葉っぱから軽がり落ちてきたぜよ

111絵描餅詰男◆Nm2em3DSW6
2018-08-26 00:48:42
ID:5rpG1NlU

いまでこそ批判もあるが、24時間テレビがそういった「感動」を描いたことによって障害者支援への理解が進んだということもある。社会の一員であると報道したというのはそれだけでも、わずかではあるが進歩していたのである。感動がなければ、光が当たることはなかったという側面もあるのだ。

また24時間テレビ開始前の障害者差別は非常に強力であった。障害者の乗車拒否に対する青い芝の会の講義映像を見れば凄まじさが理解できる。そして当時は優生保護法[1]が存在し、また優勢思想に基づく障害者の安楽死を公言する政治家もいた。今日も将来を悲観した保護者が、障害者を殺害・心中する事件が時として発生するが、当時は殺された障害者ではなく、保護者に対して同情の目が向けられていた。

このような事態に危機感を覚えた障害者とその保護者は、感動を作り出すことで、生命保証を図ろうとした可能性も考えられる。

だがその過程で、「可哀そう」や「何もできない」といった負のイメージが先行してしまった結果、障害者は可哀そうだから特別扱いすべきといった考えが主流となったという考え方もある。

「五体不満足」などの著作で有名となった乙武洋匡氏も、障害者は決して可哀そうな存在ではないと常々訴えている。

また「感動ポルノへの批判=障害者のテレビ出演を否定」ではないことに注意すべきである。「障害者を出すな」「見たくない」と付帯するものも多く見られる。しかしこれは相模原の事件同様、障害者の社会的隔離[2]を推奨しているに等しい。言葉で表現していない場合や、無意識下でも同様である。

「見世物小屋」の用語を用いて批判する意見もある。ただ「見世物小屋を見たくない」は、障害者をそのような人間としてしか見ていないことに等しい場合もあり、この用語は慎重に用いるべきと言える。

名前:

メール欄:

内容:


文字色

File: