アリストテレス『弁論術』を読む

1サビぬき。◆THkSItvq3E
2019-10-21 21:30:03
ID:XI5o1Ndk

【要約】

説得は、技術です。

説得方法は主に3つあります。すなわち、

(1)いい人と思われる
(2)相手の感情に訴える
(3)論理性です。

本来なら論理性を貫くことで説得できることが望ましいのですが、残念ながら大衆の頭が悪いためにうまくいかないことが多いでしょう。仕方ないので、いい人に見られる技術や、手軽に相手の感情を揺さぶる様々な方法を身につけていきましょう。

そんなわけで、「弁論術」とは、弁証術(論理一貫性を追究する技術)と倫理学(人間の性格を見極める知恵)を土台として構成される、説得の技術です。(東京家政大学 准教授 鵜殿篤氏のブログ「眼鏡文化史研究室」より)


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2サビぬき。◆THkSItvq3E
2019-10-21 21:32:21
ID:XI5o1Ndk

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

『弁論術』(べんろんじゅつ、希: Τέχνη Ῥητορική (Technē Rhētorikē)、羅: Ars Rhetorica、英: (Art of) Rhetoric)は、アリストテレスによって書かれたレトリック(修辞学・弁論術)についての著作。レトリックの歴史を論じる際に真っ先に名前が挙げられる古典の傑作であり、演説が重要な社会的役割を果たす欧米社会の知識階層においては、当然のごとく踏まえられている教養の1つになっている。

3サビぬき。◆THkSItvq3E
2019-10-21 21:39:46
ID:XI5o1Ndk

〔Wikipediaつづき〕

【弁証術(ディアレクティケー)と弁論術(レートリケー)】

アリストテレスの師であるプラトンが、弁論術(レートリケー)に対して批判的な見解を持っていたことはよく知られており、それは彼の著作である『ゴルギアス』や『パイドロス』等で、明確に述べられている。

『ゴルギアス』において、プラトンは、弁論術(レートリケー)は本来「人々の魂(知見)を善くする(ことで国家・社会全体を善くする)」ことを目的としているべき「政治術」の一部門である「司法・裁判の術」に寄生しているものであり、対象に対する知識・技術を持ち合わせないまま、人々の短絡的な「快」につけ込んで無知な人々を釣り、真実や魂を善くすることから彼らを遠ざけ、その目を覆い隠してしまうだけのものであり、ただの「熟練の業」に過ぎず、醜く劣悪なもので、技術(テクネー)と呼べるようなものではなく、「化粧法」「料理法」「ソフィストの術」と並んで「迎合」(コラケイアー)と呼ぶべきものだとして批判している。

また、『パイドロス』においても、プラトンは、弁論術(レートリケー)が、対象についての真実を知らないまま、相手の魂を事物の真相から逸らして誘導していくことを目的とし、相手がどう考えるかばかりを追求していくだけの、「言論(ロゴス)の技術(テクネー)」と呼ぶに値しないものであると批判する。一方、それとは対照的に、定義・綜合・分析(分割)を備え、雑多な情報から対象のただ1つの本質的な相を導き出していける弁証術(弁証法、問答法、ディアレクティケー)こそが、真に「言論(ロゴス)の技術(テクネー)」と呼ぶに値するものであると述べている。彼が対話篇で描く「弁論家・ソフィストたちを論破するソクラテス」というモチーフは、全てその「小手先の弁論術(レートリケー)に対する弁証術(ディアレクティケー)の優位」を表現するためのものである。
(さらに、プラトンは、その弁証術(ディアレクティケー)を通じた真実の把握は、「並々ならぬ労苦」を伴うものであり、それがたかだか人間を説得するという「矮小な目的」の下になされるべきではなく、「神々の御心にかなうように」、すなわち「純粋に真実を恋い慕い、より善い魂を成就する」という「大きな目的」の下になされるべきであると説き、弁論術(レートリケー)という営みそのものを拒絶・破棄している。これが彼の考えた「哲学者」(愛知者、ピロソポス)像である。)

それに対して、アリストテレスは、プラトンのように「弁論術(レートリケー)そのものを拒絶・破棄する」ところまではいかず、弁論術(レートリケー)を弁証術(ディアレクティケー)と相通ずる技術(テクネー)として認めている。ただし、基本的な構えとしては、上記のプラトンの考えを継承しており、従来の印象操作的・扇情的な部分ばかりが強調されてきた指南書を批判しつつ、それらとは一線を画し、説得推論(≒弁証術(ディアレクティケー))を技術の中心に据え、バランスがとれた形で弁論術(レートリケー)に関わる全体像を描き出し、秩序立てようと努めている。

