>25承久の乱においてまだ朝廷および天皇家の権威は残っておりまだ北条家の力が弱い西国の武士が集まった。此のときは東国の武士も後鳥羽上皇の軍になろうとしたものもいたが北条政子の呼び掛けで北条家についた。そして北条が勝ち西国にも力を及ぼし朝廷の権威を失墜させた。だから蒙古襲来のときも穏便にいこうという案しかでなかった。もし後鳥羽上皇が勝っていたら権威は残っており東国の武士も仲間になり(朝敵になるのを恐れて)北条は滅亡しただろう。権威を誇っていればそれなりの決断が出来ていたのではないか?