俺は血流レベルで息子

1寺田ハート
2024-03-09 10:26:43
ID:adHSEqvs

俺は金斗雲に乗れないかも知れない。
きっと乗れないだろう。
ただし「絶対はない」という言葉から、或る条件を付けたなら俺が乗れる可能性はゼロではない。
しかしながらその条件があまりに可能性が低いものであるならば、やはり俺は乗れないのだろう。
しかしながら、後付けで時代に沿った新たな可能性も否定出来ない。科学の発達により、やましい人が雲に乗れる可能性はまだあり得るのである。
つまりは、結果はそこに結びつくまでの過程において可能性がゼロではない以上は絶対にこうなるならないは言い切れない。
しかしながら可能性ある過程は必ずしも結果に結びつくこともない。

結局は俺が金斗雲に乗る夢は、果てしなく低い可能性で残ってはいるがその実現は限りなく低いのである。
つまりは言葉のパラドックスだ。
或るキーワードを辞書により検索を繰り返し追求したのならAはBの類義語として紹介され、BはAの類義語として紹介され、ABはお互いの意で証明し合わなければならなく、その後の新たなキーワードは見つからない。キーワードがない以上はどのような可能性も秘めているなどと肯定的意見を持つ者もいる。
それが「絶対はない」であり、実現不可能な場合には言葉遊びとしてその可能性を秘めているのである。


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