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この二人は愛し合ってるか議論しようぜ
水の上を雌に求め寄ってゆく、それは人間の子供が母親を見つけて甘え泣きに泣きながら駆かけ寄って行くときと少しも変ったことはない。「ギョ・ギョ・ギョ・ギョ」と鳴きながら泳いで行くのである。こんな一心にも可憐な求愛があるものだろうか。それには私はすっかりあてられてしまったのである。 もちろん彼は幸福に雌の足下へ到いたり着いた。それから彼らは交尾した
先行平沢行きます。
前提として、"愛"は曖昧なので軽く定義しまして、"互いに愛の言葉を述べる事が出来る関係"を「愛し合う」と定義してお話を進めさせて頂きます。
そのチャットについては、男女間に於ける"子孫繁栄を前提としない性交渉"に準ずるやり取りが確認され、またここに金銭が絡まないものであれば"愛の言葉"と捉えるのが自然かと思われます。
よって、一次元上では愛し合っている状態となりますが、ここには小前提として一次元上であると云う旨も含まれます。
愛の大前提を基に、単純に愛し合っているのかで言えばYESでしょう。
ただし、飽くまで一次元世界はバーチャルだと考え、三次元上で無ければ正答は不可解だとした場合、恐らくこの両名の間に愛は存在し得ないでしょう。
根拠としては、霧雨氏側はチャットでの呼びかけ、相手からの反応が無い辺りに注目します。
仮に三次元で愛し合っている関係なのであれば、チャットで在不在を確認せずとも、三次元ならではのコミュニケーションを行う事で一方的なチャットを回避する…というよくある話でこの線を塗りつぶせます。
しかし、チャットを見た限りだと霧雨氏の一方的な確認、相手は無反応である時点で「チャットに呼ぶ事が不可能だった」と云う1つのヒントが浮かび上がります。
では、何故不可能であったかを紐解きますと、まず仮説は2つ立てる事が出来ます。
1.既に別のコミュニケーションツールへ移動した
2.相手がブチッた
仮説1の場合、両名は三次元上での愛し合っている関係と結び付ける事も無理な話では無く、現実での愛が成立している可能性もあるでしょう。
仮説2であった場合、瞬間的にチャット内でのみ愛し合い、自然消滅したものだと考えられるでしょう。
そしてこの仮説の精査を行うであれば、霧雨氏の一方的な呼びかけは見捨てられない根拠となります。
仮に仮説1が正解であれば、外部の練習ツールで連絡を行うため、霧雨氏はチャットにて一方的な呼びかけを行う事は無いと考えられやす。
よって、一方的な呼びかけは仮説2の裏付けと取る事の方が自然となります。
お待ちかねの結論ですが、「愛し合っている」という現在進行形の話をするのならNOである可能性が高い。
「一時的に、一次元上で愛し合っていた」であればYES。
「チャットは仮想世界であり、愛を定義する事が出来ない、三次元上で愛し合っているか」であればNO寄りのフラットと言えるでしょう。
以上が私の立論でございます。
自己愛に終始した場合に悪をなし、他者を思うという愛に目覚めたときに善となる。
善悪の分かれ目とは、自己を愛する「愛」と他を愛する「愛」のあいだにあるのです。
人間は行動を約束することはできても、感情は約束できない。
自己欺瞞なしで永遠の愛を誓うものは、愛情の見せかけを永遠に約束するものだ。
どんなにその人を愛していても、その人のためにすべてを犠牲にしてはならない。
なぜなら、必ず後で、その人を憎むようになるからだ。
戦争は地獄だ。が、それは一面に過ぎない。なぜなら戦争とは謎、恐怖、冒険、勇気、発見、神聖、憐憫、絶望、憧れ、愛でもあるからだ。戦争とは不快なものであり、喜びでもある。戦争とはスリルであり、単調な骨折り仕事でもある。戦争は君を男にし、殺してしまうのだ。
最後には死神の餌食となる。
「ありのままの私を受け入れて」
なんていう女はムシがいいのよ。
ありのままのお前がなんぼのもんじゃっていうのよ。
なんの努力もしないで、ずうずうしい。
例えば畑の大根だって、
引き抜いて、泥を落として、皮をむいて、千切りにするなりして、
お皿に盛って、「はい、召し上がれ」って、
それで美味しく受け入れられるんでしょう。
泥だらけの大根を突き出してさあ食えって、失礼だと思わない?
痛いのは生きているから
転んだのは進もうとしたから
逃げたいのは戦っているから
悩んでいるのは変わりたいから
苦しいと思うのは楽しさを知っているから
幸せなのは頑張ったから
あなたの人生に幸あれ
一方的な『愛の形』が、これだとして
一次元上だとしても
この愛が一方通行だとしても
霧雨に『愛は』あるのか?
『相手を愛しているのか?』
相手の何を愛しているのか?
霧雨のこの愛は愛なのか?