ぼうずのすれ

633>>456の名無しです
2017-11-05 02:21:18
ID:ZGqZ/t/k

数学や物理の法則を表す理論は、その理論自身が自然法則に反してはならないというルールが存在します。なぜならばそれらは未知なる自然を既知とするために打ち立てられた知識の体系だからです。その前提があるにもかかわらず、その理論を認めないというのであれば、既存の法則が明らかに自然界の現象とかけ離れている場合、または既存の物理や数学に代わる新たな理論を導き出さなければいけません。

AがBならば、AでなければBでない

これは論理学の中でも命題論理と呼ばれる分野で、高校数学で習う有名な定理ですが、この論理は自然現象に即した法則なのです。これが正しいことを演繹的に論証することは難しいですが、これがあらゆる自然法則に対して成り立つ場合を複数個考え、これは正しいのだろうと帰納的に推測することは容易です。このような大前提となる推論を公理と呼びます。どの公理が適用されるかはその世界によって大きく変わります。ユークリッド幾何学では平面上あるいは空間上にはどこまで行っても交わらない2つ直線が存在し得ることを公理(大前提)とし、三角形の内角の和は180度であるという定理など、500もの定理があります。しかし非ユークリッド幾何学では三角形の内角の和は180度とは限りません。歪んだ空間では180度を越えることもあれば、180度を下回ることもあり得ます。これは現在の最先端宇宙物理学における重要な理論の公理となっています。

誰もが当たり前と思っていてもそれが成り立つ自然界でなければそれは当たり前になりません。公理はあくまでも推論に過ぎませんが、我々はそれを正しいと思い込んだ上で数学や物理の法則を築き上げてきました。公理を絶対的に正しいと証明することは不可能ですが、逆にそれを間違っていると証明することも不可能です。なぜならば先ほども言った通り公理を間違っていると主張することは反例の提示か新理論の提唱がなければ通ることは決してないからです。つまり帰納的に導かれた公理が真に正しいかは誰にも分かりません。例えば、この世のあらゆる数学法則は全て公理を基にしていますから数学的(論理的)正しさが絶対的な正しさであるかは誰にも分かり得ません。

これがゲーデルの不完全性定理です。

更に公理には2つの性質を孕んでいます。

あらゆる命題はすべて公理を基にして真偽を確定できなければならない(完全性)。そして、公理同士で矛盾を起こしてはいけない(無矛盾性)。

これらの2つの性質から以下のことが言えます。

ある矛盾の無い理論体系の中に、肯定も否定もできない証明不可能な命題が、必ず存在する。

ある理論体系に矛盾が無いとしても、その理論体系は自分自身に矛盾が無いことを、その理論体系の中で証明できない。

これらを踏まえると、公理系自体が矛盾を持たないことを誰も証明できず、仮に無矛盾な公理系があっても、その公理系は完全性を有しない。

つまり不完全性定理に基づいて話を進めれば、証明するまでもなく明らかに自明なことが、そうなる必然性を示すのは論理的には不可能です。つまり、その論理が正しいことを証明することは不可能なのです。したがって、僥倖氏が日向氏に対して立証を求めたことはタブーであると言えます。

ここまでが、日向氏に立証責任がないとする説明です。ここからは僥倖氏に反証義務の説明になりますので、頭のレバーを切り替えてちゃんとついてきてくださいね。

何度も申し上げているのですが、相手に反論の余地を与えないようにすることが目的ですので、相手に納得させたいのならば帰納的推論の話に持ち込まないといけません。それでも相手を納得させることが不可能、あるいは演繹的論証を求めてくるのであれば、こちらも反例提示を求めればよいだけなのです。

帰納的推論はデータが集まれば集まるほど信憑性が高まることが長所ですが、裏を返せばデータさえあれば、デタラメな理論もまかり通ってしまうことになります。それを防ぎたいがための僥倖氏の論理主義的要求が出てくるわけですが、上旬した通り、その論理そのものが正しいと証明することはできません。黒いカラスを1万匹集めようと、1億匹集めようと、次の1億1匹目が白いカラスかもしれない以上、カラスが黒い生き物であるという主張が正しいことを証明することはできません。また論理的実証でも同じで、次の1億匹検証したとしても、次の1億1匹目がどういう検証結果になるのか分からない以上、全てに対して否定も肯定もできないので、実証にはなりません。

ですが、間違っていると証明できる可能性はあります。カラスが黒い生き物であるということは次の1匹がどうなのかが分からないので証明はできませんが、次の1匹で白いカラスが出さえすれば、カラスは黒い生き物であるという主張は簡単に崩れます。つまり、それが間違っていると証明することはより確実で、より簡単に正否を判断することができるのです。

結論として、人間はそれを正しいと証明することができないため、帰納的推論によって最も可能性が高いものを正しいとすることしかできず、その正否について問うならば、反証、つまり間違っていると証明する以外に確実かつ合理的な方法は存在しないので、日向氏に立論責任はなく、僥倖氏に反証義務が生じるのです。

他人に理解してもらいたいならまず人の文章をきちんと読みましょう。既にあなたの問いに対する答えは書いてあります。その答えを導く過程で公理の話をしたのです。それを度外視していけしゃあしゃあと噛みついてくるのであれば、それはもはや論理性の欠片もない非論理的な話になってしまいます。私の主張の論理構造をまず把握してから的外れなり矛盾なり指摘してください。

>一つ付け加えるとさw私はいつでも瞬殺できたんだよw

なんですかそれ。今まで説明を省いてきたことに対する言い訳か何かですか?

まるで、散々敵にビビって逃げ回っておきながら、いざ仲間が退治して敵がいなくなると、”フッ あいつらじゃ俺には敵わなかったな”と虎の威を狩る狐の如く痛々しい脇役キャラの戯れ言に見えるのですが、それはウケ狙いですか?そんな昭和マンガで使い古されたネタじゃあ今どきの人から笑いは取れないと思います。ギャグセンスを磨きだいのでしたら、吉本芸能プロダクションに入団なさってはいかがでしょうか。

>予言通りに論理のルールを説明出来なかったしねえw

論理のルールについては>>456から説明しているのですがね。

まあ、仮に赤してなかったとしましょうか。でもたった今、その説明を上述しましたよね。説明していなかったから説明できないのだとする、あなたの帰納的推論に、私が説明したことを示すことによって、説明できないという説が間違っていることを証明しました。これぞまさしく反証ではありませんか。

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