呼び掛けるやつだったり)がくるようになる。多分ペリーも来てたと思う。それに伴い異国船打払い令が出される(1825)。
このやり方を批判した書物を書いた中野長英とあと誰かは厳しく罰せられ自殺。
漂流したのをアメリカに助けられ、船で帰されたジョン万次郎は、日本の技術の進んでなさに驚き、外国の様々なアレコレを話した。これは当時鎖国によって世界を知らなかった人々の好奇心を煽るのには充分だった。これが明治の革命のキッカケだったのかもしれなくもない。


私の中の日本史はこうなってるよ。改竄は認めない。

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