関係をせまると、「あなたは紳士じゃない」と言われる。
関係をせまらないと、「あなたは男じゃない」と言われる。
たびたび部屋を訪れると、「もっと1人の時間がほしい」と言われる。
あまり部屋を訪れないと、「二股かけているのか」と言われる。
はやりの服を着ると、「流行にふりまわされて軽薄」と言われる。
はやりの服を着ないと、「ダサダサで恥ずかしい」と言われる。
待ち合わせに30分遅れると、「30分も待たせるなんてひどい」と言われる。
自分が30分遅れると、「30分ぐらいなによ」と言われる。
話を聞きながら発言すると、「黙って聞いてよ」と言われる。
話を黙って聞いていると、「何か言ってよ」と言われる。
そうだねと賛成すると、「自分の考えがない人ね」と言われる。
そうじゃないと反対すると、「理解がない人ね」と言われる。
やきもちをやくと、「しばられるのは嫌」と言われる。
やきもちをやかないと、「もう愛はないのか」と言われる。
愛してるよと言うと、「口の軽い人ね」と言われる。
大好きだよと言うと、「それだけしか言えないの」と言われる。
今までのお馬鹿な日本では、メディアは遠まわしに、
「恋愛は競争。どんどん貢ごう」と強調してた。
これは定期的にすごい勢いでお金が回るので、物売る人たちは嬉しい。
悪女たちもお得がいっぱいで嬉しい。
よしずっとこれで行こうと思ってたら、賢い男たちがついていかなくなった。
「馬鹿じゃねーの」という呆れだったり、
「無駄に貢ぐ義務はない」という真理だったり、
「便利な道具にされるだけでしょ」という悟りだったり、
「二次元の女の子の方が魅力的じゃん」という別視点だったり。
無知男という奴隷の金や競争欲を
利用して成り立ってる繁栄でもあったのだが、
ジワジワと奴隷にも知恵が芽生えてきたのと、
国家的不景気とで上手く機能しなくなった
(今では恋愛どころか、
国民の基本生活さえ危ない状況となってるが、解決できてない)。
さらに、一部の思考グループは、
「あれ? 強欲女や馬鹿女との恋愛なんて、いらないんじゃね?」
って気付いちゃった。
なのにメディアはまだ、「草食系男子」なんてトンチンカンなこと言ってる。
気立てが良いとほめて欲しいなら、気立て良くなればいいだけだし、
奢って欲しいなら、奢る価値のある存在になればいいだけだし、
守って欲しいなら、守る価値のある存在になればいいだけだし、
彼氏が欲しいなら、なってくださいと言えばそのうち出来るし、
結婚して欲しいなら、してくださいと言うか、
結婚する価値のある存在になればいいだけ。
結局、今の、相手にされない女っていうのは、
自分の能力不足or努力不足を、男の力不足にすりかえてるだけでしょ。
そういえば、キャスフィ本家に
どうしようもない程の荒らしの
ダメ女がいるな。
名前は 敢えて出さない。
あのおばはんはもう、モテない以前の
問題だろう。
使えない兵器というのは、あるいは力というのは、
恫喝にしか用をなさない。
恫喝ないしは心理的恐怖、
ひとつのシンボリックな意味だけが強まってきた。
そうなると、片一方は使えぬ兵器に対するものとして、
人民戦争理論みたいに、
ずっと下の方からしみこんでくるやつが出てくるのは当然ですね。
それを見て被害者意識というのがだんだん勝つ力になってくる。
広島市民には非常に気の毒だけれども、つまり「やられた」ということが、
何より強い立場とする人間ができてくる。
そうすると、やられないやつまでも、
やられたような顔をする方がトクだというようになるわけです。
つまり女が男にだまされたといって訴えるようなものです。
とにかくトクなのは、なぐることじゃなくて、なぐられることだと。
そして痛くなくとも、
「あっ、イタタタ!」というほうがいつも強い立場をつくれる。
被害者という立場に立てば、強いということがわかっちゃっている。
なぜなら向こうは力が使えないに決まっているんだから。
それが世論であり、女の力だと思うんですね。
女はあくまで「弱い女をどうしてこんなにいじめるんだ」と、
断然反対してくる。