中日ドラゴンズ21世紀史

5ポップコーンお兄さん◆9Kg3jnYYfs
2020-04-17 10:55:55
ID:yAGd.ZPE(sage)

2001年
監督 星野仙一(第二次政権 6年目)
セントラル・リーグ5位
62勝74敗4分 勝率.456

開幕戦オーダー
1 中 関川浩一
2 遊 井端弘和
3 三 福留孝介
4 左 ティモンズ
5 二 立浪和義
6 一 山﨑武司
7 右 井上一樹
8 捕 中村武志
9 投 野口茂樹

表彰選手
最優秀防御率:野口茂樹(2.46、3年ぶり2度目)
最多奪三振:野口茂樹(187奪三振、初受賞)
ゴールデングラブ賞:野口茂樹(投手、初受賞)


開幕から投手陣は野口茂樹や山本昌、川上憲伸などの活躍で好調だったが、打撃陣では退団したレオ・ゴメスの穴埋めとして獲得した新外国人がふるわず、星野監督のラブコールで4月末にゴメスが復帰。またベテランの立浪和義や山崎武司に頼る打線のテコ入れのためかつての4番だった大豊泰昭が阪神から復帰し、機動力強化のため開幕後横浜から波留敏夫をトレードで獲得。星野監督は大豊・波留の移籍組を何試合かスタメンで起用するがその大豊の衰えや波留の不振に加えて打線全体が低調だったことともありチームのカンフル剤には至らなかった。その一方で守備でエラーの目立った福留孝介が外野手にコンバートされてまずまずの成績を上げたがかつての切り込み隊長・李鍾範が星野監督の起用法に不満を持った事により退団するなどチーム内が混乱。投手陣の好投を打線が見殺しにする試合も6月以降多くなり、夏場にはAクラス争いから脱落して借金生活に突入。9月には若手の朝倉健太と中里篤史を一軍に昇格させて先発で投げさせるが、勝利には結びつかなかった。星野が同年限りで辞任、チームは4年ぶりBクラスの5位に終わった。シーズンオフに山田久志監督の就任が発表されたが翌シーズンの2軍監督を務めるはずだった島野育夫が阪神ヘッドコーチへ就任した。



順位   球団       勝利 敗戦 引分 勝率 差
優勝 ヤクルトスワローズ 76 58 6 .567
2位 読売ジャイアンツ   75 63 2 .543 3.0
3位 横浜ベイスターズ[1] 69 67 4 .507 8.0
4位 広島東洋カープ[1]   68 65 7 .511 7.5
5位 中日ドラゴンズ   62 74 4 .456 15.0
6位 阪神タイガース   57 80 3 .416 20.5


出典 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/2001年の中日ドラゴンズ

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