4サビぬき。◆THkSItvq3E
2019-10-21 21:43:02
ID:XI5o1Ndk

【構成】全3巻から成る。

第1巻 – 全15章

第1章 - 序論 (技術としての弁論術)
第2章 - 弁論術の定義
第3章 - 弁論術の種類
第4章 - 議会弁論
第5章 - 幸福
第6章 - 善いもの
第7章 - より大いなる善・利益
第8章 - 国制
第9章 - 演説的弁論
第10章 - 法廷弁論
第11章 - 快楽
第12章 - 不正を成す者と被る者
第13章 - 不正行為の分類
第14章 - より大きな不正行為
第15章 – 弁論術に本来属さない説得

5サビぬき。◆THkSItvq3E
2019-10-21 21:44:59
ID:XI5o1Ndk

第2巻 – 全26章

第1章 - 聞き手の心への働きかけ
第2章 - 怒り
第3章 - 温和
第4章 - 友愛と憎しみ
第5章 - 恐れと大胆さ
第6章 - 恥と無恥
第7章 - 親切と不親切
第8章 - 哀れみ
第9章 - 義憤
第10章 - 妬み
第11章 - 競争心
第12章 - 年齢による性格1 - 青年
第13章 - 年齢による性格2 - 老年
第14章 - 年齢による性格3 - 壮年
第15章 - 運による性格1 - 家柄の良さ
第16章 - 運による性格2 - 富
第17章 - 運による性格3 - 権力と幸運
第18章 - 共通の論点1
第19章 - 共通の論点2 - 各論
第20章 - 共通の説得手段1 - 例証
第21章 - 共通の説得手段2 - 格言
第22章 - 共通の説得手段3 - 説得推論
第23章 - 説得推論の論点
第24章 - 見せかけの説得推論
第25章 - 説得推論の反駁
第26章 – 説得推論の注意事項

6サビぬき。◆THkSItvq3E
2019-10-21 21:46:21
ID:XI5o1Ndk

第3巻 – 全19章

第1章 - 第3巻の主題
第2章 - 表現の優秀性
第3章 - 生彩の無い表現
第4章 - 譬え
第5章 - 表現の良さ
第6章 - 表現の重厚さ
第7章 - 表現の適切さ
第8章 - リズム
第9章 - 文体表現の構成
第10章 - 洗練された表現
第11章 - 生き生きとした表現と、味のある表現
第12章 - 表現方法の種類
第13章 - 言論の部分
第14章 - 序論
第15章 - 抽象
第16章 - 陳述
第17章 - 説得(証拠立て)
第18章 - 質問・答え、冗談
第19章 – 結びについて

7サビぬき。◆THkSItvq3E
2019-10-21 21:49:26
ID:XI5o1Ndk

【巻別の概要】

本書『弁論術』は三巻から成り、各巻の内容は以下の通りとなっている。


第一巻 - 弁論術についての概論、三種の弁論それぞれについての論点の整理

第二巻 - pathos(感情)、ethos(人柄)、logos(言論)/説得推論それぞれの観点からの考察

第三巻 - リズム、文体など表現方法

8サビぬき。◆THkSItvq3E
2019-10-21 21:53:42
ID:XI5o1Ndk

【弁論の種類についての概要】

アリストテレスは、弁論を以下の3種類に分類し、それぞれの相違点や共通点を述べている。

議会弁論 - 何事かを奨励・慰留させる弁論……未来にかかわる弁論である

演説的弁論 - 人を賞賛・非難する弁論……現在にかかわる弁論である

法廷弁論 - 告訴・弁明する弁論……過去にかかわる弁論である
 

9サビぬき。◆THkSItvq3E
2019-10-21 21:57:46
ID:XI5o1Ndk

【弁論における説得手段についての概要】

本書『弁論術』では、説得のあり方について、以下の3つの側面から考察されている。

logos(ロゴス、言論) - 理屈による説得
 
pathos(パトス、感情)- 聞き手の感情への訴えかけによる説得
 
ethos(エートス、人柄)- 話し手の人柄による説得
 
 
アリストテレスはこの3つの内、logos(言論)を技術の中心に据え、秩序立てようと努めているが、残りのpathos(感情)とethos(人柄)という2要素も、他者を説得する上では決して無視できない要素であるとして、同程度の文量を割いて考察している。
  
(なお、この分類は、プラトンの魂の三分説における「理知(logos)」「欲望(epithymetes)」「気概(thymos)」に概ね対応している。また、近代社会学の父であるマックス・ヴェーバーによって提示された社会支配の三形態、「合法的支配」「伝統的支配」「カリスマ的支配」とも重なる。)

10サビぬき。◆THkSItvq3E
2019-10-21 22:01:51
ID:XI5o1Ndk

本スレッドでは、底本として、

『アリストテレス 弁論術』 戸塚七郎訳 岩波文庫 1992年

を用いる。


引用するアリストテレスの文章に付けられたページ数は、すべて上記の底本におけるページ数である。

11サビぬき。◆THkSItvq3E
2019-10-21 22:11:26
ID:XI5o1Ndk

【本の要約サイト flier(フライヤー)よりレビュー 】

アリストテレスといえば、古代ギリシアの哲学者であり、「万学の祖」としても知られる人物だ。ただ、その著作は抽象的で難解だと思われがちであり、読むことを躊躇している人も少なくないのではないか。

