キャスフィ独自の文化かどうかは知らないがおそらく「スレおめ」は「新スレおめでとう」や「スレ立ておめでとう」の略だと推測できる
しかしスレを立てること自体は何らおめでたいことでもなく祝う必要もないことである
そもそも「>>1乙」は主にパート化したスレにおいてスレを立てる次スレアンカーなどにより次スレを立てる義務を課せられたものがその義務を果たした時に送られるものである
次スレを立てるためにはまずテンプレートやスレタイのコピーそしてURLやパート番号の改変を行わなければならない、これは少し労力を要するものであるから感謝の言葉や労いの言葉が送られても自然だろう
しかしキャスフィのスレにおいてはスレを立てるのはそのスレ主の自由意志に基づいたものであり、また次スレを立てるのは基本的に前スレのスレ主であるために、テンプレートのコピーや改変は義務とはされてない
もしそこで感謝の言葉や労いの言葉が生まれたとしても、祝いの言葉が生まれることはない
ここで、スレおめが「新スレおめでとう」の略であるということを否定して考える
スレおめという言葉の向かう方向が今あるスレではなく前スレに対してだとすると、「スレおめ」は「前スレ完走おめでとう」の略だと考えられる
しかし、「スレおめ」は新しく発生したスレに対しても用いられるため、「スレおめ」が「完走おめでとう」の略とは考えづらい…
現代社会において、言葉の意味や形が変化することはよくあることだ
ならば「スレおめ」も、キャスフィの時代の流れの中で形が変わっていったのではなかろうか
「スレ立ておつかれさま」から「スレ立ておめでとう」に…
或いは「前スレ完走おめでとう」から「新スレおめでとう」に…
「スレおめ」という言葉の元の意味が何であれ、「スレおめ」という言葉は「スレおめ」という多面的なカタチをとってしまったために、時代の流れにその本来の意味や形を捻じ曲げてられてしまったのではないだろうか…
言葉は常に時代と共にあり、変化するものである
ときに我々は言葉から時代の変化を読み取ることもできる
「スレおめ」という言葉が時代とともに形骸化したものであるとするならば、キャスフィというコミュニティもまた、時代の流れとともに形骸化している、あるいは既にしてしまったとも言えるのではなかろうか
前スレ感想おめでとうという意味もあるだろうけどね
ただキャスフィ特有の環境・文化も絡んでると思うよ
これをあえて考察してみる
キャスフィは2chと違って固定HNを使うのが普通になってる
匿名性が高いと掲示板全体が一つのコミュニティになるんだけど、キャスフィの場合は特定の固定HN同士の交流が一つのコミュニティを構成している
そのコミュニティが緩やかに連携して一つの掲示板になってるっていう感じだね
その特定の固定HNが使用するスレは数個に限定されてることが多い
つまりスレッドの内容よりも誰がスレを立てるのかがより重視されるわけ
スレッドは単なる話題の提供ではなくそのコミュニティの交流場所と考えられる
スレ主はその交流場所を提供しているという認識がスレ住民に共有される
「スレおめ」には自分の所属するコミュニティの場所ができたことに対して祝う気持ちとまたスレ主に対する感謝の気持ちが込められているものと予想される
まったくの新人がスレを立てた時も同じだね
自分たちのコミュニティへ歓迎するという意味があるんだろう
だからしばらくすると特定のスレにしか「スレおめ」を言わなくなる
これはスレ主の意見がより尊重されるキャスフィの文化にも通じていると思う
彼らにとってスレ主は掲示板の管理人と同じぐらいの認識なのではないかな?
でもそれだと何故「スレおめ」かっていう問題が残らない?
「スレおめ」が「スレおめ」であるということは「スレおめ」たる所以があるわけで
>「スレおめ」には自分の所属するコミュニティの場所ができたことに対して祝う気持ちとまたスレ主に対する感謝の気持ちが込められているものと予想される
これには大方納得できるけど、その気持ちが直接「おめでとう」っていう言葉に繋がるとは考えづらい
>>11
自由板誕生一周年を祝うでしょ?
