観客1.
霧雨天使戦は霧雨の詭弁勝ち笑笑
喧嘩議題の切り口で霧雨は「『俺とお前の』SEX確率は」でSEX対象を天使に限定
天使の世界人口的な反論は拡大解釈で却下
天使の宝くじ反論は、宝くじにはハズレクジと当たりクジの作製枚数が定まってるので確率があらかじめ確定してるので不確定要素のある議題にはそぐわない
男女の感情的な部分での反論は、SEXは合意のもとではなくても可能なもので直接的な反論には繋がらない
天使のコイントスを使った反論が皮肉にもこの喧嘩議題には一番相応しい笑笑
下ネタで天使に嫌気を促し反論を誘い出させる霧雨の詭弁にまんまと天使がのせられだけれど、結局は1組の男女がSEXが可能か否かだけの二者択一問題でありコインの裏表でしか考えられない50%の確率問題として捉えるのが妥当
詭弁を切り口にした霧雨の作戦勝ちだな笑笑
観客2.
感情論を抜いたら、どうやって決定をくだすのか。
それは判断という観念であり、
〈自己決定〉と〈他者決定〉がある。
自分で決定する、他人が決定をする。
物を取るという判断は自分、と定義する。
コイントスのように表と裏の出る目等は他者決定とする。
どうやって、性交をする判断決定するのか?
好きと嫌いがない世界
もし仮に、欲求という観念が適用できるなら
発情中➡️性交する。非発情中➡️性交しない。どちらかが100%とになる。
だが、感情のない世界だとするならば、性交することもできないし、性交しないこともできない。
それは決定する為の道具がないからだ。
それとどちらかが100%でなければならないと思う。にも関わらずどちらもできない。
〈やる〉〈やらない〉〈解なし〉
この三項関係だと、思われる。