中日ドラゴンズ21世紀史

1ポップコーンお兄さん◆9Kg3jnYYfs
2020-04-17 10:09:37
ID:yAGd.ZPE

2000年
監督 星野仙一(第二次政権 5年目)
セントラル・リーグ2位
70勝65敗 勝率.519

開幕戦オーダー
1 中 関川浩一
2 二 立浪和義
3 遊 福留孝介
4 三 ゴメス
5 左 ディンゴ
6 一 山﨑武司
7 右 井上一樹
8 捕 中村武志
9 投 野口茂樹

表彰選手
バンチ 最多勝利 14勝 初受賞
ギャラード 最優秀救援投手 36SP 初受賞
岩瀬仁紀 最優秀中継ぎ投手 26.20RP 2年連続2度目
種田仁 カムバック賞
ベストナイン
選出なし
ゴールデングラブ賞
選出なし


前年、11年ぶりの優勝を果たしたチームだが、オフには「韓国三銃士」のサムソン・リーがメジャー志望で退団すると、守護神・宣銅烈が年齢からくる衰えを理由に退団。その穴埋めとして投手陣でメルビン・バンチ、エディ・ギャラードの2人を、打撃陣の強化を狙ってデーブ・ニルソン(ディンゴ)を獲得したが開幕からディンゴは不振にあえぎ、シーズン途中で解雇。投手陣はエース・野口茂樹と山本昌に加えて新外国人バンチがローテを守るものの、前年優勝に貢献した川上憲伸や武田一浩が不振にあえいだ。リリーフでもギャラードが新守護神として抜群の活躍を見せるも、近鉄から移籍の小池秀郎やオリックスから移籍した鈴木平は環境の変化に対応できず不調に終わった。打撃陣は山崎武司、レオ・ゴメス、立浪和義が例年通りの活躍を見せるも、2年間切り込み隊長だった李鍾範が成績不振、関川浩一などが相手球団にマークされて成績を落とした。チームは投手陣の不調から4月を最下位で終えるものの、外国人パワーで5月に大きく盛り返して首位に浮上。しかしそれ以降貯金をためることができず、6月以降は巨人の独走を許した。9月初めに巨人との直接対決3連戦を迎えるが、投手陣が29失点を喫して大敗。9月24日には敵地東京ドームで4-0と巨人をリードするものの江藤智の満塁本塁打で追いつかれ、続くギャラードが二岡智宏に優勝決定サヨナラ本塁打を浴び、1994年・1996年に続いて長嶋茂雄監督の胴上げを許し結局2位でシーズンを終えた。またトラブルでは5月6日のナゴヤドームでの横浜戦にて7回裏に主審橘高淳による判定への不服で立浪和義が暴力行為で退場が宣告されると突如星野監督が橘高にタックルを仕掛けたことにより乱闘事件を起こし(この乱闘の際に大西崇之が橘高の胸付近を殴り負傷させた)その後日には星野に5日間の出場停止と50万円の罰金、立浪に5日間、大西に10日間の出場停止と10万円の罰金がそれぞれ科されその3人に対しては、乱闘事件当日に観戦していた観客2名が傷害罪で名古屋地方検察庁に刑事告発(刑事告発は誰でもできる)をしたが、橘高本人から被害届が出ていないとの理由により3者ともに書類送検された後に起訴猶予処分となった。


2000年セントラル・リーグ最終成績
順位 球団 勝 敗 分 勝率 差
優勝 読売ジャイアンツ 78 57 0 .578 -
2位 中日ドラゴンズ 70 65 0 .519 8.0
3位 横浜ベイスターズ 69 66 1 .511 9.0
4位 ヤクルトスワローズ 66 69 1 .489 12.0
5位 広島東洋カープ 65 70 1 .481 13.0
6位 阪神タイガース 57 78 1 .422 21.0


出典 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/2000年の中日ドラゴンズ


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