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>だがそもそもネット喧嘩というくだらないお遊びで欲求を満たしてるのが馬鹿らしい。
人生において娯楽というものはとても大切なんだよ。何が娯楽かは人それぞれだ。決して「これが全世界共通の娯楽だ!」というようなテンプレ化は出来ない。
だが「くだらない」 というのは君の感想に過ぎない。君の感想は君の中では絶対であるし、君の感想に共感する者もいるだろう。だが初所詮は感想に過ぎない。
>それにネット喧嘩より有意義なことなどいくらでもあると普通に考えればわかるだろ?なのにあえてネット喧嘩に熱中するのも馬鹿らしい。
何故有意義なものだけを求めて生きねばならない?それでは人は窮屈だ。とてもとても窮屈だ。
我々は部屋の隅に追いやられた古いブリキのオモチャか?否 自由人だ。生き方や個性の深層まで支配されてしまうのならばそれは最早ロボットだ。人間擬だ。
娯楽に熱中することの何を悪しとする。娯楽こそ人の究極であるのにだ、何が不満なのだ?
>心が廃れるってのは人を馬鹿にすることがクセになってしまったり、
武術は何のためにある?攻撃から身を守るためだ。喧嘩は何のためにある?言い合いに負けぬため というのもあるのではないか?
元より人は闘争の渦中に生きる強い生き物だ。僅かな戦いすら起こらなかった時代など無かろう。
ならばこの「喧嘩」はどうだ?「戦い」の歴史の中においてはもっとも穏便な戦いではないか?
流血などない。平和を訴える者達は「話し合いで解決できる平和な世界」を実現させようとさているらしいが、まさにそれじゃないか。
争い事が起きた時、この弱肉強食の世界で相手をねじ伏せる力は必須だ。それが無ければ私のようにボロ負けの歴史を積み上げていくだけだろう。
古参喧嘩師のグリムも同じだ。理屈の通らない横暴な父親に言い負かされないように喧嘩師になったあの男もだ。
間違えても「暴言を吐くくらいなら喧嘩より殺し合いを選ぶ」とは言うまい。結局そういうことだ。
>なんでもかんでも批判的にみるようになってしまったり、
批判とは改善を求めてこそ初めて成立するものだ。改善を求める姿勢の何がいけないと言う。