しかし、本書は現代でも通用するれっきとした実用書である。アリストテレスは、弁論術を「どんな場合でも、可能な説得の方法を見つけ出す能力」と定義した。「弁論は経験による『慣れ』にすぎない」としたプラトンを否定し、成功の原因を観察し方法化することによって、弁論を「技術」として成立させようと試みたのである。

聴き手の心を揺さぶって判断を歪めさせる従来の弁論手法ではなく、説得の根拠となる材料を集め、論理的に積み上げていく手法を、アリストテレスは重視した。それは本書自体が、頑強な論理の積み重ねから成り立っていることからも明らかだろう。

たとえば、「よいもの」「幸福」といったよく使われる言葉についても、意味を曖昧にさせたまま用いずに、1つ1つ厳密に定義をしながら論理を展開している。

また、今でこそ論理学の基本となっている三段論法も、もともとはアリストテレスが整備したものだ。

時の洗礼を受けてきた古典というだけあって、この1冊があれば、弁論や説得、話し方に関するその他の書物は不要になってしまうかもしれない。そう言いたくなるほどの読みごたえだ。ぜひ折を見て、通読に挑んでみてほしい。

12サビぬき。◆THkSItvq3E
2019-10-21 22:15:29
ID:XI5o1Ndk

【上記レビュアーによる要点の絞込み】

①弁論術とは聴き手を説得する技術で、相手を説得するために必要な要因は「話し手の人柄」「聴き手の心理状態」「話される内容の論理性」の3つである。

②弁論は聴き手の性質によって「議会弁論」「法廷弁論」「演説的弁論」の3種類に分類でき、それぞれ聴き手は「利/害」「正/不正」「美/醜」を判断する。

③話される内容の論理性を担保するためには、弁論の根拠として「例証」と「説得推論」をうまく用いるべきである。これは3種類の弁論すべてに共通して有効な説得手段となる。

13
2019-10-21 22:31:48
ID:hS4q6xH.

偽サビの正体ってタンチン、あろく信者だったのか

14サビぬき。◆THkSItvq3E
2019-10-21 22:32:50
ID:XI5o1Ndk

第1巻 – 第1章 - 序論 (技術としての弁論術)

「弁論術は弁証術と相応ずる関係にある。」(『アリストテレス 弁論術』 戸塚七郎訳 岩波文庫 1992年 p.22)

----------------------------------------------
『弁論術』の冒頭、最初の一文である。

「弁証術」とは、プラトンが開始した「問答法」のことで、「真理に到達するための方法」である。
これが、ヘーゲルの弁証法的論理学やマルクスの唯物弁証法へとつながっていく。

一方、本書のテーマである「弁論術」とは、「人(や人の魂)を動かすための方法」である。

このため、プラトンは「浅い!浅すぎますっ!!」といって全否定した。

ところが、アリストテレスは、「いや、でも実際現実は理屈だけでは動きませんやんか」といって「弁論術」を半分肯定しつつ、一方でプラトン的な「弁証術」も取り入れて、「弁論」の中心を「論理による説得」に置こうとしたのである。
 
そして論理以外の要素についても、かなり気合の入った議論を展開している。「論理以外の要素は単なる付け足し」などとは考えていないのだ。

15サビぬき。◆THkSItvq3E
2019-10-21 22:56:49
ID:XI5o1Ndk

>>14
しかし、『弁論術』の本文には、そのような振る舞いとは間逆に見えるようなことが書いてある。

----------------------------------------------

「世の弁論技術書なるものをまとめ上げている人々は、弁論術の部分たりうるものは何一つもたらさなかった、と言ってよい。というのは、技術に属することができるのは説得方法(証拠立て)だけであって、それ以外は付属物にすぎないのであるが、ところが彼らは、説得方法の本体に当たる説得推論(enthymema)については何一つ語っておらず、大部分の労力を当面の問題とはかけ離れたことに当てているからである。なぜなら、中傷とか憐れみとか憤りとか、その他、心が抱くこの種の感情は、当面の問題にはなんの関わりもなく、ただ裁判官の気持に狙いをつけているにすぎないからである。」(p.23)

----------------------------------------------

ここだけを読むと、まるでプラトンが言っていた「弁論術全否定」をそのままアリストテレスが繰り返しているように見えるが、もちろんそうではない。
上の文章は、論理性を無視してきた従来の「弁論術」を批判しているだけであって、アリストテレス自身は「中傷とか憐れみとか憤り」というような、実際の議論には付きものの要素もしっかりと論ずるつもりなのである。

とはいえ、『弁論術』で最も重要なのが「説得推論(enthymema)」である、ということはこの文章でも示されている通りである。

16サビぬき。◆THkSItvq3E
2019-10-22 18:20:39
ID:u3zhGvz6(sage)

「しかるに弁論術における論証というのは説得推論のことであり、それは、一口に言って、説得の中で最も有力なものであるが、この説得推論も一種の推論であるし、また、推論の全般に亘ってくまなく考察するのは、全体か、それとも或る一部かはともかく、弁証術の仕事であるから――それゆえ、弁証術における推論がどのような要素からどのように組み立てられるかを最もよく見究めることのできる者は、また、説得推論がどのようなものを対象にし、論理的推論と比べてどのような違いがあるか、この点の知識を手にする時には、説得推論について最も精通した者になるであろうことは明らかである。なぜなら、真なるものを見るのも、それに似ているもの(おおよそ真なるもの)を見るのも、精神の同じ能力によるのであるし、同時にまた、人間は生まれつき真なるものを目指す素質を十分に備えており、ほとんどの場合、実際に真理を手に入れているのであって、したがって、一般に真と思われていること(おおよそ真なること)にうまく行き当たるのも、真理をうまく射当てることも、精神の同じような状態であると言えるからである。」(p.26-27)

----------------------------------------------

長文なので、言っていることを箇条書きにしよう。

(1)「弁論術」における論証とは、「説得推論」のことである。「説得推論」に精通するためには、「弁証術」における論証、すなわち「論理的推論」がどのような要素からどのように組み立てられているのかを理解しなければならない。

(2)何故そのようなことが言えるのかというと、弁証術における「真理を認識する能力」と弁論術における「真理に似たもの(おおよそ真理であるといえるもの)を認識する能力」は精神の同じ能力だからである。

17サビぬき。◆THkSItvq3E
2019-10-22 18:26:57
ID:u3zhGvz6(sage)

ここで「真理を認識すること」と「真理に似たものを認識すること」という対比が出てくる。

まだ先まで読んでないので断定はできないが、前者は「アルゴリズム」(算法)に相当し、後者は「ヒューリスティック」(簡便法)に相当するのではあるまいか。
という予想を立てておく。

18サビぬき。◆THkSItvq3E
2019-10-22 18:30:36
ID:u3zhGvz6(sage)

「精神の同じ能力」についても、この時点ではそれが何なのかは明らかではないが、普通に考えて「理性」以外には考えられないだろう。
アリストテレスのことは全然知らないが、カントのような「理性」と「悟性」の区別などというものはアリストテレスにはないはずである。

19サビぬき。◆THkSItvq3E
2019-10-22 18:33:14
ID:u3zhGvz6(sage)

私の解釈が間違っていたり、予想が外れたりした場合には、その都度反省し、ここに書き込んで修正するつもりである。
「事実」や「他人の意見」に対応するとき、一番難しいのは、素直に間違いを認めるということであろう。

20煽り大納言◆Wa74BxQwXk
2019-10-22 18:48:20
ID:WR.Rj04A(sage)

アルゴリズムとヒューリスティックを同じ能力の発露とするのは現代的だな

昔の人は違った現象には違った能力を割り当てたがるものだが…

21サビぬき。◆THkSItvq3E
2019-10-22 21:51:33
ID:u3zhGvz6(sage)

ヒューリスティックというと、通常、「作業に取り掛かるための間に合わせの推論仮説」「叩き台としてのとりあえずの結論・数値」という印象だが、
喧嘩師である僕はまた違った考えを持っている。

坂口安吾の『青春論』という文章に、柳生流の剣法と宮本武蔵を対比した以下のようなくだりがある。
 
 
「剣法には固定した型というものはない、というのが武蔵の考えであった。相手に応じて常に変化するというのが武蔵の考えで、だから武蔵は型にとらわれた柳生流を非難していた。柳生流には大小六十二種の太刀数があって、変に応じたあらゆる太刀をあらかじめ学ばせようというのだが、武蔵は之を否定して、変化は無限だからいくら型を覚えても駄目であらゆる変化に応じ得る根幹だけが大事だと言って、その形式主義を非難したのである。」

「武蔵の剣法というものは、敵の気おくれを利用するばかりでなく、自分自身の気おくれまで利用して、逆に之を武器に用いる剣法である。溺れる者藁もつかむ、というさもしい弱点を逆に武器にまで高めて、之を利用して勝つ剣法なのだ。/之が本当の剣術だと僕は思う。なぜなら、負ければ自分が死ぬからだ。どうしても勝たねばならぬ。妥協の余地がないのである。こういう最後の場では、勝って生きる者に全部のものがあり、正義も自ら勝った方にあるのだから。是が非でも勝つことだ。我々の現下の戦争も亦然り。どうしても勝たねばならぬ。」

「武蔵はただ必死であり、必死の凝った一念が、溺れる者の激しさで藁の奇蹟を追うているだけの話だ。余裕というものの一切ない無意識の中の白熱の術策だから、凄すさまじいほど美しいと僕は言う。万全の計算をつくし、一生の修業を賭けた上で、尚、計算や修業をはみだしてしまう必死の術策だから美しい。彼はどうしても死にたくなかった。是が非でも生きたかった。その執着の一念が悪相の限りを凝らして彼の剣に凝っており、縋すがり得るあらゆる物に縋りついて血路をひらこうとしているだけだ。最後の場にのぞんだ時に、意識せずしてこの術策を弄ろうしてしまう武蔵であった。救われがたい未練千万な性格を、逆に武器に駆り立てて利用している武蔵であった。」
 
