まず自分から語らせてもらうと俺は『良いお手本となる喧嘩師を見つけて、それらしく振舞ってみる(真似してみる)こと』じゃないかなと思ってる。これだけでも様になる気もするが、この行為には欠かすことのできない重要な要素が内包されている。
その要素というのは「己の弱さを知り、自分より上の存在を知ること」である。
というのも自らの弱さの自覚と他者の強さの認知、そしてその間に生じるギャップ。一見このギャップはネガティブな物に見受けられるが、実はこれは大きければ大きいほど強くなれる可能性が高い。なぜなら、このギャップは伸び代に変わる可能性を秘めている、つまりレベルアップボーナスチャンスなのだ。
逆に考えると、例えばアメリカ人のように「何者よりも我こそが最強」的スタンスを取っているような奴は、自らに枷をはめ自分の限界点を自ら定め、自分の成長の可能性を切り捨てているようなものである。彼の実力は現状維持か、減っていくばかりで上がることは見込めないだろう。
これは体験談なのだが、俺は昔別の矮小なサイトで最強の名をほしいままにし満足していたことがある(今思えば当時の実力の低さで最強とか言われて黒歴史)。しかし、ある日古参喧嘩師の喧嘩を見て自分のレベルの低さを恥じた。
それ以降は特に何をしたわけでもないが、実力はどんどん伸びていった(恥ずかしいからハンネは隠すけど)。
自分が井の中で最強だっただけに過ぎないことを悟り、広い海を知った。たったこれだけのことが、自分の成長の可能性を生み出し、成長がかなったのである。
ここまで書いておいてなんだが、これは具体的にこうすれば強くなる!という方法論ではなく強くなるきっかけになれるかもしれない、という程度のものだったかもwでも、誰かの役に立てば幸いです。
で、この程度の経験則とかでいいんで強くなる方法論とかを語り合えたらいいなーと思います。
>>3
まず全力投球してみることというのは大事だろうな
例えば根暗な奴とかはスポーツとかでも失敗の想像が先行してしまい、動きが硬くなって結局失敗してしまうという悪循環にはまっているような気がする。
同じことが喧嘩にも言えそうだ。
俺の方法論まとめてみたけどどう?
https://www38.atwiki.jp/mincha/sp/pages/132.html
ははははははおでん式はははははは
恐らく相当数の人が強者の喧嘩ログを見て勉強したと思うのですが、そんな中で強いと思った人なんていませんよ。何を勉強してたんだろうこいつと思う事が多々ですね。
っていうかさ~最強であるのなら最強であって当然なので満足するなんてことないんですよ。普通の事なのにいちいちウンウン俺TUEEEEなんて思うわけがない。
俺TUEEEなんて意識でいる時点でレベル低いと言わざるを得ませんね。価値観からごっそり変えたほうがいいのではないですかね。
喧嘩には「公式戦」と「野戦」がある
「公式戦」とは喧嘩大会の様な予めルールや判定人を準備し必ず勝者敗者の見極めを明確にしたもの
「野戦」はルール無用で当事者間で納得し合えるまで戦うもの
野戦においては力量に大差が無いとKO勝ちは難しい
大概はROM者達の横槍により中断、若しくはROM者による非公認な判定人によりその勝者が誘導されていく
結局は公式戦も野戦も第三者を味方につけたものが勝者
つまりは第三者の目にも分かりやすく納得出来るソースを提示出来るか否かが勝敗の決め手
ただ必ずしもソースがある喧嘩とは限らない
その場合は「ソースでないものをソースに見せかける印象操作出来る力量」が喧嘩勝者側には問われる
印象操作は既にコテハンから始まっている
長々と書いてきた上記を捨て半な俺がいうのと名高い喧嘩師が言うのでは受け取り方の印象が変わってくるもの
喧嘩で強くなる方法論?は印象操作に打ち勝つ印象操作を身につけるしかない
その手っ取り早い方法としては、名高い喧嘩師にコテハンで喧嘩を売り、そのコテハンで打ち勝てたのならそのコテハンは捨てないことだな