にほんこくみんはせいとーにせんきょされたこっかいにおけるだいひょーしゃをつーじてこーどーし、われらとわれらのしそんのためにしょこくみんとのきょーわによるせいかと、わがくにぜんどにわたってじゆーのもたらすけーたくをかくほし、せーふのこーいによってふたたびせんそーのさんかがおこることのないようにすることをけついし、ここにしゅけんがこくみんにそんすることをせんげんし、このけんぽーをかくていする。
そもそもこくせいはこくみんのげんしゅくなしんたくによるものであって、そのけんいはこくみんにゆらいし、そのけんりょくはこくみんのだいひょーしゃがこれをこーしし、そのふくりはこくみんがこれをきょーじゅする。
これはじんるいふへんのげんりであり、このけんぽーはかかるげんりにもとづくものである。われらはこれにはんするいっさいのけんぽー、ほーれいおよびしょーちょくをはいじょする。にほんこくみんはこーきゅーのへいわをねんがんし、にんげんそーごのかんけいをしはいするすーこーなりそうをふかくじかくするのであって、へいわをあいするしょこくみんのこーせーとしんぎにしんらいして、われらのあんぜんとせいぞんをほじしよーとけついした。われらはへいわをいじし、せんせーとれーじゅー、あっぱくとへんきょーをちじょーからえいえんにじょきょしよーとつとめているこくさいしゃかいにおいてめいよあるちいをしめたいとおもう。われらはぜんせかいのこくみんがひとしくきょーふとけつぼーからまぬかれ、へいわのうちにせいぞんするけんりをゆーすることをかくにんする。われらは、いずれのこっかもじこくのことのみにせんねんしてたこくをむししてはならないのであって、せいじどーとくのほーそくはふへんてきなものであり、このほーそくにしたがうことはじこくのしゅけんをいじし、たこくとたいとーかんけいにたとーとするかっこくのせきむであるとしんずる。にほんこくみんはこっかのめいよにかけ、ぜんりょくをあげてこのすーこーなりそーともくてきをたっせいすることをちかう。