子供が親に向かって今までの養育の仕方を否定する。その否定している養育によって今の自分が存在している。それは今の自分を否定することになる。ならどうして自分が否定している「自分」の「意見」は肯定できるのだろうか。ここに自己言及パラドックスが生じる。ただ、このパラドックスは親の養育の仕方を肯定するものではない。じゃあこのパラドックスは何を意味している?•ω•