 
このような、「生き抜くためのギリギリの術策」。ヒューリスティックにはこのような側面もあるのではないだろうか。
状況によっては、ヒューリスティックがアルゴリズムを凌駕することはいくらでもあり得る、と僕は思う。

22煽り大納言◆Wa74BxQwXk
2019-10-22 21:58:53
ID:.ajY4a4c(sage)

なるほど、「真理など糞くらえ!」というわけか
わしらには「真理に似た別の何か」の方が相応しいのかもしれんな…

23サビぬき。◆THkSItvq3E
2019-10-22 22:23:26
ID:u3zhGvz6(sage)

>>22
ところが、アリストテレスは『弁論術』でこう言っている。
----------------------------------------------
 
「一般的に言って、どんな場合でも真なることやより善い事柄のほうが、本性上、推論するのもやり易いし、説得力にも優れているのである。」(p.29)
 
----------------------------------------------
理念的に「真理追究のための思考」と「生き抜くための思考」というふうに対比させると、
どうしても気負って「真理など糞くらえ!」なんてことになってしまうが、
現実には「生きていくために真理は必要」なのであって、大体の場合、弁証術と弁論術の違いなんか意識しないんだよね。
また、アルゴリズムとヒューリスティックの境界もそれほど明確ではないように思う。

24サビぬき。◆THkSItvq3E
2019-10-22 23:13:52
ID:u3zhGvz6(sage)

第1巻 – 第2章 - 弁論術の定義

アリストテレスは、「説得(証拠立て)」には二種類ある、と言う。
ひとつは「技術によらぬもの」、もうひとつは「技術に基づくもの」である。

----------------------------------------------

「技術によらぬものとは、われわれの手によって得られたのではなく、その前から存在していた証拠のことで、例えば証人、拷問による自供、契約書、およびこれらに類するものがそうである。これに対し、技術に基づく説得とは、弁論術の方法に従い、われわれの手によって用意されることの可能なものを言う。それゆえわれわれは、当然、これら二つの説得のうち前者はこれを用い、後者は自分で見つけて行くことになる。」(p.31-32)

----------------------------------------------

これは一見、当たり前のことを言っているだけに聞こえるだろう。
「あらかじめ存在している証拠を用いる説得(証拠立て)」と「まだ存在していない証拠を自分で用意する説得(証拠立て)」。
後者は推論によって、今まで気付かなかった事実や矛盾などを暴き出し、それを証拠として用いることによって説得することを意味しているのであろう。
金田一耕助シリーズなどを見ていると、警察の捜査は前者「技術によらぬもの」に基づく通り一遍の捜査で、それを金田一耕助が「技術に基づく」推理によって引っ繰り返す、という構図になっている。以下は映画『犬神家の一族』ラストのやり取り。
 
 
古館弁護士「誠に不思議な事件でした。警察の通り一遍の捜査だけではとても解決しなかったでしょう。あなたのおかげです」
 
金田一耕助「いや、僕がもう少し早く糸口を探し出していれば、5人の死者を出さなくても済んだんではないかと申し訳なくて謝っているんです。どうぞ堪忍してください」


金田一耕助は連続殺人を止められず全員死んでから謎解きをするだけだ、というふうによく批判されている。しかし、「あらかじめ存在している証拠」のほとんどが犯人によって用意された捻くれまくった目くらましなのだからしょうがない。また「予測しようのない、とんでもない偶然の要素」なんかも絡んでくるのだから、すべてが終わった後、俯瞰して見なければ何がなんだかわからない、というのは当然ではないか。

そうなのだ。「あらかじめ存在している証拠」というのは、正しい証拠が、誰の目にも明らかに、ずっと同じ場所で在り続けているというわけではない。それは動き、隠れ、そして我々を騙すことだってあるのだ。それを推理によって追跡し、その裏側にある真実を発見するというのだから、「あらかじめ存在している証拠」と「自分で発見する証拠」の間に明確な区別など存在しないのではないだろうか。

25サビぬき。◆THkSItvq3E
2019-10-25 01:57:16
ID:ILyJ59f6(sage)

>>24で私は、「技術に基づく説得」のことを「推論によって、今まで気付かなかった事実や矛盾などを暴き出し、それを証拠として用いることによって説得することを意味しているのであろう」と解釈したが、これは間違いだった。いや、間違いというより狭い見方だった。そう、これは『弁論術』なのである。なのに、弁証術的なことしか思い浮かばなかった。途中で読むのをやめると、こういうことが起こる。
  
