加えて、理系科目は訓練を重ねて実力がつくけど、文系科目は覚えようと思えば2年ほどで高いレベルに達するからね
夏目漱石や森鴎外の小説を読んだり歴史に強くなる程度の事は大した努力が要らない
お互いに提示した文章の枠の中で、その言葉の意味や構造に着目して善悪を決めようとする奴っているじゃん?
そういうのって文系喧嘩って考えていいのかな
本来の俺は喧嘩や議論上で相手が解釈をミスっても
こっちが用法をミスっても割とどうでもいいと思えるから
その辺で大きく温度差がありそうだよな
相手が後付けをしても別にいいと思える
相手が後付けをすることでより相手の意見が強いものになるんならそれがより正しい状態で、それは相手の意見の範囲内だしなぁ。
議論の最中に新たに発案をして、自分の意見の軌道修正をしてはいけないなんてルールもないし
逆に文系だと
不備の補足や意見の切り替えは
文章的に美しくない流れに見えて、つい論破したとか言いたくなっちゃうのかもなぁ
たぶんおでんならおめーが「誰よりも」と言ったことに着目して
その証拠は?とか証明しろ、とか言いそうじゃん?
俺はそういうことはまずないと思うよ
仮に言葉の意味にある程度重きを置いて発言をしたとしても
そっから相手の反論が発生した場合、文系らしい低次元なフェーズを超えた意見に昇華させようとするはず
で、仮に俺が文系脳だったとしても
文系批判の構造が変わるわけでもねーしどうでもいいけどな
アメリカ人のその非難してる対象は文系というよりむしろ理系
文系は言葉に対して理解してるしその解釈が複数あることも理解してるだろ
その上で文章の美しさや単語の余韻などを楽しむのが文系喧嘩じゃないのか?
定義をきっちりしなきゃエラー起こすのは文系じゃなくてむしろ理系だろ
論理学とか数学とか証明とかそういうのは理系脳じゃないのか?
馬鹿にもわかるのが理系で馬鹿にはわからないのが文系だよ
高尚って言えるのはその高尚さが馬鹿にもちゃんと伝わるからだよ
文系のやってる事は次元が違いすぎて馬鹿には理解できない
そして理解できないものをやってる人達を、馬鹿は馬鹿と言うんだよ
だから文系は低俗、理系は高尚と言われるんだよ
fm
じゃあおでんのようなブンザイってどういうジャンルなんだろうな
文系と理系をものすごーく幼稚にかけあわせたジャンル?
理系らしさがあるってのには納得だわ
文系、理系、体育会系 をあわせもってる気がするわ
はい論破-俺の勝ち、雑魚は消えてね~的ふるまいはSUMOUを連想させるしその姿はまさに体育会系
文理って科目とかそういうもんの表面的な分類を無理やり二極化しただけでしょ?
文系脳理系脳なんてもんは理系学部が無理やりレッテル貼っただけに過ぎない
>>22
間違ってたら申し訳ない
理系がするのは現象を一般化する作業だから、式ややり方を知れば再現することができる
文系がするのは思索だから、他人にはどんな論理に基づいてどんな筋道を辿ってるのかを完全には理解できない
だから再現不可能
ってことかな
他にもっと色々な意味が内包されてんのかもしれないけど
そう考えると、理論科学に携わる人間(例えばホーキングみたいな理論物理学者)って自分の思索を一般化させようとしてるわけだから文系であり理系でもあるってことになんのかな
天使はちゃんと理解できていない内容のもの
かじった程度のペラッペラな状態の知識や話題でたまに喧嘩してボコボコにされることあるよな
天使の喧嘩が中身がないだのペラッペラだの理由はこういう見てくれだけよく見せようと取り繕って中身を深く掘り下げたり、理解しようという行為を疎かにしているからだろうけど
Twitterでの自己紹介みたいなのもみてくれ良さそうなものを並べ立てる感じの下衆なものだし
アメリカ人なんかは子供かっていうくらい
子供じみた発想のことを言うだけでその発想なんかを具体的には言えなかったり言葉にできない伝えらない感じでまさに子供がやっている感じの思いつきみたいなものを現実的なこととかと絡められず具体的なことも言えずただただ妄想垂れ流しみたいなことをやっているよね発想がいいものであればいいけど誰からも見向きもされない感じの見当違いな発想が多いから扱いもぞんざいにされちゃうよね
>>33こいつって心の闇が凄そう
色々暴言?暴言というかなんだかわからない感じのレベルの発言はしていて当人的には邪魔できたり、掻き乱したりとか思ってやっているかもだけど効果でいうと微妙だよね喧嘩板って荒らしだのなんだのとの諍いもあったからそういうのに対して耐性あるんだよねそれとは別にこいつって話しかけれた奴とかに対して執着したりコンタクトとろうとしている節があるんだよね構って属性人と繋がりたいみたいな上手く周りと馴染めないけど人恋しい不器用な寂しがり屋みたいな気持ち悪い1面もあるよねそういう間違った方向で色々しても自分が本当に欲しいものなんて手に入らないだろうに馬鹿で不器用な人って生きるの大変そう
>>26
そんな感じ
理系分野は誰がやっても再現可能ゆえに知識として保有することに普遍的意味を与えやすいけど文系分野はそうでないから普遍的価値を与えるのが難しい
もちろん主観的価値はいくらでも付与できるけど主観的であるがゆえにその価値には反論の余地が多く残ることになる
高尚さの話をすれば理系は応用可能だから重宝されそれが高尚さに直結されるが文系はその反対だから低俗だと見なされることがしばしばある
しかし私はある種の利便性と高尚低俗の問題は別だと思う
応用可能だから高尚で応用不可能だから低俗という認識は合理主義的観点に過ぎず本来ならば応用の可否に関わらず思考の深さによって学問の高尚低俗は推し量るべきだ
巷ではよく「社会に出れば文系知識は役に立たない」ということが言われる
そしてそれは的外れではないしむしろその通りであるということは自身の経験からも認めざるを得ない
しかしそれは当然といえば当然であり文系知識というのは基本的にとある物事に直接応用する為に習得しているのではない
先人たちがある問題をどのように捉えどのように解決していったのかという過程を知ることで自分が問題に直面した際に考えられる選択肢を増やすために習得している
「この場合はこうすればいいのではないか?」という未知なるものへの問題解決能力を養うことに文系の意味はありその能力は社会に出る出ない以前に人として備え高めるべき能力だ
さて営利企業の仕事の達成度とは得てして売上の向上でありその為に必要なのは未知なるものへの処理能力だ
「どうすれば売れるか」という正解の分からない未知なるものを処理しなければならない
そしてそれを考えるのに文理の壁はなくアプローチの方法が違うだけである
学問とは探求であり探求とは未知の解明
そして未知の解明には方法論を超えたところに文理の壁はないわけで行なっている作業としては同じである
そういうわけで文理を分かち高尚低俗を考えることがそもそもの間違いである
方法論としての理解の得やすさという点において理系に分があるのは確かだが学問の最先端ではその方法をどうすれば正しく運用できるかということが思索されているわけであり常に未知への挑戦なわけである
そこを見ずに分かりやすい方法論にのみ目を向けて理系が高尚だとするのは浅いし間違っている
学問の本質は文理を問わず通底しておりそこに高尚や低俗といった差異はないのである
星屑エンドロールくんのツイート見て最近考えていたことをスレ立てしただけで別に私は学部コンプレックスとかないですよ笑
てか星屑くんポテンシャル高いよな