近代日本史の嘘を暴き真実をかく。
右派も左派も中道も書き込んでいい。
開国~終戦
まで。
捕鯨について
日本は脂だけとって捨てていて無駄にしたと思われがちだがそれは大嘘である。
実際、日本は脂だけでなくほぼ[s40]全ての部位[/s]を利用していた。
つまり無駄など無かったのである。
それに比べ今、鯨は人類と同じ高等生物なので殺さないようにしよう
といいまるで鯨を無駄なく使っていたように見える欧米は
脂ぐらいしかとらずあとは全て[s40]捨てていた[/s]これこそ無駄使いだ。
鯨の脂は油として使いやすかったがため次々に捕獲されていったので
激減した。
なので日本近海等に捕鯨をしにきたのだ。
それに人類と同じ高等生物なので殺さないようにしよう
としている欧米は大航海時代~現在までで多くの有色人種の人々を[s40]差別[/s]し、
[s40強姦[/s]したり[s40]虐殺[/s]したりしている。この事から[s40]有色人種を人間とは思っていない[/s]事がわかる。
征韓論と言うと武力で韓国(当時は朝鮮)を征服しようみたいな意味にとる人もいるようだが、一応學校では普通に武力で韓国と外交を結ぼうとするという主張と正しく教えられている。
しかしその主張した人の部分に問題があるのである。
>7
大きな事件や有名な人物や団体を覚えそれから少しずつ
発展させて覚えていく
結構楽だよ私はこうした。
大正政変に始まる大正時代の歴史
日清日露が終わって日本の地位が上がっていく時代で国内も国外も複雑化していく時代、つまり覚える量も多くてかつ覚えにくい時代なのだ!
1912年 大正元年 ←案外これが覚えられないwすぐ忘れる
時の内閣は公家出身の西園寺公望
当時政府は日露戦争の影響で緊縮財政(歳出削減)を強いられてた・・・
しかし軍部は帝国国防方針を遂行するために軍事予算の拡大を訴えた
特に軍拡にこだわったのは陸軍である
なぜならば当時大陸で辛亥革命が起きたばかりで、1910年に朝鮮併合したばかりの日本にとって革命の影響が不安視されていた
陸軍は朝鮮への二個師団増設(朝鮮方面軍の創設)を西園寺内閣に強く訴えた
しかし!そこは政党派で公家出身の西園寺公望
軍部の要求を突っぱね、山県ら元老たちの説得にも応じなかった
そこで陸軍は奥の手を使うことになる
時の陸軍大臣上原勇作が単独辞職を敢行し、陸軍側は新たな大臣を出さなかった
当時軍部大臣は現役武官でなければならないという取り決めがあったので、陸軍が大臣を出さなければ内閣を運営することはできなかった
このため西園寺内閣は総辞職することになる
西園寺の後を継いだのは山県派で陸軍重鎮の桂太郎であった
第三次桂太郎内閣の誕生である
しかし首相就任前、桂は内大臣兼侍従長(宮中の役職)についていた
この桂の経歴が問題視され後に第一次護憲運動につながることになる・・・
この1912年から1913年の大正政変はたぶん戦前日本を象徴する事件・・・
重要なのは桂太郎は長州閥であって後に出てくる皇統派も統制派でもないことだ・・・
陸軍閥の話を押さえておかないと戦前日本の理解は難しい
穏健派筆頭の宇垣も長州閥で東条が長州を超嫌っていたのは有名な話
統制派は陸軍大学卒業のエリートが多くて長州閥とは相いれなかった