>>24で述べられている「技術に基づく説得」こそが、このスレッドの最初の方で紹介されている「弁論術における説得の三様態」なのである。

----------------------------------------------

「だが、言論を通してわれわれの手で得られる説得には三種類がある。すなわち、一つは論者の人柄にかかっている説得であり、いま一つは聴き手の心が或る状態に置かれることによるもの、そしてもう一つは、言論そのものにかかっているもので、言論が証明を与えている、もしくは与えているように見えることから生ずる説得である。」(p.32)

----------------------------------------------

言論における「説得(証拠立て)」はまず、「技術に基づく説得」と「技術に基づかない説得」に分けられる。
そして、「技術に基づく説得」は、「人柄による説得」「聴き手の心の状態に働きかけることによる説得」「言論そのものによる論理的な証明、もしくはそれに似たものによる説得」の三つに分けられる。

26サビぬき。◆THkSItvq3E
2019-10-25 02:22:04
ID:ILyJ59f6(sage)

「『人柄によって』というのは、論者を信頼に値する人物と判断させるように言論が語られる場合のことである。つまり、人柄の優れた人々に対しては、われわれは誰に対するよりも多くの信を、より速やかに置くものなのである。このことは一般にどんな場合にも言えることであるが、とりわけ、確実性を欠いていて意見の分れる可能性がある場合にはそうする。だが、この信頼も、言論の内容によって結果されるべきであって、論者はこれこれの人間である、と先入観を抱くことによって結果するのであってはならない。すなわち、弁論の技術を講ずる二、三の人々は、論者の人柄のよさは言論の説得性にとりなんの足しにもならないとして、これをも弁論の技術に含めることはしていないが、事実は彼らの言うのとは違い、論者の人柄は最も強力と言ってもよいほどの説得力を持っているのである。」(p.32)

----------------------------------------------

昔の論理学の本には、形式論理学の詳しい紹介のあとに、簡単な虚偽論が紹介されていて、この虚偽論の創始者もアリストテレスなわけだが、そこでは「発言者の正当性と発言内容の正当性は切り離して考えろ」と書いてある。つまり、論理的な推論の正しさは、その推論を誰がしたかということとは関係がない、ということである。普段信用できない言動をしている人物の発言だからといって、頭から否定してはならない、内容を論理的によく吟味してから判断を下さねばならないというわけだ。論理的な見地からいえば全く正しい。

しかし、現実にはどうだろうか。我々は普段、「その発言を誰がしたか」ということをも判断材料にして思考を展開しているのではないか?膨大な量の情報に日々接している我々は、そのいちいちを論理的に吟味している暇はない。そこで、「その情報は誰によってもたらされたのか」「その情報に対して誰か信用のできる人が先に何がしかの判断を下してはいないか」ということによって、多くの情報をフィルターにかけているのだ。つまり、「人柄による判断」とは、ヒューリスティックなのである。

27サビぬき。◆THkSItvq3E
2019-10-25 02:41:38
ID:ILyJ59f6(sage)

喧嘩師たちの会話も「人柄」をめぐるものが多い。他のスレに目をやると、探すまでもなく目に入ってくる。
 
 
12: 天使‪◆ozUGJtZOj2
2019-10-24 23:34:03
ID:7UOjSO0k
参加者のうち誰が強いか弱いか以前に知らない人ばっか
 
13: めるとだうん◆aGtOPdaWGE
2019-10-25 00:04:44
ID:8dHUq1Z2
天使って会話するだけでアホが滲み出るのになんで悪い意味で有名にならんの?
 
14: 天使◆kawaiiBoyQ
2019-10-25 00:06:26
ID:U4agW/Q6
私を相手にすんなよ笑
 
15: 天使◆kawaiiBoyQ
2019-10-25 00:08:09
ID:U4agW/Q6
こいつ粘着性高くてだるいわ
天使が天使が〜ってキモいんだよなマジで
 
16: めるとだうん◆aGtOPdaWGE
2019-10-25 00:10:19
ID:8dHUq1Z2
羽ブチブチ引き抜かれた後もこの態度!w
 
 
これは純粋に「人柄」についての会話であるが、これが事実をめぐる論争などに絡みだしたら、とたんに話はややこしくなる。
ややこしくはなるが、それは論理的に腑分けしていく立場からのことであって、生の論争当事者やそれを見ているギャラリーからすれば、
むしろ「人柄」の話が入ってきた方が話はわかりやすくなるのである。知っている人同士の論争だとなお話ははやい。
喧嘩掲示板においてステハンよりもコテハンが推奨されるのには、このような弁論術的な意味合いもあるといっていいだろう。
コテハンには履歴により「人柄」についての情報が蓄積されていく。「こいつはこういうことを言いそうだな」という理解の枠組みがもてるわけだ。
ただ、それが「先入観」となって絶えず動いていく現実への判断を鈍らせてはいけない。
アリストテレスのいうように、そのヒューリスティックの信頼性は「言論の内容によって結果されるべきであって、
論者はこれこれの人間である、と先入観を抱くことによって結果するのであってはならない」のである。

