バイトの連絡は全てラインでいい 感情論抜きで論破できる?

8ヒロキング
2018-03-27 18:57:21
ID:VpxBwxbs

「スレたてんなよ」やスレタイに呼応する(相応ずる)ように「論破できるわけない」・「感情論抜きで」と発言していることからスレ主が書き込んだスレタイにある主張だと推測するわ。
言語という概念は素晴らしいけど、専門家は「言語ゲーム」とかいう概念も生み出していて結局のところ言語というのに決まった用法なんてものはなく、マックでチーズバーガーといえばチーズバーガーが出てくるように背景にあるコンテクスト(文脈)から察する事しかできないんよね。

余談だけど、
ここからは少々くだらないし有名でみんな知っているかもしれない事で、ちょっと古くて学者でもない素人レベルの知識と素人レベルの考察(にもならないだろうが)を晒すだけだから読まなくてもあまり問題はないんだけど一応書くね。
俺とみんなが同じルールのもと言葉を使っているように見えて実はそうだと言い切ることは難しいんだよ。
「クオリア」とかさっき書いた「言語ゲーム」にも繋がるんだけど、クオリアという概念は赤や青などの直感的なことは他者と自分とで同じ感じ方をしているとどれだけ言っても、その情報は「自分の脳(観測機)を通して観測された情報であり、他者の脳(観測機)を通して観測された情報ではない」という考察から、他者の感じ方は自分には観測することができない(極めて難しい)んじゃないかと俺は考えてるんよ。その自分しか理解できない自分が持っている直感的な感じ方を「クオリア」と哲学界で言われているらしい。
ではなぜ皆同じ赤を指して赤と言えるのかというと、それを赤色と呼ぶと教えられたからなんだよね。
でも厳密にみんな同じ赤を指して赤と言ってるわけかというと実はそうでもないんじゃないかと思うんよ。例えばピンク色と赤色の境界線だったりね。まあそれも教えられたらそれまでなんだけどその境界線の境界線の境界線…と無限に考えることができて、じゃあ赤とかピンクとかみんなの境界線はどこでどんな色を赤と言ってどんな色をピンクと呼ぶか厳密にはわからないんよね。
だから最も妥当だと“思われる”妥協点を定めて「あーこんな感じだろ」って
会話をするからマックでチーズバーガーと言ったらチーズバーガーが出てくるルールも成立するんだよね。
ほら、これも厳密にいえばマックがハンバーガーショップを指してるのかわからないしチーズバーガーがハンバーガーであるかもわからないしそもそもハンバーガーショップでチーズバーガーが売られているとしてもチーズバーガーが売り切れかもしれないし、そこは日本語が通じない外国かもしれないし宇宙人かもしれないし国内であっても外国人のバイトかもしれない。
ちょっとクオリアっぽいことを言えば私の思うチーズバーガーと彼(または彼女)が思うチーズバーガーは違っていて、出てくるチーズバーガーは私の
知るチーズバーガーではないかもしれない。もっと厳密に考えることもできる。
言葉って曖昧だよねぇ〜。
でも私の知るチーズバーガーが出てくることがあるんだよねぇ〜。
みんな会話をすることができるんよねぇ〜。

つまり、言語とはクオリア的に他者の感じ方(ルール)を観測することはできない(極めて難しい)ことから、背景にある情報からその言語の意味(ルール)がその状況に沿ってその都度決められていくものなんじゃないかと考えてるんよ。もちろん語義もあるがその言葉の意味はその語義通りに必ず表現されるものではないしクオリア的にも言語ゲーム的にも語義そのものの解釈が他者と違うのだから自分よがりな認識になってしまうだろうし会話をするならその言葉の意味や相手の発言の意図を察する方が適切だろうね。
だから言葉には状況ごとに用法があって、辞書を利用する時、辞書を「引く」というように「多くのものから一つを選ぶ」という意味で「引く」という表現が使われていたりする。(これはおみくじを引く動作と関係してくるんだが、うろ覚えなので割愛)

言葉は情報を他者に伝えることもできて後世に残すこともできる素晴らしいものなのだが完璧ではない。だから私たちで出来るだけ完璧に相手の言わんとしていることを理解しよう(察しよう)とする姿勢が大切なのではないかと俺は考えています。

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