人間が自己の存在を問題にし、また存在に先立って「在る」ことを意識する存在であるというのは、犬が自分の尻尾にふと驚いてそれを追っかけて同じ場所でクルクル回っている事態と同じではないだろうかなるほど獣は鏡に映る自分を見ていらいらするものだ人間はまだ言語によってその恐れをまぎらすことができるが、獣は自己が在るという意味も分からず一生苦しんでかあいそうだ根源的な不安は獣にこそふさわしいのではないだろうか