しかし、そのように言うのは簡単だが、自分の判断が先入観によるものなのか、言論の内容から結果したものなのかは見極めが難しいだろう。

28サビぬき。◆THkSItvq3E
2019-10-25 10:35:34
ID:ILyJ59f6(sage)

「『聴き手を通して』というのは、言論に導かれて聴き手の心が或る感情を抱くようになる場合のことである。なぜなら、われわれは、苦しんでいる時と悦んでいる時とでは、或いはまた好意的である時と憎しみを抱いている時とでは、同じ状態で判定を下すとは言えないからである。そして実にこのことが、われわれに言わせれば、今日の弁論技術書の著者たちが唯一の目標として研鑽に努めている点なのである。」(p.33)

----------------------------------------------

「議論」の本体が言論そのものにおける論理的な説得にあるとすれば、「喧嘩」の本体はこの「感情の次元」にこそあるだろう。
ただし、そこから論理的な説得を抜いて純粋に感情の次元だけでやり合えば、それはもはや喧嘩師にとっての「喧嘩」ではなく、煽り師たちがひたすら同じ平面で繰りひろげている「煽り」の領域へと突入する。さらに、感情の次元に対する言葉の内容での煽りすら放棄する時、形骸化した「煽りの廃墟」としての「荒し」が出現する。荒し師はこの不毛さをたいていは自覚しているので、荒し対象の掲示板(もしくはスレッド)ではユーザーとのコミュニケーションを取らない不気味な存在である。
ところが、キャスフィ避難所には、この従来の荒し師とは違ったタイプの新しい荒し師が登場した。言うまでもなく、梨乃である。
荒しもするがコミュニケーションもとる。マスー君はコミュニケーション主体で要所要所で荒らすスタイルの喧嘩師であり、その荒し行為は論証の代わりに用いられる「技術」の領域だが、梨乃の場合は本体は荒し行為であり、それが時々コミュニケーションの次元に降臨してくるので我々としては「ちゃんと話せるんだ…」という驚きに包まれるわけである。
つまり、梨乃は不毛な「煽りの廃墟」から感情の次元を撃ってくる。そしてごくまれには、その弾が議論の領域にまで届くことすらあるのだ。

29サビぬき。◆THkSItvq3E
2019-10-25 10:56:48
ID:ILyJ59f6(sage)

「『言論そのものによって』説得がなされるというのは、個々の問題に関する納得のゆく論にに立って、そこから真なること、或いは真と見えることを証明する場合を言う。」(p.33)
 
----------------------------------------------
 
すでに何度か言及しているが、ここで注目すべきは「真なること、或いは真と見えること」というフレーズである。弁証術では「真なること」のみが問題であり、「真と見えること」は虚妄として捨て去られる。プラトンはこの立場であり、学者と呼ばれる人種のほとんどはこの立場に立っているであろう。ところが、アリストテレスは徹頭徹尾、実際に暮らしている人間の現実に即する。「真と見えること」もまた、人間世界で一定の役割を果たしているなら、それを学問として取り上げないわけにはいかない。ただし、そこは学問の神様であるから、あくまで「真なること」を追求する立場から「真に見えること」の運動と役割を分析しようというわけである。ここで喧嘩実践に生きる我々喧嘩師とアリストテレスは袂を分かつこととなる。真理を追究しようと称する学問ですら、「真と見えること」で満ちているのがこの世の現実であり、またそれで構わないのではないか。それが我々喧嘩師の根本的な立場である。ただし、>>23で指摘したように、通常は「真なること」の方が説得力を持っており、思考もそれに沿っている方が簡単で楽なのである。我々の生活は概ね「真なるもの」に沿って営まれているのだ。また、「真と見えること」が機能するのは、それが「『真なるもの』に見える」からであって、「真と見えるもの」は「真なるもの」に、いわば寄生しているのである。我々喧嘩師は、この現実を踏まえた上で「真と見えるもの」を使用していかなければならない。

30マスー君
2019-10-26 22:41:46
ID:rKNjWOJ.

31ひろゆき
2019-10-26 22:58:21
ID:d4NyQ58k

>これは純粋に「人柄」についての会話であるが、これが事実をめぐる論争などに絡みだしたら、とたんに話はややこしくなる。
>ややこしくはなるが、それは論理的に腑分けしていく立場からのことであって、生の論争当事者やそれを見ているギャラリーからすれば、
>むしろ「人柄」の話が入ってきた方が話はわかりやすくなるのである。知っている人同士の論争だとなお話ははやい。
>喧嘩掲示板においてステハンよりもコテハンが推奨されるのには、このような弁論術的な意味合いもあるといっていいだろう。

あなたの感想ですよね

32臭すぎ危険wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
2019-10-26 23:27:14
ID:ATeC5lMY

>>31
はたしてそう言い切れるかな?

