分析哲学が他の哲学を批判する時に「悪意」が先走りがちなのは、
割と普遍的な現象なのではないだろうか。
日本の哲学界はその腐臭に蓋をしているにすぎない。
永井均はさすがの嗅覚でこのかすかな腐臭を嗅ぎ取り、
そこに「ルサンチマン」が含まれていることを指摘しているわけだ。
その「くだらなさの構造」には、分析哲学の本質的な欠点なり弱点が含まれているのではないだろうか。
もう少し多くの事例を観察して「分析」したいところだが、
上記の「棲み分け」によって論争自体が希少なため、
なかなか難しいのが実情である。