>>339
冗長などである理由についてかたられてないからそれは置いとくとして
ゲンジツの下りは喧嘩売られて買わないんであれば逃げてるよね(買えとは言ってない)って話だし、何らかの理由で争点を絞るならその行為が俺にとって問題ないならそれでも構わないかな。
それで、感覚に依存することに論理を求めるのはナンセンスって、その意見こそナンセンスでしょ。
牛肉一切れをとってみても、そこには「脂身の程度」「見た目の色合い」「肉の柔らかさ」などの"感覚頼り"な部分がある。
君の意見に則して言うなら『牛肉なんてみんな一緒』ってことだけど、実際に「等級」というランク分けがあるわけだし
さっきの"感覚頼り"な部分も「脂身が多いほど美味しい」「赤身が鮮やかであるほど美味しい」「肉が柔らかいほど美味しい」などの論理が存在してるよね。
まあ細部は分からんから例えの一つとして考えてくれ。
それで、喧嘩における強さの評価も同じとまでは言わないが似た話でしょ。
豊富な語彙を散りばめる能力は「表現力が高い」として評価されるポイントだし
相手の文章の論理的瑕疵を見つける能力は「思考力が高い」として評価されるポイントだし
相手の言外の主張を察知してその主張が破綻するような罠を仕掛けることは「作戦力が高い」として評価されるポイントじゃん。これは人によるかもな~。
まあともかくとりあえず、"感覚頼り"な部分に論理をもたらして強弱の判断を下す要因としてるよねって話になるのはこれで分かっていただけたでしょ?
よって『感覚頼りの強い弱いに論理を求めるだなんてナンセンス』なんて意見はナンセンスであるし
ぼくはきみにもっとまともなれすをしてほしいとかんじました。 おわり。