33香川照之
2019-10-27 00:43:47
ID:bfyqoB1A

>>31
ほんとうに、そうでしょうかっ

34【注意!】マラを洗っていない純一が人に罪をなすりつけています!
2019-10-28 14:00:08
ID:/xTpOnEI(sage)

               ,-――-、    ;;;;;;;;;;
             /       \  ( ;;;;(
            /  ...━、,-━ . l  ) ;;;;)
            | .(=〇=)(=〇=) | ./;;/
            |    / ー-'ヽ  ./ .l;;,   
             \  ヽニソ ━・'   いちいち騒ぎなさんな
          (  (/ /l .l ∧  iヽ、`、
           ) l l 〉' 人ヽ l   ) ヽ
           し'l  V 入 V  l  / /
            L_/ / )l  / (__/
              し'  L|  l
                 ヽ、_

35【注意!】マラを洗っていない純一が人に罪をなすりつけています!
2019-10-28 14:01:26
ID:/xTpOnEI(sage)

>>31
                      fヘ
                      |彡l
                      |彡}
            n:n∩n:n∩,:n  f非ミi
           {r'´0n:n∩';。;  |从メl
           (:o。.O°:no0ノ ノ|メ从ト、
           ヾ;i'⌒uヾ゚;-'ァ /人|メ ! .!
            U`ヽ,゚。jj´{ /゚゙0 。:ト:ノ:n:
              /゚://0。`´、゚_ヽ;_ノノ
            ,.イ◞≍◍≍◟j′゙{;;。◎゚o。ミ、
           (Vo。0°゚ヽ-‐。o=◞≍◍≍◟,)
            .| ゙-;゚o ゚O °◎。o。r、,..-'゙|
            l,~U゙゚:| i!'''"uU~~~@`''"cU;|
            'l,  :!J! トェェェェエソ   ,/   ヘラヘラ
             \   `ェェェェン:   /
               ゙l'-、..,,,,,,,,,,,,..,、-'l゙
               ゙'-、..,,,,,,,,,,,..、-'゙
               / r'⌒'、 i. iヽ'、.
               i .ノ   } } ./'、_!
              _,,.. 'y'―'し‐` 、 '      くだらんこと言ってないで 
            /:::         \
           /:::"            ヽ
          ,i ::  -=ニ=-  -=ニ=-   i    実証不能なものは
           \..     / ー-' ヽ   /
            \::.| ト‐=‐ァ' |: /      ベロググンボ実証ロンじゃベロン?
     / ̄ ̄ ̄ ̄´\ ` `二´'  /
    ノ         ノ   .____/         でもやったらどうかね ?
  /´              |     ヘッヘッヘッ
 ヽ    -一''''''"~~``'ー--、-一'''''''ー-、.  
  ヽ ____(⌒)(⌒)⌒) ) _(⌒)⌒)⌒))

36陰圭
2019-10-30 10:49:12
ID:LoVG1Si6(sage)

>>31
東京一番街のトイレでも君みたいに小の方にウンコしてあるの見たなぁ
下痢便がなみなみと溜まってたけど
いつも人がいるところだし誰かいる前でもやむにやまれずひったのかな

37ハルニャン
2019-11-01 03:20:19
ID:6hm4S8iI(sage)

サビぬきが大嫌いだよ
サビぬきを毛嫌いするよ
サビぬきを嫌悪するよ
サビぬきを憎悪するよ
サビぬきは外道
サビぬきは邪道
サビぬきはデジモンセイバーズの倉田先生以下の犯罪者
サビぬきはデジモンセイバーズの倉田先生未満の極悪人
サビぬきは塵屑
サビぬきは滓
サビぬきは糞
サビぬきは大便

38サビぬき。◆THkSItvq3E
2019-11-01 12:08:03
ID:cuKOqclU(sage)

井筒、ありがとな

39純一
2020-03-31 12:24:28
ID:aRB6JEbs(sage)

全哲学書は「それ個人の感想ですよね?」で論破可能
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1581698648/
 
2考える名無しさん2020/02/15(土) 01:59:31.170
その個人の感想ってのがお前個人の感想だよな

5考える名無しさん2020/02/24(月) 14:02:01.090
「うわ、すげえ感想」「オレは全然思いつかなかったよ」
感想がいかに斬新で独創的かを競い合うのが哲学
哲学は感想の芸術なのだ

12考える名無しさん2020/03/06(金) 19:12:25.180
例え個人の感想でも、調べてみたら本当だったらそれで良い。論破されているとは限らないのである。
例えばデモクリトスは、物を割って行けばこれ以上割れない物があるよね、きっと。原子って言う事にしよう。そうこうして数千年後、本当に原子が見つかった。
ニュートンは不思議な引力が重さのある物なら何にでもあるよね、これって万有引力って言う事にしよう。
そうこうして加速器でヒッグス粒子が見つかり、M理論が重力子も算出しようとしている。

40葉っぱ天国総帥 マスー君◆32omrENSVA
2020-04-23 15:35:13
ID:M8jqrp.E

あげ

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