それと同じようなもん
祝福の気持ちは感謝の気持ちが総じて入るもんだよ
誕生日を祝うということはあなたがこの世に生まれてきてありがとうという意味もあるわけ
感謝と祝福は切っても切り離せない関係で、スレおめにも同じことが言えると思うよ
自分がどのコミュニティに所属しているかが重要なわけで、だからこそ自分のスレッドや”仲間”のスレッドを大事にする
それをあえて言葉に表さなくてもいいかどうかは価値観の問題で、彼らにとっては言葉に表すほどその場所が重要ってことなんだと思うよ
ある種の逆説的発想だけど「スレおめ」という言葉が出てくるぐらいその場所に価値を置いていてそれが「スレおめ」たる所以でもあると思う
よく見ると新しく立った全てのスレッドにスレおめを言っているわけじゃないしね
機械的な挨拶ではなく自分がスレおめを言うにふさわしいかどうかを判断しているんだと思うよ
これは推測だけど恐らく最初期は「スレッド作ってくれてありがとう」やら「新スレおめでとう」やら「前スレ完走おめでとう」やらいろいろあったんだろうと思うけど、時代の流れの中でスレおめに一本化されていったんだろうね
「スレおめ」という四文字だけで十分にそのすべてが伝わる
そこから新しいスレにはスレおめと言うのが慣習化されて今に至るのでしょう
でもやっぱり意味なんか考えずに機械的に使ってる人も多いんじゃないかな
僕もその一人だったしね(今はそれについて考える立場だけどw)
周りに影響されて使い始めた
よほど変なスレじゃなければ「スレおめ」って言ってたね
まあでもそういう風に言葉のアバウトなイメージだけが継承されてって、今みたいに「スレおめ」っていう言葉にたくさんの意味とか表現なんかが内包されるようになったんだろうね
最初は意識されてきたものがだんだん無意識に言うようになってそれが慣習になったって感じでしょ
確かに今はそんな考えて言う人は少ないと思うよ
ただそれが慣習になった背景にはこういう文化や環境があるんじゃないかというのが私の考え
機械的に使ってる人が多いから意味がないのではなく機械的に使われるようなった理由は何だろうかっていう問題提起でもある
ちなみに私は機械的に言ってる人も多いかもしれないけどそれなりに判断してスレおめを言ってる人も少なくないと思ってる
>>19
挨拶の一種であることは違いないと思う
ただ普通はネット掲示板上で挨拶なんてしないでしょ?
人間関係を重視しているキャスフィだからこその話だね
”普通は”なんて言ったけどキャスフィ住民にとってはそれが普通なんだろうけどね
私だって最初見た時はスレッド一つ立っただけでなんでいちいちスレおめって言ってんだろうと思ってたし、今でもその価値観を持ってる(*´з`)
なるほどね
そういう文化が出来たのはやっぱり学生向けを謳ってるからなのかなあ
でも同じく学生向けの葉っぱにはそんな文化は見られないんだよねえ
不思議だぬ
そうかな?スレおめに関しては定着してないように思えるけど
ちらほら使ってる人も見るけど彼らはたぶんキャスフィから流れてきたんだろうね
あそこキャスフィ避難所もあるし
それとキリ番とった人を書き起こすなんてのもキャスフィ以外だとあまり見ない気がする
キリ番ゲットなんて昔からあるもんなのにね
確かにスレおめはあまり使われてないなあ
葉っぱ天国はキャスフィよりも開放的で2chからもかなりの利用者が流入していてそういう背景もあるのかな?
名無しの地位もキャスフィよりは葉っぱ天国のほうが高いしね
キャスフィに名無しさんって名前で書き込むと名前ちゃんとつけてくださいとか言われたりするからね
ここでも名無しにしてるだけで出ていってとか言われちゃったりするし
キャスフィ界隈は名無しに対していいイメージを持ってないのは確か
名無しが忌避されるのはIDやトリップがないという機能的な側面もあるかも
正直言ってあそこはなりすましや自演を見分ける方法がないから使う気がしないわ…
確かになんで機能的な面ではキャスフィはかなり劣ってるのに人気があるんだろね
管理がすごく行き届いてるという訳でもないし