宿題は必要かどうかについて議論するスレ

12ナチュラル◆G/VJPxflaA
2017-05-14 02:48:46
ID:6G0jkw0Y

生徒側の視点になって考えた場合は、南雲やX5の考え方に同感だが、教育者(教師)の視点になって考えた場合はどうだろうか。

つまるところ、宿題というのは成績をつけるための手段でもあるということに他ならない。この成績というのは、学力だけでなく、意欲・関心・態度の度合いを測るためのシステムであって、そのシステムによってはじき出されたデータを元に、進路関係の将来的な話が展開されていく。
教育者にとっては、勉強に対して如何に意欲的であるかが一目で分かる、言わば"努力の結晶"であり、生徒側にとっても、半ば強制的なこの作業は、半ば強制的であるが故に、宿題をこなす内に自然と学力が身につくという、両者にとって実に至極合理的なシステムと言えるだろう。
つまるところ、宿題をやる者は、それだけ学力が身につき、それと同時に勉強に対して意欲的であり、逆も然りということだ。

だが、最近この宿題というシステムが、生徒側では逆効果を生んでしまっている。それは、X5のご指摘通りで、今では、単なる作業と化しているのは、火を見るよりみ明らかだ。宿題という作業を、上手く生産的なものとして有効活用できていないし、その時間をもっと別のことに使える。

しかし、だからと言って、義務教育の範囲外で宿題が不必要だとは思えない。ここで考えるべきなのは、宿題のコンセプトを実現させるためにどうするべきか、ということだろう。つまり、教育者にとって、生徒の意欲関心態度が測ることができ、かつ、生徒にとって生産性のある作業であるようにすればよい。

では、そのようにするにはどうすればよいのか。

それは、抽象的ではあるが、個々人によって提出される課題の内容を変えればよい。
私は"進研ゼミ"という通信教育を受けているのだが、この通信教育は、毎月送られるワークブックを解いて、郵便を通して提出し、コンピューターではなく、担当の講師によって、一人一人の生徒の一冊一冊に目を通し、注意点やアドバイスが載せられて、返却される。というものだ。いわゆる"赤ペン先生"というやつだ。
こうすれば、事実上半ば強制的である宿題も、自主性が増し、それによって勉強に対しての意欲も向上し、さらにそれは教育者も測れるものであり、そして教育者がアドバイスを送ることによって、また意欲の向上に繋がるという、"幸のループ"が生まれるというわけである。

まあ、これは極端な例であって、もしもこれが実現するのであれば、大人たちは苦労しないだろう。特に今問題となっているのは、教職員の過労だ。テスト問題作成や、答え合わせによって、ヒドい場合は深夜2~3時まで働くことが多いらしいし、部活動の顧問も、ただ働きな上、強制的にやらされてしまう人がほとんどなのだそうだ。
これに加えて、上記の赤ペン先生式にすれば、ただでさえ深刻である過労問題が、さらに悪化の一途を辿ることになるだろう。

名前:

メール欄:

内容:


文字色

File: