評論家の西尾幹二氏が死去 「自虐史観」是正に尽力、ニーチェ研究の第一人者 - 産経ニュース
https://www.sankei.com/article/20241101-QUP77L4W6VKTPNUWTJNU4LQL2E/
産経新聞「正論」メンバーで評論家の西尾幹二(にしお・かんじ)氏が1日、老衰のため死去した。89歳。葬儀・告別式は家族葬で執り行う。後日、お別れの会を開く予定。
東京都生まれ。東京大文学部を卒業後、同大大学院修士課程修了。静岡大講師などを経て、昭和50年に電気通信大教授に就任した。ニーチェやショーペンハウアーといった19世紀ドイツ思想史研究の第一人者としても知られた。作家の三島由紀夫らとも親交を深め、文芸評論家として文壇にも活動の幅を広げた。
先の大戦で日本とドイツの戦争責任を同一視する論調を批判し、戦後補償などについて保守の立場から論陣を張った。戦勝国が一方的に敗戦国を裁いたとの認識の下に東京裁判の不当性を訴え続けた。平成6年に第10回正論大賞を受賞した。
近現代史を中心に日本をことさら悪く描く「自虐史観」の是正にも力を注いだ。平成9年には、教科書の正常化を目指して「新しい歴史教科書をつくる会」を結成し、初代会長に就任。(略)
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三島由紀夫は、西尾の才覚に早くから注目し高く評価していた。1969年刊の西尾の処女作『ヨーロッパ像の転換』に「この書は日本人によってはじめて書かれた「ペルシア人の手紙」である」と推薦文で絶賛している。西尾もまた、三島の文学と思想に強く惹かれ、両者には交流があった。交友期間は三島の自決事件により短期間で終わったが、三島の親友であった澁澤龍彦は、三島の死後さまざまな論者によって書かれた三島論の中で、本質を把握した三島への考察は西尾の三島論だけであったと評し、この澁澤の評価がきっかけで西尾と澁澤の間にも、澁澤の死に至るまでの交友が続いた。一方、三島について、侮蔑に近い軽視を三島事件前後に言っていた江藤淳に対しては、西尾は相当な違和感を江藤の死に至るまでもっていたと『三島由紀夫の死と私』で表明している
保守派の文芸評論家の小川榮太郎は、西尾は時事評論でおかしなことを言うこともあるが、ニーチェ研究や、20代で成し遂げたニーチェやショーペンハウアーの翻訳は「今でも誰も超えられない」と評し、昨今に論壇に少ない確かな学識がある知識人だとしている。