頭いい人集まれー

137もす◆mos/maSo6w
2017-03-30 22:25:15
ID:cIQ3nRtM

例えば「テストで高い点とれる人が頭良い」と定義する。
だとすれば全員が満点とれるようになると「頭良い」という言葉は一体なんの意味をもつのだろうか。

まず「テスト」という固定的対象物についてだが、
問題の難易度は相手によって変動することはない。点数の上限もある。
となると結局は各人の努力次第で全員同じ点数になることもある。

頭の良し悪しには当然、「比較」という概念が必要となってくるが、
これだとその概念が介在する余地はまず結果が出てからしかないし、場合によってはないということだ。
たとえ満点とれた人ととれなかった人を比較して優劣をつけるとしても、
テストの問題内容が違えば結果も違ってくるわけだからそれに応じて優劣も変わってくることになる。

さらに「点数」という「結果」に関する概念についてだが、これもやはり頭の良し悪しをはかる指標にはならないだろう。
そもそも上記の定義を前提とすれば「頭が良い」という言葉そのものが物理的な状態を計上しない曖昧なものであって、
そんな曖昧なものと「点数」という明確な数値などで表された「結果」を結びつけるのは無理があるだろう。

また、人間の行動プログラムは他人が決める結果ではなく自分で決めた目的によって作動する。
その意味では周囲とズレた行動(テストを真剣に受けない等)をとる人も一概に「馬鹿」とは言えない。
その人は「馬鹿」ではなく「異常」なだけであってそれ以上でも以下でもない。

「努力をしない人間は馬鹿だ」とよく
言われるが、「努力してるかどうか」も目に見える結果のうちの1つであって、
そういった他人の見方によって変わるものは頭の良し悪しの判断材料にはならない。

これは定義を変えても適用される。
「知識量が多い人」「頭の回転が早い人」こういう人達はもしかすると言語機能が発達してるだけかもしれないし、
知識量については、知識を詰め込んだこと自体その人個人の目的を叶えるための手段でしかないのかもしれない。

結論
「頭の良し悪しは所詮、脳の状態そのものであり、目に見えないものであるため他人が評価できるものではない。
頭が良いというのは、脳機能がより正常な人のことをいうのではないだろうか。」





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